天台座主・覚恕法親王
法親王と言われているので皇族として認知されて
いたのでしょうね。
父・後奈良天皇には正親町天皇と覚恕の男子は二
名しかおりません
兄に不測の事態が起きれば覚恕が天皇になってい
たかも知れないのです
名誉と財力を手に入れ、ようやく兄・正親町天皇
に対する劣等感から解放されたのかも知れません
織田家に荘園を横領されていた比叡山が反信長勢
力を後押しするのは分かります
裏では、将軍家から信長を追い出したい摂津晴門
とも覚恕が結託
内にも外にも敵を抱えた信長ですね
信長は比叡山に浅井朝倉に加勢しないようにとの
最後通告を出します
二か月間比叡山を包囲していた織田軍ですが、朝
廷と将軍を動かし何故か和睦
三好三人衆、石山本願寺、浅井・朝倉、比叡山と
反信長勢力に結集されれば、さすがの織田軍も敵
いません
一時撤退する信長軍ですが、直ぐに反攻に転じま
す
再度比叡山を囲み威圧すると、焦った比叡山は攻
撃中止を嘆願し黄金を送りますが信長に突き返さ
れ万事休す
いよいよ比叡山焼き討ちですが、何故か?その時、
覚恕は比叡山に居ませんでした
焼き討ちを察知しあらかじめ逃げたのか?
一説には再度の和睦の仲介を朝廷と将軍に依頼す
る為山を下りていたとも言われていますが…
どうも、逃げた様な気がしてなりません。
さすがの信長も天皇の弟は殺せませんものね
勘ぐれば…
覚恕の下山を確認したうえでの焼き討ちだった
様な気がしてならない僕なのです 。
勘ぐり過ぎでしょうかね