先週の大河ドラマで池に落ちそうになった篤姫を間一髪助けた
家定の一言『危ないではないか』真顔でしたね
やはり家定はうつけの振りをしていたのでしょうか??
このドラマではおそらくそう云う脚本なのでしょうね
何としてでも家定の本心を聞きたい篤姫ですが、中々チャンス
が訪れません。
久し振りに訪ねてきた家定に対し『何故、うつけの振りをする
のか』と問いかけますが、家定は全く相手にしてくれません
それどころか、子供はいらないと明言する始末
意図的に子供は作らないと云う事なのでしょうか??
この話は直ぐに漏れ、斉彬らの知るところとなります。
いよいよ慶喜擁立に向けた工作が活発化する事になるのですね。
しかし、当の篤姫はそれどころではありません
側室のお志賀にも同じ事を尋ねましたが、家定の傍にいるだけで
幸せだと言われる始末。
身も蓋もありませんよね
篤姫の初恋は中々成就しません
尤も、本人は恋心だとは気付いていない様ですが…
ところで
慶喜擁立に大奥が大反対したと言われていますが、何故なのでし
ょうか??
実は、慶喜の父斉昭が大奥に対して予算の削減を言い出した事が
あるのです。
当然の如く、斉昭の子供である慶喜が将軍になれば削減を実行す
るかもしれないと思い、大奥では警戒しますよね
もう一つ
この時の水戸藩主、徳川慶篤(よしあつ)も大奥から嫌われていた
というのです
慶篤の正室・線姫があろう事か、自殺してしまったのです
当然、噂が噂を呼び斉昭・慶篤父子に色んな噂が飛び交った訳な
のです。
真実は別として、女の園・大奥では大変な評判になった事でしょ
うね。
言葉は悪いのですが、女の的水戸斉昭・慶篤と云ったところでし
ょうか
斉昭は烈公と言われるだけあって、すぐに激高するタイプの人だ
った様なのです
先の先まで読めば対応も違っていた筈ですが、その場限りの発言
を繰り返した為、敵も多かった筈です。
個人的な意見ですが、斉昭は政治家ではなかったのでは?と僕は
思っています。
長年、御三家・御三卿は政治に参加する事がなかったのですから
当然と云えば当然なのですが
結局、慶喜は十五代目まで将軍就任を待たなくてはならなかった
のですが、斉昭の存在がなかったらもう少し早く将軍に就けたの
かも知れません。
徳川幕府を十五代で終わらせたのは慶喜ですが、逆説的に考える
と、徳川幕府の幕引きをしたのは実質的には水戸斉昭その人だっ
たのかも知れませんね
子供の足を親が引っ張ったといったところでしょうか??
家定の一言『危ないではないか』真顔でしたね
やはり家定はうつけの振りをしていたのでしょうか??
このドラマではおそらくそう云う脚本なのでしょうね
何としてでも家定の本心を聞きたい篤姫ですが、中々チャンス
が訪れません。
久し振りに訪ねてきた家定に対し『何故、うつけの振りをする
のか』と問いかけますが、家定は全く相手にしてくれません
それどころか、子供はいらないと明言する始末
意図的に子供は作らないと云う事なのでしょうか??
この話は直ぐに漏れ、斉彬らの知るところとなります。
いよいよ慶喜擁立に向けた工作が活発化する事になるのですね。
しかし、当の篤姫はそれどころではありません
側室のお志賀にも同じ事を尋ねましたが、家定の傍にいるだけで
幸せだと言われる始末。
身も蓋もありませんよね
篤姫の初恋は中々成就しません
尤も、本人は恋心だとは気付いていない様ですが…
ところで
慶喜擁立に大奥が大反対したと言われていますが、何故なのでし
ょうか??
実は、慶喜の父斉昭が大奥に対して予算の削減を言い出した事が
あるのです。
当然の如く、斉昭の子供である慶喜が将軍になれば削減を実行す
るかもしれないと思い、大奥では警戒しますよね
もう一つ
この時の水戸藩主、徳川慶篤(よしあつ)も大奥から嫌われていた
というのです
慶篤の正室・線姫があろう事か、自殺してしまったのです
当然、噂が噂を呼び斉昭・慶篤父子に色んな噂が飛び交った訳な
のです。
真実は別として、女の園・大奥では大変な評判になった事でしょ
うね。
言葉は悪いのですが、女の的水戸斉昭・慶篤と云ったところでし
ょうか
斉昭は烈公と言われるだけあって、すぐに激高するタイプの人だ
った様なのです
先の先まで読めば対応も違っていた筈ですが、その場限りの発言
を繰り返した為、敵も多かった筈です。
個人的な意見ですが、斉昭は政治家ではなかったのでは?と僕は
思っています。
長年、御三家・御三卿は政治に参加する事がなかったのですから
当然と云えば当然なのですが
結局、慶喜は十五代目まで将軍就任を待たなくてはならなかった
のですが、斉昭の存在がなかったらもう少し早く将軍に就けたの
かも知れません。
徳川幕府を十五代で終わらせたのは慶喜ですが、逆説的に考える
と、徳川幕府の幕引きをしたのは実質的には水戸斉昭その人だっ
たのかも知れませんね
子供の足を親が引っ張ったといったところでしょうか??
どういうふうになっていたのでしょう
和宮降嫁は年代的な事を考えると無理な気がするし
少しずついろいろな事が変わっていたかもしれませんね
水戸が嫌われたりゆうに
そもそも水戸は将軍を出す家系ではないという感じで水戸家は他の2家よりも下位のイメージがあるのでそういったことはかんけいないのでしょうか?
いたら??安政の大獄も、大政奉還も
なかったか、違う体制に変化していた
のかも知れませんね。
水戸に関しては、仰る通り、元来将軍
を出す家柄ではなかったのですが、吉宗
が将軍となり御三卿を作ってからそう云う
考え方も気薄になった様な気がします。
老中阿部正弘は最初は水戸外しを考えて
いたようです。
血の濃さもしくは紀州or尾張に拘って
いたのでしょうね。
現代的視点で見ると、篤姫が一口食べた魚を取り替えるとか、そんなに豪華な着物などをたくさん作って意味あるの?と思ってしまい、節約は全く持って理にかなっている!と感じてしまいますね^^幾島も、篤姫の立場を守る為なのでしょうが金に糸目をつけないという感じなので、全く景気のいい話です!
だったのでしょうかね!!
子孫を作るだけの機関だったので仕方
ありませんが…
馬の種付けを連想してしまいますね。