「霧島君、申し訳ないのだけど、この問題――教えてくれないかしら」
成績優秀。
謹厳実直。
容姿端麗。
高校入学以来、学年一の成績をキープし続ける脅威の同級生、有田恭夏がそう言った。
「何で、俺に?」
俺は、誰もが思うであろう疑問を口にする。
自慢じゃないが、成績はいつも下から数えた方が早いくらいのレベルだ。良くて真ん中くらい。
そんな俺が、クイーン・オブ・優等生である有田女史に教えることなど何もない。
「他に誰もいないし」
言われて、周囲を見渡す。
放課後の教室には、宿題を忘れた罰として居残りを命じられた俺以外、誰もいなかった。
「っつっても、そもそも有田さんなら俺が教えなくても――」
「ここ」
問答無用、とばかりに参考書を差し出し、該当箇所を指差す有田さん。
よりにもよって、俺の嫌いな数学だった。
じっと有田さんに視線を送る。ダメダメ、俺数学苦手っすから。勘弁してください。
・・・効果はないようだ。
諦めて、俺は参考書に目を通す。
よかった、文章問題だ。数学の中でも、この手のヤツだけは何とかなる。
「ええと」
参考書に直接書き込んでは迷惑かも知れないと思い、机からルーズリーフを1枚取り出す。
カリカリと解法を書きながら、慎重に説明した。
正直、このくらいの問題が有田さんに解けないとは思えないんだけどなぁ。
「――よって、ここの解は-3となる、っと」
カツン、と手癖で解答の末尾に点を打つ。
「これでいいかな?」
解答を記入したルーズリーフを手渡しながら、彼女の様子を伺った。
「ええ、完璧ね」
言って、満足そうに微笑む有田さん。
それは、初めて見る優しい笑顔で。
どくん、と自らの心臓が跳ねたのが分かった。
今になって思えば、たぶん、これがきっかけだったのだろう。
以上、回想という名の現実逃避終わり。
そうかそうか、アレが伏線だったのね。納得納得。
――って、納得するかボケェェェ!!
叫び出したいのを何とかこらえ、俺は目の前の現実を直視する。
そこには、数日前と同じように、有田さんの整った顔があった。
長い黒髪、白い肌、引き締まった口元、そして、少しだけ泣きそうな目元。
あの時と同じくらいの時間、同じ場所。
自分の机の上には、凝りずに忘れた宿題の山。
「ええっと、有田さん? ごめん、何言ってるのかよく分からないんだけど」
「だから! 私は――霧島君のことが、好きなの。付き合って、欲しい・・・」
うおおお、聞き間違いじゃねえ!
マジだ! ガチだ! リアルだ!
頭の中はちょっとした祭りだった。
ワッショイ! ワッショイ! オイサ! オイサ! オイサあばばばばばばb
「迷惑、だった?」
「滅相もない!」
キリッと脊髄反射で答えた。
迷惑だなんてそんなバカな。このシチュエーションで喜ばないヤツは男じゃないね。
ただ、こういう時ってどう反応していいか分かんねー。
・・・・・・気まずい沈黙。
「ごめんなさい。突然こんなこと言われても、困るよね」
苦笑して、有田さんが呟く。
「あんまり後先考えずに行動しちゃった。本当、ごめんなさい」
「い、いや。別に謝ることじゃ、ないし」
すげー嬉しいのは間違いないし。
考えたこともない事態にパニクってる自分が死ぬほど情けない。
それにしても。
あの有田さんでも、後先考えずに動くことがあるんだなぁ。
そう思うと、何だか妙に可愛らしくて。思わず噴き出してしまいそうだった。
「ああ、本当、恥ずかしいわ。我ながら何やってるのかしら」
どうも混乱してるのは俺だけではなかったらしい。
赤く染まった頬を両手で隠しながら、彼女は続ける。
「と、とにかく。今すぐ答えを出すなんて、無理・・・なのよね?」
「え。えと、まぁ、その・・・はは」
こう見えて結構優柔不断でして。
「だったら、望みはあるって考えても問題ないかしら」
「そ、それはもう。有田さんは・・・綺麗で、格好よくて。逆に俺なんか」
「じゃあ、こういうのはどう? これから1週間、お試し期間を設けるの」
「お試し期間?」
「そう。友達以上恋人未満期間と言い換えてもいいわ。その期間中に、私を試して頂戴」
それは何とも魅力的な提案だ。優柔不断な俺には理想だと言える。
でも。
「そんな、俺にばかり都合のいいことして、いいのかな」
「いいのよ。貴方は試す立場なんだから。私はいわば挑戦者ね」
何とも男前な意見だ。実に格好いい。
「じゃあ、交渉成立ってことで。明日から1週間、よろしくね」
「あ――」
一方的に言うだけ言って、有田さんは教室から出て行ってしまった。
恥ずかしくなって逃げた・・・とかじゃないよなぁ。どう見ても。
何というか、結構マイペースな人らしい。
「あはは」
呆然として、ひとりの教室で乾いた笑いを漏らす。
まだ少し、夢なんじゃないだろうかと疑っていた。
ええ、ヘタレですとも。
有田恭夏。
成績は文句なしの学年トップ、1年前期からクラス委員長を務め、先日後期委員長にも当選した。
っていうか、他に彼女の跡を継げる人間がいなかったので自然そうなった。
一方、スポーツも万能。
部活に入っていない彼女は、常にどこかしらの運動部からスカウトされている。
この間は陸上部とガチで100メートル走勝負して部の歴代記録を塗り替えたとか。
要するに、いわゆる完璧超人である。
同じクラスになって約半年、彼女が失態らしい失態、ミスらしいミスをやらかした覚えがない。
さて、片や俺――霧島葉桐はと言うと。
成績は中の下。進学校であるこの高校でついていくのがやっとのレベル。
スポーツはまぁ並くらい。
全体としては、可もなく不可もなく、くらいかな。
特別イケメンでもないし、クラスでは空気的な存在なんじゃないだろうか。
ちなみに、文芸部所属。幽霊部員だけど。
友達からは、似合わねえと口を揃えて言われている。うるせーよ。
・・・一日のシメ、ホームルーム中。
担任の話を適当に聞き流しながら、最前列に座る有田さんの後ろ姿を眺めていた。
こんな俺のことを、好き、ねえ。
何かの罰ゲームだろうか。にしては、オチまでのタメが長すぎるよな。
昨日の告白直後から、遅くとも今日の朝までには「ドッキリ大成功!」とやらないと。
ううむ。謎である。
いや、繰り返すが嬉しいのは間違いなく嬉しいのだ。小躍りしたくなるくらい。
生まれてこの方、女の子に告白されたことなんかないからねぇ。
でも、どうしても現実味が感じられない。どこか嘘っぽいのだ。
モテない男の疑心暗鬼と言えばそれまでだけど。
「はぎりん。おーい」
取り敢えず、何も考えずに付き合っちゃえー、と思わなくもない。
それはそれでアリだ。
だけどなー、何つーか、不実だと思うわけよ。それって。
「はぎりん。はーぎーりーん?」
特に取り柄のない俺だけど、誠実さだけは人間として最低限――
ぱこん。
「痛ぇ!」
不意に、頭に衝撃が走った。
振り返ると。
「何だ、秋奈か」
「もう、酷いよはぎりん。アキ、何度も呼んだんだからね?」
そこには、幼馴染であらせられる小坂秋奈が立っていた。
うむ、今日もちっこい。
チワワとかその辺の小型犬を思わせるヤツである。
っていうかコイツ、隣のクラスのはずなんだが。
慌てて周囲を見渡すと、いつの間にかホームルームは終わっていた。
物思いにふけりすぎたぜ・・・。
「で、何だよ。俺はもう帰るぞ」
もう帰れると知ったのは今なんだけどね。
「いやいや、だめだよ。今日は文芸部のみーてぃんぐでしょー」
「ああ・・・」
そういえば、そんなものがあったよーな。
そもそも俺が文芸部なんて柄にもない部に入ったのは、コイツに誘われたからだ。
はぎりん、本好きだよねー。
じゃ、一緒に文芸部入ろー。
漫画も小説も、はぎりんが好きそうなやつ読み放題らしいよ?
――とかなんとか。
実際、俺は暇さえあれば本を読んでいる。内容は問わない。
絵本だろうが図鑑だろうが哲学書だろうが、活字が読めればそれでいいのだ。
何でそれで学校の成績は悪いんだろうね、と親は不思議がるが、そりゃあ、ねえ。
俺、ベンキョー嫌いだしー。
人に強制されて読むのは嫌だしー。
従って、活字が書いてあっても教科書だけは例外だった。
あんなの読むヤツの気が知れない。
同じ理由で、文芸部の部室で本を読むのも何か嫌だった。
いや、部室は非常に快適で、週に一度くらいは顔を出すんだけどね。
本は、自分の好きな場所で好きな時に好きなように読むのが俺のスタイルなんだよ。
「・・・うん、やっぱ今日はパス。秋奈、代わりに出といてよ」
「えええ? ちょ、意味が分からないよぅ」
「霧島はお腹が痛いので帰りました、でも可」
「そんな嘘っぽい言い訳、だめだってばー」
「今日は帰って漫画を読むのだ」
「むぅ、みーてぃんぐの後、部室で読めばいいじゃない」
「気が乗らねえ」
「ひどっ」
泣きそうになる秋奈。
うんうん、いい表情だ。俺は、幼馴染のこの表情が好きすぎる。
「とにかく、帰るから」
「あうっ。じゃあじゃあ、せめて今度の課題だけは忘れないでね?」
「課題かぁ」
課題、というのは、文芸部の活動のひとつである。
月に一度顧問の先生からお題が出され、それに基づいて作品を提出するのだ。
ちなみに、今月のお題は「文化祭」。
そのまま今年の文化祭用に作る文芸部冊子に掲載されるらしい。
「期限は月末だから」
「ちっ。わーったよ」
ぶっちゃけ、俺は読む方専門なのである。
しかし、この課題をすっぽかすようなことがあるとあの快適な部室が使えなくなる。
だから俺は、毎回原稿用紙4~5枚の雑な短編小説をでっちあげて凌いでいた。
今回も適当にやっつけるかー。1時間もあれば書けるだろー。
俺は、薄っぺらいカバンを手に取ると、そそくさと教室を後にした。
廊下に出たところで、ばったりと有田さんにでくわした。
「今、帰りかしら?」
「あ、う、うん。そうだけど」
うわぁ、超気まずいんですけど。なんつーか、まともに顔が見れない。
有田さんの方は特にそんなこともないのか、こともなげに
「じゃあ、ちょっと待ってて頂戴。一緒に帰りましょう」
と言ってのけた。
「い、一緒に・・・?」
「ええ、そうよ。お試し期間1日目」
ふふ、といたずらっぽく笑う。
恥ずかしいとか、そういうのはもうなくなったらしい。強い人だよ、まったく。
「今日は委員長の仕事とかないの?」
見たところ、有田さんはプリントの束を抱えている。
それってたぶん、委員長の仕事だろう。
歩いてきた方向から考えて、職員室で押し付けられてきたのかな。
「ないわ。というか、あるけれど明日でも大丈夫」
「いいの?」
「ええ。今は、仕事よりも貴方と一緒に帰ることの方が大事ね」
そりゃあ何とも男冥利に尽きるお言葉ですね。
じゃあ、このプリントを置いてカバン取ってくるわね、と言って彼女は教室へ入った。
「はぎりん。今の、有田さん?」
「うおおお!」
背後から声をかけてきたのは秋奈。
「お前、まだ部室行ってなかったのかよ」
「今から行くところー」
「そうか。じゃあ、お先に」
「うん・・・って、そうじゃなくって。はぎりん、有田さんと仲いいの?」
仲いいです。
――って言ってもいいのかな。微妙なところだなぁ。
「うん、まぁまぁ?」
取り敢えず無難な答えにしておいた。
「でも、一緒に帰るんだよね?」
鋭いヤツである。
「・・・うん」
「・・・そっか」
何やら、不機嫌な声色。そして視線。
うっわ、何これ。無理無理、耐えられない。
「な、何だよ。俺が有田さんと仲いいと変か?」
っていうか、隣のクラスの秋奈でも知ってるのか。さすが有名人だな、有田さん。
「べっつにー」
不機嫌メーターMAXのまま秋奈はそう言った。
この居心地の悪さ、何だろうね。俺何か悪いことしましたか?
「お、お前今から部活だろ? 早く行った方がいいんじゃね?」
「うん。言われなくても行きますよーだ」
その割に、動く気ないじゃん。
マジ意味分かんね。どこに不機嫌スイッチがあったんだよ。
と、そこに救いの声が。
「お待たせ、霧島君。帰りましょうか――あら」
有田さん登場。
同時に、彼女は秋奈の存在に気付いた。
「確か隣のクラスの・・・。ええと」
「・・・こんにちは。小坂秋奈、です」
憮然とした態度で返す秋奈。
「小坂さん、こんにちは。霧島君、お知り合いかしら?」
「ああ、紹介するよ有田さん。こいつは――」
「幼馴染、ですっ!」
秋奈にしては珍しく大声で(それでも大したボリュームではないのだが)叫ぶ。
敵意むき出しの視線を――有田さんに。
な、何なに? こいつらもしかして仲悪いの?
でも、有田さんは秋奈のこと知らなかったみたいだけどなあ?
「お、おおさなななじみみ?」
――って、有田さんが壊れた!?
感情を表に出すことのない彼女が、明らかに目を見開いて驚いている。
そして、追い打ちをかけるかのように、
「そうよ、幼馴染っ。アキは、はぎりんの幼馴染ですっ」
ない胸を思い切り張る秋奈。
お前の何がそんなに誇らしいのか。
「ま、まさか・・・そんな。おさななじみ、ですって? それに『はぎりん』・・・?」
有田さんは有田さんで、えらくショックを受けてるし。
そんな、仰け反らなくても。
「こ、こんなことが・・・小さくて可愛い、幼馴染・・・これは危険だわ」
「ふふんっ」
完全に二人の世界。
俺、おいてけぼり。
あれー?
「あ、あのー。有田さん、帰ろうか・・・?」
「「ちょっと黙ってて」」
二人キレイにハモって突っ込んできた。
そして再び睨み合う二人。
俺、やっぱり放置。
何これ。どんな罰ゲームですか。
たっぷり10秒ほど睨み合って。先に動いたのは、秋奈だった。
「じゃあ、はぎりん。アキは部活行くから。次は、はぎりんも顔出してね」
「あ? お、おう・・・」
思わず了承する俺。
「まさか、同じ部活!?」
驚愕する有田さん。
だから何なんだよさっきから!?
「あと、明日は朝迎えに行くね。一緒に登校しよ?」
「朝から迎えに!?」
「いいよね、久しぶりに。家、お向かいなんだからぁ」
「お向かいさん!?」
そこでついに耐えきれなくなったのか、有田さんはがっくりと膝をついた。
それを見て、ふふん、と勝ち誇った顔で立ち去る秋奈。
・・・秋奈、お前いつからそんなキャラになっちゃったんだ。
お兄ちゃんは心配だぞ。
どうにもついて行けない俺は、心の中でそう突っ込んでみた。
それから、足取りふらふらの有田さんと下校した。
と言っても、有田さんは家が遠く、バス通学。
しかもバス停が俺の家と逆方向にあることが判明した。
・・・一緒に下校、できないじゃん。
有田さんは、度重なるショックのせいか放心しきって口が半開きのままであった。
完璧超人・有田恭夏のレア顔ゲットだぜ☆
嬉しくねえよ。