金ヶ崎での敗戦から二か月
命からがら越前から逃げ帰った信長軍ですが、
直ぐに反撃の開始です
朝倉攻めで失った鉄砲も何とか調達しました
が、北部の越前や若狭は朝倉が抑え、西部に
は比叡山
ゲリラ戦をしていた六角親子も味方につけた
浅井も準備万端
信長も迂闊には攻められない状況です
姉川の戦いですが、最近の説では、長政があ
と一歩のところまで信長軍を追い詰めたとも
言われています
この時点では互角、もしくは浅井軍が優勢だ
った可能性すらあるのです
織田軍にとっては唯一、秀吉の調略によって
小谷城の対岸に位置する横山城を押さえたの
が大きかったですね
四六時中小谷城を監視出来るのですから、戦
略的には大きなアドバンテージを得た事にな
ります
姉川の戦いは勝ったのか?負けたのか?も微
妙なところです
これ以降、浅井を攻め滅ぼすのに三年も掛か
ったのですから姉川の戦いは引き分けと言っ
ても良いのかも知れません。
何れにしても…
浅井が三年も抵抗できたのは比叡山のお陰で
す
そういう意味では、比叡山の焼き討ちは避け
て通れなかったのかも知れません
「何故?比叡山は朝倉をかくまう。浅井も何
故?この戦に関わろうとする?」
光秀に疑問をぶつける信長に対し、「信長様
は叡山から多くを奪い、浅井朝倉は多くを与
える。」からだと答える光秀。
「つまるところ金では御座いませんか。」と…
仏の沙汰も金次第と言う事でしょうか?
いつの時代も変わらない様ですね