函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、数正と且元!!

2016-04-11 | 歴史

梅の死を引きずって中々立ち直れないでいる信繁ですね

一方、徳川が再度攻めて来るというのに、「信伊が何

とかしてくれる!!」と静観を決め込む昌幸

ドラマでは信伊が石川数正を調略し秀吉に寝返らせた

という設定のようですが、かなり無理がありますね。

「大名ではない父上に何故?上洛を…」といぶかる信幸

ですが、昌幸は抜け目がありません。

上田合戦と並行して秀吉とコンタクトを取っていたの

です

秀吉の家臣となれば徳川も迂闊に手を出せません。

信幸ではありませんが、昌幸の頭の中を一度覗いて見た

いものですね

ところで

秀吉へ出奔した石川数正、家康にとって竹馬の友と言っ

ても過言ではなく酒井忠次と並ぶ重臣です

その数正が何故?家康を裏切ったのでしょうか??

秀吉側が数正が秀吉に内通したという噂を流します

勿論、家康は信じませんでしたが、家臣達は違いました。

広まった噂話に尾ひれがつき数正は次第に浮いた状態に

なります

豊臣との折衝を任せられていた数正ですが、豊臣と敵対

する事は得策ではないと考えていた筈。

数正は小牧・長久手の戦いの最中に豊臣との和睦を提言

したとも言われています。

小牧の戦いで局地的に勝利したとはいえ徳川が豊臣に勝

つ可能性は殆どありません

 

一方、武断派からすれば弱腰外交だと言われ数正は内憂

外患状態。

豊臣との対立を避ける為奔走して来た事が意味を為さな

くなります。

数正の心の中に虚しさが込み上げてきたでしょうね

出奔の理由は、内通を疑われ徳川家中での立場が低下し

ていたと言うのが本当のところではないでしょうか?


もう一人数正と同じような人物がいます。

豊臣家の忠臣・片桐且元。

豊臣から疑われ出奔するしかなかったという点でも数正

とソックリ。

徳川を去った数正、豊臣を去った且元。

同じ時代生きた徳川と豊臣の忠臣ですが、この二人、時

代の犠牲者といってもよいのかも知れません

 

もう一説。

家康から送り込まれたスパイ説ですが、秀吉に仕えた数正

は、決して厚遇されていた訳ではありません。

この説は信憑性がかなり低いと思います 

 

スパイ説より有り得そうなのが…

徳川が信濃を攻めれば秀吉が動き、秀吉が動けば上杉も動

かざるを得ません。

北条の寝返りの可能性もあります。

数正は信濃攻めを中止する術として自らを犠牲にして出奔

したというのです

結果的に信濃攻めが中止になったのですからまんざら有り

得ない話ではありません

 

余談ですが、数正は講和の後、於義丸(結城秀康)を秀吉の

許へ人質として送り届けますが数正の嫡男と次男も人質と

なっています。

数正の息子達も大阪に居たわけです。

何かキナ臭い匂いもしますね。

何れにしても不可解な出奔です



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