この時期、秀吉と家康は小牧長久手の戦いの真っ最中
徳川優勢とはいえ背後に控える北条と豊臣が同盟を結
べば徳川はひとたまりもありません
何としてでも北条の機嫌をとらなくては
その為にも目の上のたん瘤・真田を潰す必要性が徳川
にはあったのです。
徳川からすれば上杉と真田の再同盟など天地がひっく
り返っても無いと…
有り得ない同盟を昌幸はやってのけます
それにしても上杉の条件の何と寛大な事。
裏切者の真田に対して、上杉は真田を庇護する、沼田
や小県を真田領として認めるというもの
おそらく昌幸の想像を超えた条件だった筈
それだけ対徳川・北条の最前線として真田の重要性が
高いという事なのでしょうね
いよいよ一回目の上田城の戦いが始まろうとしていま
す
真田軍40、徳川軍1300、戦死者の数からして真田の
大勝です
史実ではこの戦いに信繁は加わっていなかったようで
す
昌幸にしても万が一真田が負けた場合の事も考えてい
た筈
もしもの時に真田家を継ぐ者がいなければお家断絶と
なるからです。
上杉にしても真田家の後詰として出陣している限り人
質は必要。
信繁はおそらく春日山城にいたのではないでしょうか
上田城の戦いには家康も参陣していません
家康は真田攻めを安易に考えていた節があります
徳川7000に対し真田はせいぜい2000、数の上では全
く勝負になりません
大敗した後、徳川軍は小諸城へ撤退しますが、この隙
を狙って昌幸は上田城を改築、それも上杉の力を借り
ての改築です。
徳川に作ってもらった城を上杉に改修してもらった訳
です
徳川も上杉も昌幸におちょくられている感じがします
ね。
実は、この戦いと前後して秀吉が関白に就任していま
す
この時期昌幸は秀吉への帰属を申し出ていたと言われ
ています。
それを取り次いだのが大谷吉継だとも…
信繁の正室の父ですね。
機を見るに敏な昌幸ならありそうな話しです。
生きていく為とはいえ全く抜け目のない人間です
ところで
信繁には正室の他に三人の側室がいたと言われています
最初の室はドラマで祝言を挙げた堀田作兵衛の妹とも娘
とも言われている梅?ですね。
高梨内記の娘・きり?や豊臣秀次の娘、九度山に蟄居し
た時は百姓の娘にも子供を産ませていますが、11人の子
供の内8人は九度山で生まれているのです
蟄居中はせっせと子作りに励んでいたという訳です
英雄色を好むという事でしょうか??
少し意味が違うかも知れませんね
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