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和泉の日記。

気が向いたときに、ちょっとだけ。

「乃木坂春香の秘密 (11)」読了。

2010-01-17 22:41:05 | 読書感想文。
早くも11巻目ですか。
話進んでねぇー!

そんな「乃木坂春香の秘密」ですが。
まぁ、関係はじわりじわりと進んでるんですかね。
2人、何かもうラブラブじゃないですか。
今回みたいに、特に刺のない話だとものすごい安心して読めます。楽しいです。

とはいえ、次巻は椎名のターンになる模様。
・・・どう考えても負け戦だよ、椎名。
春香の安定感が強すぎて、切なすぎる。
ダメなんだろうなー、これ。
いや椎名エンドになっても困るんだけどさー。

そんな感じで、具体的な動きのない11巻でしたが、12巻は進展がありそうです。
っつーかないと困る。
あんまりどたばたしすぎても困るんですが、完結に向けて畳みに入るタイミングかと。
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ラノべと純文学の棲み分け。

2010-01-17 20:12:17 | いつもの日記。
ちょっと前から考えてたことを、ここでまとめます。

ラノべは文学たり得るか、という問いに対し、一般的には否となることが多いのではないでしょうか。
そもそもラノべと文学は違うのかという点なんですが、個人的見解では違うものと思っています。
しかし、それは何もラノべが低俗で価値が低いからという理由ではありません。
低俗っつったら、純文学だって低俗なこともあるし。
つまり、ラノべと文学の違いはそこではないと思うのです。
ではどこが違うのか。

僕は、「行間」にあると考えます。

文学は行間を読むもの。
ラノべは、書いてある文章そのものを読むもの。
そういう区分で考えるとすっきりするんじゃないでしょうか。

文学は行間を読む必要があるので、解釈の違いが発生し、学問にまで発展します。
前後の文章から推論し、考察し、検証しなければならないのです。
それはつまり学問であり、故に「文学」と呼ばれます。

一方、ラノべは基本その場、その瞬間の文章が全てです。
作中で起こる事象は客観的であり、解釈は唯一となります。
要は、読んだままであり議論の余地がないということです。

追及し、考えるという要素においては文学が勝り、
物語、人物を受動的に娯楽的に楽しむ要素においてはラノべが勝る。

単純に、属性の違いであり優劣を語るべきものではないという考えです。

さて、そのように考えると、何か好きになれないラノべの理由が明らかになります。
僕は、中途半端は駄目だと思うのです。
ラノべなのに行間を読ませる作品は、だから納得がいかないわけですよ。
ラノべは小難しいことを言うな、ということじゃありません。
ラノべレーベルで純文学をやるのは大いに結構。
でも、ラノべをやる、と方針付けた以上、半端に文学するのは駄目です。
ラノべというジャンルでありながら、曖昧な表現、物語を書くのはただの逃避です。
「読者の解釈に委ねます」
なんてのは愚の骨頂。
ラノべなんだったら、解釈は唯一であるべきです。
誰が読んでも、話の筋は同一であるべきです。
感想はもちろん十人十色で良いんですけどね。
だから、ラノべは読んだままの解釈で成立するよう作るのが正解ではないでしょうか。
「どちらの解釈でも成立するぜ!」
ってのは、あれです。神の御業です。究極です。不可能じゃないと思うけど。

と、最近はこの理屈がお気に入り。
自分でラノべ書く時もこの辺に気をつけてます。
コメント (3)
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