「はぎりん、はぎりん。朝だよー」
ゆさゆさ、と誰かに肩を揺すられる感覚。
何だよ、小学生じゃあるまいし、自分で起きれるよ・・・。
「ほらー、はーぎーりーん」
ゆさゆさゆさゆさ。
ええい、鬱陶しい。
「何だよ・・・母さん? 今、何時・・・?」
「お母さんじゃないよ、アキだよー。今、7時ちょっとかな」
アキ・・・? っていうか、7時?
有り得ない。まだあと30分くらい寝れるじゃねえか。
「もうちょっと寝てる」
せめて目覚ましが鳴るまではそっとしておいて欲しい。
「だーめー。一緒に朝ごはん食べて、学校行くよ?」
「んー・・・」
ん? 一緒に、朝ごはん?
うっすらと目を開けて、声の主を確認する。
「ぅあ、あああ秋奈!? おまっ、何やってんだよ!」
慌てて飛び起きる。秋奈は、そんな俺を見て満足そうに笑い、
「おはよー、はぎりん」
と挨拶をするのだった。
――朝7時、自分の部屋。
もちろん俺は、自分のベッドでがっつり眠っていた。
普段は自前の目覚ましで起きるのだが、今日は何故か秋奈に起こされたようだ。
「・・・おはよう、じゃなくて。何でお前が俺の部屋にいんだよ」
「え? 久しぶりに起こしに来るねって昨日言ったじゃない」
やだなー、はぎりん寝ぼけてるー。とか何とか呟く秋奈。
あー、そういえばそんなことがあったようななかったような。
つーかマジで実行しやがるとは。
確かに、小学校時代まではコイツ毎朝ウチまで迎えに来てたんだよな。
で、一緒に登校、と。
寝坊気味の時は、今みたいに起こしてもらうこともしばしばだった。
「でも、高校生にもなってそれは・・・」
ちょっとツラいものがあるだろう。世間体とか。
「い、いいんだよ。仲良しの幼馴染なんだから、へ、へーきだもん」
俺はあんまり平気じゃねえな。
といっても、今更追い出すわけにもいかないし。仕方ないか。
「じゃあ、まぁ、取り敢えず着替えるから」
「うん」
「・・・居間で待っててくれるか」
「えー」
えー、じゃねえよ馬鹿。
「お前がそこにいたら、着替えられねえだろうが」
「大丈夫、アキは気にしないよ」
「俺が気にするんだよ!」
「もう、お、幼馴染なんだからっ、恥ずかしがることないのにー」
・・・昨日から、やたらと幼馴染ネタで押して来るな。一体どうしたというんだ。
っていうか幼馴染だから大丈夫とか、意味分かんないからね?
無言のまま秋奈を部屋から押し出し、あくびをしながら制服に着替えた。
部屋の外から不満を訴える声が聞こえたが、気にしない気にしない。
ささっと着替え終えると、顔を洗って居間へ。
そこには、母さんと楽しげに会話しながら朝食の準備をする秋奈がいた。
この光景も随分久しぶりだ。
「あ、はぎりん起きてきたー。朝ごはん、用意できてるからね」
「おー。サンキュ」
そして秋奈と一緒に朝食。
意外と、気恥ずかしいような感じはなかった。
むしろこれが自然、みたいな?
ま、それこそ――幼馴染だしな。兄妹みたいなもんだ。
あんたたちいつまで経っても仲いいわねえ、と母さんに茶化されながら朝食を終える。
えへへ、と何やら照れる秋奈を急かし、さっさと家を出た。
時間的には全然余裕あったんだけどな。
さすがに母さんの謎のプレッシャーには耐えられなかった。
このくすぐったさというか、うざったさは何なんだろうね?
そんなこんなで、普段より20分くらい早く学校に着いてしまった。
「いつもこれくらい余裕を持っておかないとだめだよー」
「それは秋奈だけだと思うぞ」
秋奈は、何というか、天然さんだ。
何もないところでコケるし。道端に花が咲いてたら立ち止まるし。
だからまぁ、なるべく余裕を持って家を出るべきなんだろう。
「俺は、いつも通りの時間で大丈夫なんだよ」
実際、この時間には他の生徒もあまりいない――
と思いきや。
「あれ? 有田さん?」
昇降口に有田さんがいた。
「おはよう、霧島君」
「むぅ」
途端、分かりやすく不機嫌になる秋奈。
こいつらはマジで仲悪いな。
「小坂さんも、おはよう」
「・・・おはようございます」
早口で応える。目ェくらい合わせろよお前。
「本当に一緒に登校してるのね」
「あ、今日はたまたま――」
「そうです。幼馴染だから、一緒なんです!」
またしても秋奈の幼馴染押し。俺にも喋らせてくれよ。
不機嫌な秋奈に対して、有田さんは少し余裕を感じさせる。
昨日はあんだけテンパってたのにな。
さすがはミス・パーフェクト、あんな醜態はもう晒さないということか。
「そう、幼馴染ね。仲良しなのは、いいことだわ」
「・・・有田さんは、こんなところで何してるんですか」
「何してるも何も、私も今登校したところよ」
「怪しいなぁ。何か待ち伏せしてたっぽい」
「・・・・・・そんなことないわよ」
一瞬、有田さんの視線が泳いだ気がする。気のせいかな。
「ともかく、丁度よかったわ、霧島君」
「ん?」
「ちょっと霧島君に用があったのよ」
俺に用事? 有田さんが?
珍しいこともあるものだ。
「来月の文化祭の実行委員なんだけど、引き受けてくれないかしら?」
「えぇ!? な、何で俺が?」
「各クラスの委員長は、自分のクラスから実行委員をひとり選出しなければならないの」
「他のヤツでもいいじゃん。何で俺なのさ?」
横暴だ。そんな面倒なこと、俺に丸投げすんなよ。
不満丸出しで抗議すると、委員長はこともなげに言ってのけた。
「会議には、各クラスの実行委員とクラス委員長が出なければならないからよ」
「・・・ごめん、さっぱり意味が分からない」
それが、どうして俺を指名することに繋がるのか。
「ああっ!」
疑問に思う俺の横で、秋奈が悲鳴にも似た声をあげる。
「ああ有田さんっ! 実行委員にはぎりんを選んで、一緒にいる時間を増やす気だぁっ!」
・・・何と!?
え。そ、それって、つまり、そういうこと?
「ご名答」
さらりと答える有田さん。
「ずるいずるいっ。職権乱用ですぅっ」
「あら、正当な権利の行使よ。私は実行委員に霧島君が相応しいから選んだだけ」
「嘘だぁっ。絶対下心ありでしょ、いやらしいっ!」
「何にしても、違うクラスの小坂さんに文句を言われることではないわ」
「うっ・・・」
言いよどむ秋奈。
まぁ、有田さんの言ってることは一応筋が通ってるからな。
に、しても。
「いやいやいや、俺の意見は無視ですか」
「あら、嫌なの?」
「嫌だよそりゃ。委員の仕事なんて、どうせ面倒な割にメリットないんだろう?」
「私と一緒じゃ、嫌?」
「え、いや、それはまぁ」
ぶっちゃけそれはちょっと嬉しいけど。
こんな美人さんと放課後一緒に何かするなんて、まさに青春って感じじゃね?
「はぎりん、だめだよー、流されないでぇっ!」
涙目で訴える秋奈。
おお、そうだそうだ。ここで簡単に流されちゃいけない。
「そ、そうだよ。俺なんかより、他によっぽど適任がいるだろ?」
「いいえ、私は貴方がいいわ」
「お、おおう・・・」
「というよりも、貴方じゃなきゃ嫌。他の人じゃ駄目なの」
「それは・・・こ、光栄ですけど、俺は」
「まぁ確かに、面倒な仕事の割にメリットはないわね。でも」
言いながら、有田さんは一歩こちらへ歩み寄る。
そして、さっと俺の手を取った。
「何かメリットが欲しいなら、私が個人的にお礼をするわよ?」
「お、お礼っ?」
「ええ。ご褒美、と言い換えた方がいいかしら」
「ご褒美!?」
やべえ! 何かそれ超ときめくんですけど!
男子高校生の夢が、そこには詰まっている気がする。
そしてとどめとばかりに、至近距離のままでサラリと長い髪をかき上げる。
同時に、ふわりと広がる何とも言えない素敵な香り。
あー。脳がー。脳が溶ーけーるー。
ご褒美かぁ、欲しーなー。ふへへ。
澄んだ声、すべすべの手、イイ匂い、麗しいお顔。
五感のうち四感を刺激する有田さんの説得に、陥落寸前である。
あと一感ってなんだっけ。ええと、味覚?
・・・味覚!?
味覚って。この場合アレですか。全世界の男子の憧れであるところのアレですかエヘヘ。
「だーめー! はぎりん、だーめーなーのー!」
べしべしべし。
秋奈が、可愛らしい叫び声と共に俺の頭を殴りまくる。
「いてててて! 何だよ秋奈!」
「もう! はぎりん、騙されちゃだめなんだからぁ!」
「な、騙されるってどういう・・・」
「有田さんに騙されてるの! そうでしょ、有田さん!」
ぐい、と有田さんを俺から押しのけ、そのまま睨み付ける。
コイツがここまで強引なことするのって、結構珍しいよな。
「失礼ね、騙すなんてそんなことしてないわ」
「嘘だ嘘だぁっ。自分の都合のいいように、はぎりんを振り回すだけなんだぁっ」
「信じられないって言うのなら、ここで前払いしましょうか?」
すいっ、と再び俺に近寄る有田さん。
そしてそのまま――俺の頬に、軽くキスをした。
「あ、あ、あ、あ、あひゃああああ!」
甲高い悲鳴。秋奈だ。
いや、俺も悲鳴をあげたい気分だよ?
「ふふ、仕事が終わったら――続きをしましょう」
うぉ、うおぅ・・・。
何だろう。
いい匂いがして頬に柔らかいものが触れて耳に少し息がかかって。
ひ、膝が。震える。
キスって、いいなぁ・・・。
「ふふふ不潔ですぅうう!」
叫びながら、秋奈は走り去ってしまった。
追いかけた方がいい、と思ったのだけれど、意に反して足が動かない。
「これくらいでショックを受けるなんて、小坂さんって結構純情なのね」
ふふっ、とどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべる有田さん。ある意味男前である。
俺でも刺激が強すぎるからなぁ。秋奈には相当な衝撃だったのだろう。
「さ、霧島君。教室まで、一緒にイキましょう?」
何でこの人はそんなことをわざわざ耳元で囁くのかね。
もう俺、意識が飛びそう・・・。
午前の授業は、心ここにあらずといった状態だった。
いや、マジ無理。これで平常心を保てるヤツがいたらお目にかかりたいもんだね。
気を抜くと、すぐに例のアレを感触を思い出して・・・おおぅ。
恥ずかしさとか心地よさとかが相まって、ごろごろと床を転げ回りたい気分だ。
やらねえけど。
そんなわけで、気が付けばもう昼休み。
俺は基本、購買部のパンやおにぎりで昼食を済ます。
今日も、いつものようにクラスメートと一緒に購買部へ行こうと思った、矢先。
「霧島君、今日の昼食は購買かしら?」
――有田さんが、声をかけてきた。
「ああ、うん。いつも大体そうだけど」
「丁度よかった。お弁当、二人分作ってきたのだけど一緒にどう?」
そのよく通る声は、ざわついた教室に完全な沈黙をもたらした。
・・・・・・。
直後、女子の好奇の声と、男子の悲鳴。
「きゃあ! 有田さんが霧島君にお弁当!?」
「うおおお、霧島! お前それどういうことだゴルァ!」
「なになに!? ラブラブなの!? 愛妻弁当なの!?」
「呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ」
後半、呪詛みたいなのが聞こえたんですけど。
とまぁ、教室は一瞬にして混乱の渦と化した。
間違いなくクラスNo.1の頭脳と美貌を持つ彼女。男女問わず、ファンは多かった。
その有田さんが発した問題発言を、みんながスルーするとは思えない。
つまりこれは当然の結果である。
しかしその渦の中心であるところの有田さんは、何が起こったか自覚してないご様子。
周りをきょろきょろと伺っては、不思議そうな顔をしている。
「有田さん、と、取り敢えずどこか人のいないところに行こう!」
「え・・・ええ、それがよさそうね」
俺たちは、逃げるように教室を出て行った。
背後からは、憎悪やら悲哀やら好奇心やらに満ちた叫び声が止むことなく聞こえていた。
・・・これ、教室戻ってこれるのかな。
困り果てつつも、ちょっとだけ嬉しいようなむず痒い気持ち。
さて、人がいないところ――俺が目指したのは、文芸部部室である。
一応、部員であれば部室で昼食を摂ることは許可されている。
有田さんは部員ではないが、まぁバレなければ問題ないだろう。
文芸部員は全員で十人くらい。基本、部室で昼飯を食う人はあんまりいないと思うけど。
そこは運任せだな、と思いながら文芸部の扉を開いた。
――誰もいない。
「ふう、よかった。ここなら大丈夫っぽいね」
「ええ。ここ・・・文芸部の部室ね」
珍しいものを見るように、部室を見渡す。
ただの空き教室だから、普通の教室と変わらないんだけどな。
違うところといえば、本棚にいっぱいの小説類があるところか。
漫画は置いてない。俺は持ち込むけどね。
「ここでいつも、どんなことをしているのかしら?」
「んー、俺はひたすら本読んでるかな」
「部室では小説は書かないの?」
「あー、何回か書いたことあるかな。っつか、あれ?」
俺が小説書いてるって、言ったことあるっけ?
「ふふ。面白かったわよ、霧島君の作品」
読まれていた。
・・・うわー! 読まれてたよ! 言ったことあるも何もねえ!
まぁ、部で定期的に発行する冊子には本名で書いてたわけだし、不思議はない。
一般生徒も自由に読めるものだからな。
でも、こんな事態は想定していなかった。馬鹿だ俺。
うう。親にエロ本の隠し場所がバレた時の感覚に似てるなコレ。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと首を吊りたくなっただけ」
「恥ずかしがることないわ。私は――凄いと思った」
「え?」
真面目な口調で、有田さんは語る。
「ほんの3分で読み終わる短編だったし、誤字脱字もあったけど、驚くほど感動した。
――いや、感動するほど驚いたと言うべきかしら。
意外な展開、意外なオチ、流れるような文章。本当に、綺麗だと思ったわ。
それこそ、私の矮小なプライドなんか打ち壊すくらいに」
「そんな・・・大げさだよ」
「これは推測だけれど、あの作品、推敲もしてないでしょう?」
その通り。それどころか、プロットを作ってもいなかった。
漠然とオチを考えて、あとは頭から一発書き。
俺流の手抜きテクニックだった。
「そこが凄いのよ。あの作品は明らかに短時間で書かれていた。信じられないわ」
私には到底真似できない、と締めくくった。
「あんなの・・・やっつけだから。その場凌ぎっていうか、さ」
「そう。貴方にとってはそうなのでしょうね。馬鹿にされた気分だわ」
言葉とは裏腹に、彼女は心底嬉しそうに笑っている。
分からない人だ。
「有田さんは、小説を書いたりするの?」
「しないわ。というか、できないわ」
「できないってことはないだろ?」
この俺にできることが、彼女にできないはずがない。
有田さんは――完璧超人なのだから。
「できないわよ。私にできるのは、勉強だけ」
「俺は勉強もできないよ」
「それは、やってないだけ。貴方の頭のよさは、十分理解してるわ」
あ――もしかして、それってあの日俺に数学の問題を質問した時のことか。
たったあれだけで判断したから、俺のことをデキるやつだと誤解している?
「頭がいいっていうことは、回転が速いということ。知識量じゃないわ」
彼女は、俺の思考を読み取るように、否定した。
そして。うっすらと頬を赤らめ、俺にしなだれかかる。
「貴方は、私が出会った中で最も頭がいい人なのよ」
だから、好き。
耳元で、小さく妖しく、囁いた。
耳たぶに、甘い感触。
ああ、脳が溶ける。痺れる。
「好き。好き。好き。大好き」
なおも彼女は囁き続ける。
「こんな――私が貴方を好きになるきっかけを生んだ場所に連れてくるなんて」
耳たぶから、首筋へと唇をずらす。
舌を這わす。
ぞくぞくと皮膚が粟立つ感覚。たまらない。
「お昼ご飯は、貴方を食べちゃおうかしら――」
「た、たべる、って」
「分かってるくせに」
――うふふ。
有田さんの、淫らな、笑みが。
「そこまで――――――っっっ!」
ガラガラッ! と激しい音をたててドアが開く。
そこに立っていたのは。
「うおおおお、あ、秋奈!?」
「ななな、何やってんにょよ!?」
動揺のあまり甘噛みする秋奈だった。
「・・・・・・残念」
口惜しそうに呟き、俺から離れる有田さん。
「教室にいないから、嫌な予感がしたのよね・・・油断も隙もない!」
にしたって、カンがよすぎだろ、秋奈。
まぁ、なんだ。俺としても、残念だったというより、ちょっと安心したのも事実だし。
まるで、捕食される小動物の気分だった。女性は怖いね。
それから秋奈は、有田さんに詰め寄って激しく言い合いを繰り広げた。
俺はというと、ぐったりと床に座り込んだまま、突っ込むこともできずにいた。
ああ、情けない情けない。
今日はもう、昼飯食えそうもないかなぁ・・・。
有田さんの舌の感触が残る首筋を押さえながら、そんなことを思った。
ゆさゆさ、と誰かに肩を揺すられる感覚。
何だよ、小学生じゃあるまいし、自分で起きれるよ・・・。
「ほらー、はーぎーりーん」
ゆさゆさゆさゆさ。
ええい、鬱陶しい。
「何だよ・・・母さん? 今、何時・・・?」
「お母さんじゃないよ、アキだよー。今、7時ちょっとかな」
アキ・・・? っていうか、7時?
有り得ない。まだあと30分くらい寝れるじゃねえか。
「もうちょっと寝てる」
せめて目覚ましが鳴るまではそっとしておいて欲しい。
「だーめー。一緒に朝ごはん食べて、学校行くよ?」
「んー・・・」
ん? 一緒に、朝ごはん?
うっすらと目を開けて、声の主を確認する。
「ぅあ、あああ秋奈!? おまっ、何やってんだよ!」
慌てて飛び起きる。秋奈は、そんな俺を見て満足そうに笑い、
「おはよー、はぎりん」
と挨拶をするのだった。
――朝7時、自分の部屋。
もちろん俺は、自分のベッドでがっつり眠っていた。
普段は自前の目覚ましで起きるのだが、今日は何故か秋奈に起こされたようだ。
「・・・おはよう、じゃなくて。何でお前が俺の部屋にいんだよ」
「え? 久しぶりに起こしに来るねって昨日言ったじゃない」
やだなー、はぎりん寝ぼけてるー。とか何とか呟く秋奈。
あー、そういえばそんなことがあったようななかったような。
つーかマジで実行しやがるとは。
確かに、小学校時代まではコイツ毎朝ウチまで迎えに来てたんだよな。
で、一緒に登校、と。
寝坊気味の時は、今みたいに起こしてもらうこともしばしばだった。
「でも、高校生にもなってそれは・・・」
ちょっとツラいものがあるだろう。世間体とか。
「い、いいんだよ。仲良しの幼馴染なんだから、へ、へーきだもん」
俺はあんまり平気じゃねえな。
といっても、今更追い出すわけにもいかないし。仕方ないか。
「じゃあ、まぁ、取り敢えず着替えるから」
「うん」
「・・・居間で待っててくれるか」
「えー」
えー、じゃねえよ馬鹿。
「お前がそこにいたら、着替えられねえだろうが」
「大丈夫、アキは気にしないよ」
「俺が気にするんだよ!」
「もう、お、幼馴染なんだからっ、恥ずかしがることないのにー」
・・・昨日から、やたらと幼馴染ネタで押して来るな。一体どうしたというんだ。
っていうか幼馴染だから大丈夫とか、意味分かんないからね?
無言のまま秋奈を部屋から押し出し、あくびをしながら制服に着替えた。
部屋の外から不満を訴える声が聞こえたが、気にしない気にしない。
ささっと着替え終えると、顔を洗って居間へ。
そこには、母さんと楽しげに会話しながら朝食の準備をする秋奈がいた。
この光景も随分久しぶりだ。
「あ、はぎりん起きてきたー。朝ごはん、用意できてるからね」
「おー。サンキュ」
そして秋奈と一緒に朝食。
意外と、気恥ずかしいような感じはなかった。
むしろこれが自然、みたいな?
ま、それこそ――幼馴染だしな。兄妹みたいなもんだ。
あんたたちいつまで経っても仲いいわねえ、と母さんに茶化されながら朝食を終える。
えへへ、と何やら照れる秋奈を急かし、さっさと家を出た。
時間的には全然余裕あったんだけどな。
さすがに母さんの謎のプレッシャーには耐えられなかった。
このくすぐったさというか、うざったさは何なんだろうね?
そんなこんなで、普段より20分くらい早く学校に着いてしまった。
「いつもこれくらい余裕を持っておかないとだめだよー」
「それは秋奈だけだと思うぞ」
秋奈は、何というか、天然さんだ。
何もないところでコケるし。道端に花が咲いてたら立ち止まるし。
だからまぁ、なるべく余裕を持って家を出るべきなんだろう。
「俺は、いつも通りの時間で大丈夫なんだよ」
実際、この時間には他の生徒もあまりいない――
と思いきや。
「あれ? 有田さん?」
昇降口に有田さんがいた。
「おはよう、霧島君」
「むぅ」
途端、分かりやすく不機嫌になる秋奈。
こいつらはマジで仲悪いな。
「小坂さんも、おはよう」
「・・・おはようございます」
早口で応える。目ェくらい合わせろよお前。
「本当に一緒に登校してるのね」
「あ、今日はたまたま――」
「そうです。幼馴染だから、一緒なんです!」
またしても秋奈の幼馴染押し。俺にも喋らせてくれよ。
不機嫌な秋奈に対して、有田さんは少し余裕を感じさせる。
昨日はあんだけテンパってたのにな。
さすがはミス・パーフェクト、あんな醜態はもう晒さないということか。
「そう、幼馴染ね。仲良しなのは、いいことだわ」
「・・・有田さんは、こんなところで何してるんですか」
「何してるも何も、私も今登校したところよ」
「怪しいなぁ。何か待ち伏せしてたっぽい」
「・・・・・・そんなことないわよ」
一瞬、有田さんの視線が泳いだ気がする。気のせいかな。
「ともかく、丁度よかったわ、霧島君」
「ん?」
「ちょっと霧島君に用があったのよ」
俺に用事? 有田さんが?
珍しいこともあるものだ。
「来月の文化祭の実行委員なんだけど、引き受けてくれないかしら?」
「えぇ!? な、何で俺が?」
「各クラスの委員長は、自分のクラスから実行委員をひとり選出しなければならないの」
「他のヤツでもいいじゃん。何で俺なのさ?」
横暴だ。そんな面倒なこと、俺に丸投げすんなよ。
不満丸出しで抗議すると、委員長はこともなげに言ってのけた。
「会議には、各クラスの実行委員とクラス委員長が出なければならないからよ」
「・・・ごめん、さっぱり意味が分からない」
それが、どうして俺を指名することに繋がるのか。
「ああっ!」
疑問に思う俺の横で、秋奈が悲鳴にも似た声をあげる。
「ああ有田さんっ! 実行委員にはぎりんを選んで、一緒にいる時間を増やす気だぁっ!」
・・・何と!?
え。そ、それって、つまり、そういうこと?
「ご名答」
さらりと答える有田さん。
「ずるいずるいっ。職権乱用ですぅっ」
「あら、正当な権利の行使よ。私は実行委員に霧島君が相応しいから選んだだけ」
「嘘だぁっ。絶対下心ありでしょ、いやらしいっ!」
「何にしても、違うクラスの小坂さんに文句を言われることではないわ」
「うっ・・・」
言いよどむ秋奈。
まぁ、有田さんの言ってることは一応筋が通ってるからな。
に、しても。
「いやいやいや、俺の意見は無視ですか」
「あら、嫌なの?」
「嫌だよそりゃ。委員の仕事なんて、どうせ面倒な割にメリットないんだろう?」
「私と一緒じゃ、嫌?」
「え、いや、それはまぁ」
ぶっちゃけそれはちょっと嬉しいけど。
こんな美人さんと放課後一緒に何かするなんて、まさに青春って感じじゃね?
「はぎりん、だめだよー、流されないでぇっ!」
涙目で訴える秋奈。
おお、そうだそうだ。ここで簡単に流されちゃいけない。
「そ、そうだよ。俺なんかより、他によっぽど適任がいるだろ?」
「いいえ、私は貴方がいいわ」
「お、おおう・・・」
「というよりも、貴方じゃなきゃ嫌。他の人じゃ駄目なの」
「それは・・・こ、光栄ですけど、俺は」
「まぁ確かに、面倒な仕事の割にメリットはないわね。でも」
言いながら、有田さんは一歩こちらへ歩み寄る。
そして、さっと俺の手を取った。
「何かメリットが欲しいなら、私が個人的にお礼をするわよ?」
「お、お礼っ?」
「ええ。ご褒美、と言い換えた方がいいかしら」
「ご褒美!?」
やべえ! 何かそれ超ときめくんですけど!
男子高校生の夢が、そこには詰まっている気がする。
そしてとどめとばかりに、至近距離のままでサラリと長い髪をかき上げる。
同時に、ふわりと広がる何とも言えない素敵な香り。
あー。脳がー。脳が溶ーけーるー。
ご褒美かぁ、欲しーなー。ふへへ。
澄んだ声、すべすべの手、イイ匂い、麗しいお顔。
五感のうち四感を刺激する有田さんの説得に、陥落寸前である。
あと一感ってなんだっけ。ええと、味覚?
・・・味覚!?
味覚って。この場合アレですか。全世界の男子の憧れであるところのアレですかエヘヘ。
「だーめー! はぎりん、だーめーなーのー!」
べしべしべし。
秋奈が、可愛らしい叫び声と共に俺の頭を殴りまくる。
「いてててて! 何だよ秋奈!」
「もう! はぎりん、騙されちゃだめなんだからぁ!」
「な、騙されるってどういう・・・」
「有田さんに騙されてるの! そうでしょ、有田さん!」
ぐい、と有田さんを俺から押しのけ、そのまま睨み付ける。
コイツがここまで強引なことするのって、結構珍しいよな。
「失礼ね、騙すなんてそんなことしてないわ」
「嘘だ嘘だぁっ。自分の都合のいいように、はぎりんを振り回すだけなんだぁっ」
「信じられないって言うのなら、ここで前払いしましょうか?」
すいっ、と再び俺に近寄る有田さん。
そしてそのまま――俺の頬に、軽くキスをした。
「あ、あ、あ、あ、あひゃああああ!」
甲高い悲鳴。秋奈だ。
いや、俺も悲鳴をあげたい気分だよ?
「ふふ、仕事が終わったら――続きをしましょう」
うぉ、うおぅ・・・。
何だろう。
いい匂いがして頬に柔らかいものが触れて耳に少し息がかかって。
ひ、膝が。震える。
キスって、いいなぁ・・・。
「ふふふ不潔ですぅうう!」
叫びながら、秋奈は走り去ってしまった。
追いかけた方がいい、と思ったのだけれど、意に反して足が動かない。
「これくらいでショックを受けるなんて、小坂さんって結構純情なのね」
ふふっ、とどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべる有田さん。ある意味男前である。
俺でも刺激が強すぎるからなぁ。秋奈には相当な衝撃だったのだろう。
「さ、霧島君。教室まで、一緒にイキましょう?」
何でこの人はそんなことをわざわざ耳元で囁くのかね。
もう俺、意識が飛びそう・・・。
午前の授業は、心ここにあらずといった状態だった。
いや、マジ無理。これで平常心を保てるヤツがいたらお目にかかりたいもんだね。
気を抜くと、すぐに例のアレを感触を思い出して・・・おおぅ。
恥ずかしさとか心地よさとかが相まって、ごろごろと床を転げ回りたい気分だ。
やらねえけど。
そんなわけで、気が付けばもう昼休み。
俺は基本、購買部のパンやおにぎりで昼食を済ます。
今日も、いつものようにクラスメートと一緒に購買部へ行こうと思った、矢先。
「霧島君、今日の昼食は購買かしら?」
――有田さんが、声をかけてきた。
「ああ、うん。いつも大体そうだけど」
「丁度よかった。お弁当、二人分作ってきたのだけど一緒にどう?」
そのよく通る声は、ざわついた教室に完全な沈黙をもたらした。
・・・・・・。
直後、女子の好奇の声と、男子の悲鳴。
「きゃあ! 有田さんが霧島君にお弁当!?」
「うおおお、霧島! お前それどういうことだゴルァ!」
「なになに!? ラブラブなの!? 愛妻弁当なの!?」
「呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ」
後半、呪詛みたいなのが聞こえたんですけど。
とまぁ、教室は一瞬にして混乱の渦と化した。
間違いなくクラスNo.1の頭脳と美貌を持つ彼女。男女問わず、ファンは多かった。
その有田さんが発した問題発言を、みんながスルーするとは思えない。
つまりこれは当然の結果である。
しかしその渦の中心であるところの有田さんは、何が起こったか自覚してないご様子。
周りをきょろきょろと伺っては、不思議そうな顔をしている。
「有田さん、と、取り敢えずどこか人のいないところに行こう!」
「え・・・ええ、それがよさそうね」
俺たちは、逃げるように教室を出て行った。
背後からは、憎悪やら悲哀やら好奇心やらに満ちた叫び声が止むことなく聞こえていた。
・・・これ、教室戻ってこれるのかな。
困り果てつつも、ちょっとだけ嬉しいようなむず痒い気持ち。
さて、人がいないところ――俺が目指したのは、文芸部部室である。
一応、部員であれば部室で昼食を摂ることは許可されている。
有田さんは部員ではないが、まぁバレなければ問題ないだろう。
文芸部員は全員で十人くらい。基本、部室で昼飯を食う人はあんまりいないと思うけど。
そこは運任せだな、と思いながら文芸部の扉を開いた。
――誰もいない。
「ふう、よかった。ここなら大丈夫っぽいね」
「ええ。ここ・・・文芸部の部室ね」
珍しいものを見るように、部室を見渡す。
ただの空き教室だから、普通の教室と変わらないんだけどな。
違うところといえば、本棚にいっぱいの小説類があるところか。
漫画は置いてない。俺は持ち込むけどね。
「ここでいつも、どんなことをしているのかしら?」
「んー、俺はひたすら本読んでるかな」
「部室では小説は書かないの?」
「あー、何回か書いたことあるかな。っつか、あれ?」
俺が小説書いてるって、言ったことあるっけ?
「ふふ。面白かったわよ、霧島君の作品」
読まれていた。
・・・うわー! 読まれてたよ! 言ったことあるも何もねえ!
まぁ、部で定期的に発行する冊子には本名で書いてたわけだし、不思議はない。
一般生徒も自由に読めるものだからな。
でも、こんな事態は想定していなかった。馬鹿だ俺。
うう。親にエロ本の隠し場所がバレた時の感覚に似てるなコレ。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと首を吊りたくなっただけ」
「恥ずかしがることないわ。私は――凄いと思った」
「え?」
真面目な口調で、有田さんは語る。
「ほんの3分で読み終わる短編だったし、誤字脱字もあったけど、驚くほど感動した。
――いや、感動するほど驚いたと言うべきかしら。
意外な展開、意外なオチ、流れるような文章。本当に、綺麗だと思ったわ。
それこそ、私の矮小なプライドなんか打ち壊すくらいに」
「そんな・・・大げさだよ」
「これは推測だけれど、あの作品、推敲もしてないでしょう?」
その通り。それどころか、プロットを作ってもいなかった。
漠然とオチを考えて、あとは頭から一発書き。
俺流の手抜きテクニックだった。
「そこが凄いのよ。あの作品は明らかに短時間で書かれていた。信じられないわ」
私には到底真似できない、と締めくくった。
「あんなの・・・やっつけだから。その場凌ぎっていうか、さ」
「そう。貴方にとってはそうなのでしょうね。馬鹿にされた気分だわ」
言葉とは裏腹に、彼女は心底嬉しそうに笑っている。
分からない人だ。
「有田さんは、小説を書いたりするの?」
「しないわ。というか、できないわ」
「できないってことはないだろ?」
この俺にできることが、彼女にできないはずがない。
有田さんは――完璧超人なのだから。
「できないわよ。私にできるのは、勉強だけ」
「俺は勉強もできないよ」
「それは、やってないだけ。貴方の頭のよさは、十分理解してるわ」
あ――もしかして、それってあの日俺に数学の問題を質問した時のことか。
たったあれだけで判断したから、俺のことをデキるやつだと誤解している?
「頭がいいっていうことは、回転が速いということ。知識量じゃないわ」
彼女は、俺の思考を読み取るように、否定した。
そして。うっすらと頬を赤らめ、俺にしなだれかかる。
「貴方は、私が出会った中で最も頭がいい人なのよ」
だから、好き。
耳元で、小さく妖しく、囁いた。
耳たぶに、甘い感触。
ああ、脳が溶ける。痺れる。
「好き。好き。好き。大好き」
なおも彼女は囁き続ける。
「こんな――私が貴方を好きになるきっかけを生んだ場所に連れてくるなんて」
耳たぶから、首筋へと唇をずらす。
舌を這わす。
ぞくぞくと皮膚が粟立つ感覚。たまらない。
「お昼ご飯は、貴方を食べちゃおうかしら――」
「た、たべる、って」
「分かってるくせに」
――うふふ。
有田さんの、淫らな、笑みが。
「そこまで――――――っっっ!」
ガラガラッ! と激しい音をたててドアが開く。
そこに立っていたのは。
「うおおおお、あ、秋奈!?」
「ななな、何やってんにょよ!?」
動揺のあまり甘噛みする秋奈だった。
「・・・・・・残念」
口惜しそうに呟き、俺から離れる有田さん。
「教室にいないから、嫌な予感がしたのよね・・・油断も隙もない!」
にしたって、カンがよすぎだろ、秋奈。
まぁ、なんだ。俺としても、残念だったというより、ちょっと安心したのも事実だし。
まるで、捕食される小動物の気分だった。女性は怖いね。
それから秋奈は、有田さんに詰め寄って激しく言い合いを繰り広げた。
俺はというと、ぐったりと床に座り込んだまま、突っ込むこともできずにいた。
ああ、情けない情けない。
今日はもう、昼飯食えそうもないかなぁ・・・。
有田さんの舌の感触が残る首筋を押さえながら、そんなことを思った。