おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

『令和の社長像』 北川さんは木村さんを超える社長になるのか?・・・その2

2020年03月10日 21時17分00秒 | サッカー




ファジアーノ岡山に関する新着コラムの後編です。前編では現社長の北川さんが二代目社長に就任した際の裏話というか顛末記のような感じでした。後編は、どのような纏め方になっているのでしょうか?

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【後編】
ファジアーノの未来はCRM事業にあり!?
Jリーグ新時代 令和の社長像 岡山編

https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/202003070003-spnavi
宇都宮徹壱
※以下、引用です。

ゴールドマン・サックスの執行役員を岡山に呼んだ男
私が初めてファジアーノ岡山を取材したのは、木村正明が社長に就任する直前の2006年1月のこと。チーム運営はNPO法人に委ねられており、スポンサーはわずか6社で収入は約200万円だった。ところが06年にクラブを株式会社化して、その社長に木村が就任すると、スポンサーは180社を超えて年間収入も約9000万円にまでアップ。この異能の経営者を岡山に引っ張ってきたのは、小中学校時代の旧友であり、現在はクラブの代表取締役にも名を連ねる、岡山学芸館高校副理事長の森健太郎であった。

「あれは05年でしたね。ユースの国際大会を岡山で開催するために、あちこちから資金を集めていたんです。それでポンとお金を出してくれそうだと思って(笑)、木村にも声をかけたんですね。実はその年いっぱいでゴールドマンを辞めるという話も、何となく耳にしていました。彼は執行役員でしたが、30代半ばですでに最古参だったんですね。『いかに若くしてリタイアして、セカンドライフで社会貢献をするか』というのがゴールドマンの社員の考え方らしく、『自分もそろそろ』と思っていたようです」

その後のカリスマ社長による岡山の成長の物語は、すでに語り尽くされた感もあり、また本稿の主題でもないのであえて触れない。ここで注目したいのが、木村と森との信頼関係。生まれ故郷のクラブに引き合わせてくれた旧友に対し、木村は最も早いタイミングで岡山を離れる可能性があることを打ち明けていた。再び、森の証言。

「実は(退任する)半年前から、役員会の時に『こいつ、いなくなるかも』という予感があったんです。ですから(18年)1月に相談を受けた時も、そんなには驚かなかったですね。法人営業のノウハウも社内の仕組みも、ベースとなる部分は木村が残してくれていました。もし彼がいなくなっても、若手がしっかりやってくれるから大丈夫だろうと。ですから『いずれ岡山に戻ってくるのであれば、Jリーグでしっかり働いて、そこで得た経験をフィードバックしてほしい』ということだけ伝えました」

では、木村の後継者を誰にするのか。実は外部から、社長を招く案もあったらしい。しかし早々にその芽がなくなり、クラブ内から昇格させることになった。前任の池上に代わって、15年からGMに就任した「徳さん」こと鈴木徳彦は、代表取締役になることは受け入れたものの「社長をやるつもりはありません」ときっぱり固辞。役員会で議論を重ねた結果、鈴木よりも社歴が長く、法人営業で財界ともパイプがある北川に白羽の矢が立つこととなった。まさに「おまえに断る権利はない」(木村)状況だったのである。


<前編>カリスマ社長が残したクラブ経営術とは?

黎明期のFC東京にも通じる経営と現場のツートップ体制
かくして後継者は決まったものの、実質的には社長の北川とGMの鈴木によるツートップ体制で、ファジアーノ岡山はリスタートすることとなった。サッカー経験がまったくない北川と、東京ガスを皮切りに現場一筋だった鈴木。キャリアも正反対ならば、年齢も鈴木が20歳も上。それでも今のところ、この凸凹ツートップはうまく機能しているように見える。この状況について「意外と初めてではないんですよ」と語るのは鈴木である。

「実は、東京ガスからFC東京に変わる時に似ていたんですね。あの時、フットボールに関することは僕が、会社経営については専務の村林さん(裕=のちの社長)が担っていました。だからといって、まったく交流がないわけではない。むしろ経営と現場は、垣根のない隣近所という感じで、お互いの顔が見える距離感を保っていましたね」

実は岡山でも、社長が木村でGMが池上だった時代から、経営と現場は独立性を保ちながら運営されていた。木村が現場に口出しすることはなかったし、その逆もなかった。そして、それぞれのトップが変わって以降も、このスタイルは不変である。北川の証言。

「ウチがスタートした時からの伝統ですね。木村さんがそうだったように、僕も現場には100%口出しをしないし、徳さんもこちらに口出しをしません。予算だけ決めて、あとは話し合いで調整していくスタイルです。それができるのは、徳さんがフロントの状況を理解しているからだと思います。だから、現場のエゴを押し通そうとはしない。サッカー界では、なかなか得難い人材だと思いますよ」

ちなみに岡山では、クラブ社長が集まるJリーグ実行委員会には、いつも北川ではなく鈴木を送り出している。この理由について北川は「社長に就任した当初、代表権がなかったので行けなかったんです」とした上で、こう続ける。

「今は代表権を持っていますが、それでも徳さんに行ってもらったほうが、情報を取ってこれますからね。何しろ、あれだけサッカー界に精通した人ですから。僕自身は実行委員ではないけれど、アウェーには全部行っていますし、そこで他の社長さんともコミュニケーションは取れています。ですので、この役割分担は今後も変えるつもりはありません」


「J2で最もデジタルを活用したクラブにしたい」
ここまでの話を聞く限り、前任者の方針を踏襲しているように感じられる北川だが、一方で独自色が感じられるのが集客のアプローチ。木村時代の16年は、長年の目標としていた1試合平均1万人を超えたものの(1万17人)、17年は9,471人、そして18年は8,599人。とりわけ木村が退任した18年の数字を見ると、やはり「踊り場感」は否めない。ところが19年は、9,444人と逆に盛り返している。これは、北川が社長になって力を入れているCRM(顧客管理)事業の成果と見られる。

「僕はファジアーノを、J2で最もデジタルを活用したクラブにしたいんです。具体的にはCRM事業。Jリーグでも今、toC戦略をやっていて『チケットを3回買ったお客さんはリピーターになる』と言われています。ウチでも調べてみても、同じような結果が出ました。18年に1回だけ来た人は、次の年に来場しているのは28.9%。つまり71.1%は戻ってこない。逆に3回見に来た人は、81%の確率で次の年も来場してくれる。ですから今年も3つの山を作る必要があって、その意味でも開幕戦は特に重要ですね」

そのための人材は、すでにそろえている。ファンエンゲージメント部部長の森繁豊は、IBMでのプロジェクトマネージャーから転身。年収が半減しても「木村さんが作ったこのクラブに魅力を感じたから」と、故郷のクラブで自身のナレッジを還元する人生を選んだ。

「CRMが事業としてスタートしたのは18年9月からです。チケッティングで得られるJリーグIDから、その人がいつ、どのチケットを購入したかというデータが取れます。それらを分析・検証して仮説を立てていけば、打ち手がイベントなのかキャンペーンなのか、あるいはプロモーションなのかを判断できるわけですね」

前編でも触れたように、岡山時代の木村は「CRMよりも営業」というスタンスだったようだ。そのためか、森繁も入社当初は法人営業を担当していた(本人は『貴重な経験でした』と語っていたが)。しかし北川が社長を引き継いでからは、新たにCRM事業部を立ち上げるなどして、集客のデジタル活用が一気に進んだ。その先に見据えるのは、フットボール専用の新スタジアムへの道筋。北川は「これは僕らがほしいと言うのではなく、県民の皆様が本当に必要と感じているかどうかなんです」とくぎを刺した上で、こう続ける。

「お隣の広島では、カープの球場が新しくなったことで、平均1万人も入場者数が増えているんです。約70試合だから70万人増えたことになります。今や3万3000人のスタジアムが満員で、そうなると年間で約200万人以上の方が駅の周りに滞留することになります。それを街づくりの観点からどう考えていくかという話になるんですね。ウチの場合は、今のスタジアムが毎試合満員になって、初めてそういった議論になっていくと思うんです。そうした観点からも、われわれはここ数年、集客というものを強く意識していく必要があると思っています」


ボトムアップと見せかけながら、実はトップダウンだった?
電撃的な社長交代から2年。前任の木村がすっかり「Jリーグの人」となっていく一方で、岡山では社長3年目の北川が、独自のカラーをクラブに浸透させようとしている。2代にわたる社長就任に関与してきた森は、それぞれの時代を比較しながらこう語る。

「良きにつけ悪しきにつけ、社長の木村とGMの池上はカリスマでした。それと、統括本部長だった小川(雅洋)もそう。いわゆるベンチャー系で垂直推進型の組織にはそういう人材が必要だったのかもしれない。でも今のファジアーノは、特定のカリスマに頼り切るのではなく、いい意味で普通の会社になっていっているんだと思います。社内の雰囲気も、昔はかなりピリピリしていましたけれど、今はみんな生き生きしていますよね(笑)」

ならば現社長は、どのように考えているのだろうか。木村退任後、確かに社員が結束して当事者意識を持つようになった。しかし北川は「ボトムアップと見せかけながら、実はトップダウンだったのではないか」と、木村のしたたかな戦略に気づいている様子だ。

「木村さんという絶対的なトップがいなくなって、これまで以上に社員は『全員経営』『全員営業』を意識するようになりました。30代後半から40代前半の若手部長も、ぐんぐん伸びてきています。もし木村さんが残っていたら、これだけの成長はなかったかもしれない。実はそこまで、あの人は考えていたのかもしれないですね」

最後に、今回の取材に関して「宿題」を出してくれた、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社の里崎慎のコメントをもって本稿を締めくくることにしたい。「BM(ビジネス・マネジメント)を担う北川さん、FM(フィールド・マネジメント)を統括する鈴木さんとの関係性というものは、われわれも注視していた分野でした」と語る里崎。「木村さんが確立したツートップ体制をいじらなかったことで、社長交代はスムーズだったようですね」とした上で、今後のクラブの発展に期待する旨のコメントを寄せてくれた。

「どんな社長でも、いつかは交代します。その時に『変えてはいけない事』『変わってはいけない事』がしっかり引き継いでいけないと、クラブは求心力を失って存在意義も薄れてしまう。だからこそ『仕組み化』は重要だと思います。岡山は今のところ、BMとFMの両輪はうまく回っているようです。これを社長とGMだけでなく、さらに組織としての仕組み化ができれば、岡山は今後も地域にとって重要なクラブになっていくと思います」

<この稿、了。文中敬称略>



クラブの現状が理想の何パーセントに達しているとお考えなのか、そこは知る由もありませんが、確かに北川社長が就任して以降、特に昨季辺りからはJリーグとの連携も含めて、かなりデジタル化へ舵を切ったなという印象はありました。
かつてのような、アナログ記録によるお誘いプロジェクトもデジタル化されてきましたし、グッズ購入、ファジフーズ購入に至るまで、個人IDによって履歴が確認できます。アナログ人間の我々にとっては、何となく煩わしく感じられる場合もあるかも知れませんが、一人一人の動向を掴み、それに応じた動員促進策が打てるのであれば、より効果の高い施策が期待できます。

Jクラブにとっては、死活問題にもなりかねないトップの交代。それは、大企業を親会社に持つNPBの球団とは、かなり違ってきます。広島カープは独立採算ですから、似たような存在ですから、文中にも顔を出したのだと思います。ただ、その危機とも言える状況を、何となくすんなりと二代目に引き継ぐことができたのは、木村さんや北川さんだけでなく、周りの皆さんの力あってのことだと感じました。こういう話は、中々聞くことができませんので、ここで掲載していただいたことには深く感謝いたします。

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今、世界的な危機とも言える新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大によって、世界中のスポーツシーンが奪われようとしています。しかし、人類はそんな危機にも打ち勝って、更なる盛り上がりを手にするでしょう。いや、そうならないといけません。その喜びと歓声を取り戻すためにも、一人一人が立ち向かっていきましょう。

歓声がこだまする明るいスタジアムを取り戻すために。

100年、いや1000年続きますように。
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大相撲三月場所 3日目 幕下取組結果

2020年03月10日 19時05分00秒 | 大相撲

3日目になっても馴染めないですね。無観客場所はこんなものと思えたら良いのでしょうが、簡単には行きそうもありません。

今場所気になることは、目に余る傍若無人な白鵬の横暴ぶりです。それはなりふり構わず横綱を守ろうというような可愛げのあるものではなく、昨日でいえば1本しか付かなかった懸賞金への理不尽な八つ当たりです。その怒りの矛先にされた大栄翔は、立ち合いの張り手ではない、パンチを受けてグラつかされました。また、あの見苦しい肘打ちなども出てくるのであれば、誰しも相撲に関する興味がなくなってしまいます。しかし、あの傍若無人な横暴が出なければ、既に勝てなくなっている断末魔の横綱の姿だとすれば、そろそろ消える時期かも知れません。これだけの実績を持ちながら一代年寄も認められないのではないかと囁かれていますが、それもこれも身から出た錆です。昨日のたった1本の懸賞がそれを見事に表現しているのですが、本人は気付かないのでしょうね。

3日目の高安戦では懸賞が11本出ました。立ち合い右で張るのは3日続けてのものでした。もう、横綱相撲で強さを見せつけるような取り口はできないとみて良いですね。横綱に張り返すような向こう見ずな力士もいなくなりましたから、やりたい放題はしばらく続くでしょう。



普通なら、上のような風景だったのですが、何とも寂しい今場所ですね。

3日目の幕下取組結果です。左側が勝ち力士です。

【3日目】

寺尾 上手投げ 朝天舞
鈴木 押し出し 深海山
村田 引き落とし 魁勇大
濱豊 寄り切り 千代雷山
井上 掬い投げ 北勝就
平戸海 寄り切り 魁錦
錦富士 押し出し 肥後ノ城
元亀 上手投げ 琴裕将
栃清龍 寄り倒し 一山本
大翔龍 小手投げ 高立
慶天海 切り返し 海士の島
旭日松 押し出し 碧天
北勝川 押し出し 肥後嵐
中園 押し出し 千代の勝
鏡桜 寄り切り 寺沢
宝龍山 押し出し 磋牙司
對馬洋 寄り切り 琴砲
大元 寄り切り 琴翼
貴健斗 押し倒し 時栄
田邉 叩き込み 魁ノ隆
北磻磨 勇み足 湘南乃海
朝興貴 突き出し 海龍
塚原 突き落とし 竜勢
希善龍 叩き込み 竜虎
千代嵐 押し倒し 常幸龍
王輝 上手出し投げ 魁渡
朝弁慶 極め出し 千代ノ皇
富士東 寄り切り


今場所は、大元の調子も良さそうです。同部屋で競い合って上を目指してほしいですね。

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4日目の幕下取組に移ります。

【4日目の取組】

周志 - 大翔前
栃登 - 福山
大野城 - 出羽ノ城
魁禅 - 佐田ノ輝
琴誠剛 - 羅王
琴隼 - 佐田ノ華
徳真鵬 - 鳴滝
頂 - 天風
庄司 - 若ノ湖
北勝旺 - 小城ノ正
川本 - 西大司
隠岐の富士 - 大葉山
北の若 - 勇輝
栃神山 - 荒篤山
北大地 - 将豊竜
横江 - 白石
若山 - 琴大龍
北勝陽 - 鳰の湖
北勝翼 - 旭蒼天
富栄 - 鶴林
彩の湖 - 御船山
一木 - 武将山
若隆元 - 千代栄
宝香鵬 - 欧勝竜
千代の国 - 納谷
狼雅 - 魁勝
芝 - 彩
豊響 - 大成道


4日目に西大司が対戦するのは、春日野部屋の川本です。平成30年3月初土俵の24歳。拓大出身で初土俵から一気に駆け上ろうとしている勢いのある力士です。西大司とは、昨年の五月場所、三段目の土俵で対戦しており、その時は西大司が敗れています。しかし、相手も今場所は初めての幕下での場所。無観客という異様な雰囲気と合わせて、いつもとは違ったプレッシャーもあるでしょう。先手先手で攻めて勝ち切る相撲を見たいと思います。



連勝するのだ。
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『令和の社長像』 北川さんは木村さんを超える社長になるのか?・・・その1

2020年03月10日 06時15分00秒 | サッカー


リーグ中断期間が延びて、かなり寂しい想いの方も多いと思います。国内の主だった競技が中止、もしくは延期され、何となくスポーツを観戦することに飢えてきつつあります。

何事もなく、好きなことに没頭できる平和と幸せはかけがえのないものだと感じ始めた今日この頃ですね。先行きの見えない不安は、より一層の閉塞感を増します。いつまで待てばよいのかという絶望感に変わらない内に一筋の光明が見えると良いのですが。



この中断期間を狙ってのコラムではなかったのでしょうが、昨日、前編として下記のようなコラムが掲出されました。あの宇都宮徹壱氏が書いたファジアーノ岡山に関する新着コラムです。かなり、長い内容ではありますがよろしければお目通しください。今回は、昨日掲載された前編です。

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【前編】
カリスマ社長が残したクラブ経営術とは? Jリーグ新時代 令和の社長像 岡山編
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/202003070002-spnavi
宇都宮徹壱
※以下、引用です。

カリスマ社長が引き抜かれて浮上した「後継者問題」
「昨年のJ1は平均観客数が2万人超えを達成しました。これは(日本を含めて)世界でも8カ国しかない。一方のJ2の平均は7176人で、イタリア(セリエB)を抜いて世界5位。1万人台のドイツやスペインも視界に入っています」

2月7日、都内で行われたJリーグビジネスカンファレンスに登壇した専務理事の木村正明は、JリーグのtoC戦略(ファンへの取り組み)やCRM(顧客データ)について堂々としたプレゼンテーションを行っていた。その様子を撮影しながら「木村さん、すっかりJリーグの人になったんだな」という深い感慨を覚えた。かつて木村の下で働いていた、ファジアーノ岡山の社員はどう感じただろう。「木村さん、ウチにいた頃は『CRMよりもまずは営業だろう!』って言っていたんですけれどね」と苦笑するかもしれない。

地域リーグ時代の2006年から、岡山の社長として辣腕を振るってきた木村が、村井満チェアマンたっての希望で専務理事就任のオファーを受諾し、社長退任の会見を行ったのは18年2月28日。この時、木村は「J1昇格に懸ける思いがあり、集大成の年にする心づもりでいた」とした上で、「日本サッカー界のために頑張らせていただいたら、必ずこの岡山に戻ってきます」と涙ながらに語っていた。かくして岡山の12年にわたる、カリスマ社長の時代は終わったのである。

ここで問題になったのが「後継者を誰にするか」であった。何しろ、突如として社長が引き抜かれたのだから、社内に動揺が走ったのは当然の話。それでもプロサッカークラブとして、すぐに新しい社長を立てなければならない。結果としてGMの鈴木徳彦が代表取締役に、そしてホームタウン推進(法人)部長の北川真也が代表権のない取締役社長に、それぞれ就任(のちに北川は代表権を取得)。「北川さんって誰?」と、戸惑いを覚えたサポーターも少なくなかっただろう。

徳川家康と秀忠の例を持ち出すまでもなく、二代目というものは何かと偉大な創業者と比較され、必要以上のプレッシャーを感じながらも、何とか自分のカラーを打ち出そうと悪戦苦闘するのが常である。果たして岡山の場合、どんな社長交代のドラマがあったのか。そして二代目の北川社長とは、どのような人物なのだろうか。


「おまえに断る権利はない」で二代目社長に就任
「(18年)2月のある日、木村さんに呼ばれたんです。まさに(取材を受けている)この会議室で『おまえに(後任社長を)頼みたい』と言われたんですね。いったんはお断りしました。単に売り上げ15~16億円の社長を引き受けるのではない。それ以上に岡山という地域をどうしていきたいのか、明確なビジョンがなければお引き受けしてはいけないと思ったからです。そうしたら次の日にまた呼ばれて、こう言われたんです。『おまえに断る権利はない』って(笑)」

木村から社長引き継ぎの打診を受けた時のことを、北川は昨日のことのように覚えていた。1978年生まれで今年42歳。就任当時は39歳だった。木村がJリーグに引き抜かれることについては「まったく予期していなかったですね。そもそも木村さんがいなくなること自体、誰も想定していなかったので」。加えて北川自身、この時は次のキャリアのことを何となく考えていたタイミングでもあった。

「実は40(歳)で次の道に進もうと思っていて、木村さんにも伝えていたんです。父親とつくった会社を30歳で辞めて、それからクラブにお世話になっていました。次は別の企業に就職するか、自分で会社を起こすか、それともここに残ってトップまで目指すのか。そんな時にいただいたオファーだったので、これは腹をくくるほかないかなと。今にして思うと、木村さんが残らなかったことが、結果として良かったのかもしれないですね。僕自身も含めて、全員が『自分たちでやっていかないと』と思えるようになったので」

ところで今回の取材にあたって、当連載の監修者であるデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社の里崎慎から、ある仮説めいた「宿題」をもらっていた。里崎の見立ては「木村さんと北川さんにはいくつか共通点があるので、引き継ぎは意外とスムーズだったのかもしれないですね」というもの。その続きはこうだ。

「木村さんはゴールドマン・サックス出身らしく、しっかりした経営理念を積み上げてきました。後継者の北川さんも、政治コンサル系というバックボーンをお持ちです。いずれも競技者あがりではなく、なおかつクラブの法人営業を続けてきたという経験も共通しています。おそらく木村さんは、いつか自分がクラブを離れることを想定して、ベースとなる部分は残していたと思うんですよ。それをどう引き継ぎながら、北川さんが独自のカラーを出していこうとしているのか。そのあたりをぜひ、取材してきてください」


「大手を振って、お天道様の下を歩けるかどうか」
先ほどの当人の発言にもあったように、北川は父親と一緒に仕事をしていた時代があった。父親とは、元衆議院議員で元三重県知事の北川正恭。この人物は、選挙におけるマニフェストの提唱者としても知られている。北川家の次男である真也は、父の出身地である三重県に生まれ、東京で育った。以下、当人の回想。

「おやじが国会議員になった時に東京に引っ越して、僕が高1の時に知事になったので、両親が三重に戻ってしまったんですよ。ですから僕は、16歳からひとり暮らしだったんです。その時は野球部にいて、朝から晩まで野球漬けだったものですから、グレる暇がなかったですね(笑)。当時の夢ですか? プロ野球選手(笑)。子供だったんですね」

やがて三重県知事を2期8年勤めた父が「長期政権は癒着が生じる」として不出馬を表明。早稲田大学大学院の公共経営研究科教授に就任し、日本におけるマニフェストのあり方を研究するための個人事務所を設立する。そこで秘書兼事務所のスタッフが必要となり、当時大学4年だった次男に「おまえ、やらないか?」と声をかけた。思いがけないオファーに、北川は少し悩んだそうだ。

「その時、尊敬する方に相談したら『会社勤めは30歳でもできる。政治の根幹である選挙制度に関わる経験は今しかできないんだから、いいんじゃないか?』と言われて、すっかりその気になりましたね(笑)。おやじはずっと政治家をやっていて日々忙しく、プライベートではひとりで切符すら買ったことがないんですよ。ですから、秘書としてのマネジメントだけでなく、会社をどう回していくのかというのを、新卒の若造が経験できたのは大きかったです」

この頃、社会人経験のない24歳の携帯には、誰もが知る有名政治家や大企業の社長の電話番号も記録されていたという。そのプレッシャーは相当なものだったと思うが「とりあえず1年やってみて、ダブルブッキングのようなミスは一度もなかったのは自信になりましたね」。結局、この仕事を6年間続けることになる。この時の経験は、北川にどのような価値観を与えたのだろう。当人の答えは「大手を振って、お天道様の下を歩けるかどうか」という、少し意外なものであった。

「結局のところ政治にしてもスポーツにしても、この国や地域をどう良くしていくか、どう盛り上げていくかというツールでしかないと思うんですよ。そのツールを使うにあたって『大手を振って、お天道様の下を歩けるかどうか』というのって、すごく大事だと思うんです。今の仕事だって、不特定多数のお客さまにサービスを提供しているわけじゃないですか。多くの県民の方々にご理解をいただきながら、皆様が楽しめるサービスを提供させていただいているという意味で、この考え方はすごく大きいなと思います」


法人営業でたたき込まれた「凡事徹底」の精神
それでは、父親の下、政治の世界に身を置いていた元高校球児は、なぜ岡山からJリーグを目指すサッカークラブに転職したのだろうか? きっかけとなったのは、当時ファジアーノ岡山のGMだった池上三六という人物。経産省から東京ヴェルディ、そして地域リーグ時代の岡山を渡り歩いた異色の経歴の持ち主で、父親を通じて知遇を得ることとなる。

「池上さんには、経産省やヴェルディにいた頃からかわいがってもらいました。その人がいるファジアーノって、どんなクラブだろうと調べてみたら、営業募集の広告を見つけたんですよ。それで08年の夏に、岡山と東京で計2回、木村さんに面接していただきました。木村さんの第一印象ですか? 実はほとんどないんですよ。覚えていることといえば、とにかく低姿勢だったこと。それから、賢さをまったく見せなかったことですね」

かくしてJFL時代の08年、北川はファジアーノ岡山に入社する。最初に担当したのは法人営業。「法人営業こそがクラブの生命線」というのが木村のモットーであり、岡山の社員はほぼ全員が営業を経験している。では木村の営業スタイルとは、どのようなものだったのか。まずは北川の先輩にあたる増井哲哉、そして後輩の櫻内光太の証言を紹介しよう。

「地方の中小企業の社長さんって、いきなりアポ取りしても会えないんですよ。ですから木村さんは、毎晩のように社長さんの集まりに顔を出していました。経歴が経歴なので『もうかる株を教えてよ』みたいな感じで(笑)、ファジアーノの話は聞いてもらえなかったですね」(増井)

「営業先の社長さんには、必ず手紙を書いていましたね。それも訪問前、訪問後、そして会食後。経営者の皆さんに自分のことを知っていただくことで、アポイントの取得率も違ってくるということは、僕自身も身を持って経験させていただきました」(櫻内)

よく知られているように、クラブ社長に就任する以前の木村は、30代半ばでゴールドマン・サックスの執行役員というポストにあった。途方もない金額を動かしていたのだろうが、地元企業から数十万円のスポンサー料を得る時も「凡事徹底」の営業努力を惜しまなかったという。その愚直な姿勢は、北川にもしっかりと受け継がれている。

「木村さんからたたき込まれたのは、自分が信用されることで『サッカーはよく分からんけれど、おまえがかわいいから支援するよ』という状況を、どう作っていくかということですね。そのために、常に自分自身を磨き続けることが『凡事徹底』。ここで実績を積んでいけば、全国どこに行っても通用するという確信はありました。ただし、まさか木村さんから社長を引き継ぐとは、あの時まで想像もしていませんでした(笑)」

<後編につづく。文中敬称略>



木村さんの凄いところは、誰しも知っていることなのですが、この2年間で北川さんは随分社長らしくなってきました。昨季、有馬さんを監督に招いた時に「クラブの理念を具現化できる方でなければ、どれだけ優れた実績を持つビッグネームの指導者でも監督には招かない」とおっしゃった言葉をよく覚えています。その時、「この人、只者ではないかも知れない?」と感じたのです。確かに、あの木村さんが後任に選んだのですから、只者では困るのでしょうが(笑)
どちらかというと情念の人という感じだった木村さんに比べたら、かなり分析力に長けた方という印象はあります。これからのクラブを背負うのに足りる方と思っても良さそうですね。

後編でどのように纏めていただけるかは分かりませんが、ファジアーノ岡山というクラブが地元の期待を受けて100年続いて行く為にも、今のこの時期にしっかりと礎を築くことは非常に大切なことです。フロントに信頼できる方が揃っていることが、クラブにとっては重要なポイントです。

北川社長は確かに若いので、不安に感じているサポーターの方も少なくないと思いますが、託して大丈夫と思わせていただけると、少しだけ安堵します。

期待を込めて、後編にも注目したいですね。

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