昭和の頃の日常風景に必ず映り込んだのが「喫茶店」です。今や絶滅危惧種の一つとなってしまった喫茶店の全盛時に私の学生時代がありました。
当時、阪急の関大前駅から関大の正門までの緩い上り坂、その道の両側に私が数えたところでは25店舗もの喫茶店がありました。入学した頃はほぼ純喫茶でしたが、卒業を控えた頃はインベーダー以降のブーム時でもありゲーム喫茶に様変わりしたものもありました。関大での学生生活に喫茶店は常に背景として存在しました。万年金欠の学生ですから、それほど頻繁に喫茶店でコーヒーを飲めることはありませんで、たまのコーヒーは大学内の喫茶部に行く方が多かったのも事実ですが。卒業から30年ほど経った、自分の子供たちが大学に通う頃には、この学生の街に喫茶店と呼べる存在は皆無というるほどの壊滅状態に陥っていました。
喫茶店にはどこに行っても学生の必須アイテムだったコピー機が設置してあり、当時は30円~50円という高値の中で使用していました。学生たちが足元を見られた訳ではありません。コピー機そのものが高価でき稀有な存在であり、それなりのコストがかかっていた時代なのです。200円のコーヒーと10枚500円のコピー代。学生の価値観というものはそういう矛盾の中で磨かれたものでした。ちなみに下宿代は四畳半のワンルームで月に1万円前後、銭湯が100円程度の時代です。その100円の風呂代すらケチらなければならない貧困生活でしたが、生きるにはとても楽しい空間でした。
そんな生活の中に「学生街の喫茶店」があったのです。
『学生街の喫茶店』
作詞:山上路夫
作曲:すぎやまこういち
唄:ガロ
君とよくこの店に 来たものさ
訳もなくお茶を飲み 話したよ
学生でにぎやかな この店の
片隅で聴いていた ボブ・ディラン
あの時の歌は聴こえない
人の姿も変わったよ
時は流れた
あの頃は愛だとは 知らないで
サヨナラも言わないで 別れたよ
君と
君とよくこの店に 来たものさ
訳もなくお茶を飲み 話したよ
窓の外 街路樹が美しい
ドアを開け 君が来る気がするよ
あの時は道に枯れ葉が
音もたてずに舞っていた
時は流れた
あの頃は愛だとは 知らないで
サヨナラも言わないで 別れたよ
君と 君と
この動画に出てくるようなレンガ造りのレトロな喫茶店。必ずありましたよね。関大前にあった「ルーブル」という喫茶店は「幽霊が出る」という噂もありました。
もう一曲。あの頃好きだった曲を・・
『コーヒーショップで』
作詞:阿久悠
作曲:三木たかし
唄:あべ静江
古くから学生の街だった
数々の青春を知っていた
城跡の石段に腰おろし
本を読み涙する人もいた
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターも
今はフォークのギターをひいて
時の流れを見つめてる
服装や髪型が変っても
若いこはいつの日もいいものだ
人生の悲しみや愛のこと
うち開けて誰もみな旅立った
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターの
かれた似顔絵 私は描いて
なぜか心を安めてる
学生の頃、関大前から関大正門に続く学生街というものが、どこの大学に行っても存在するものなのだと思っていました。しかし、それはじきに「そうではない」ことに気付かされます。
それぞれの学校に周辺の条件などが違っている為、駅から大学まで続く学生と周辺住民が共に利用する街というものが、今の時代になって多少の様変わりがあったとしても、そこに存在し続ける関大周辺の学生街にある種の郷愁を感じている今日この頃です。
卒業してから40年以上が経過した今でも懐かしい風景に逢いに訪れたい街並みと母校です。
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