今年も終わろうとしている。
メディアの一年の出来事を振り返る報道が
目立つようになり、否応にも暮れが迫ったことを
突き付けられる。
人並みに吾も来し方を振り返る。年毎いの事だが
想いは幼少の頃へとタイムスリップする。
その地は、西から東の灘へ落ち込む南向きの斜面に
あった。その集落の戸数は10軒ほどで、今でも住んでいた
人達を記憶している。当初は電灯もなく石油ランプの灯りで
暮らしていました。電気が通じたのは小学2年か3年頃だったと
記憶している。昭和30年初めの頃のことです。
インフラの貧しさが有ったものの、自然は抱変えきれぬ程
あり文字どうり山裾がテリトリー。みかん、柿、スモモにビワ
栗、ニッキの木などもあり黙って頂戴する時代でした。
たまには、日の丸弁当ぶら下げて500m程の頂上まで一番乗りを
競ったり、途中で陣地作りをし失敬した獲得物を食べたものです。
学校から帰ると、母が畑で自家用の野菜を作っている上を、暖かい、
涼しい、冷たい季節ごとの風が吹き抜けてゆく。
終着が見え隠れする齢の今、過ぎた日の想い出ばかりが駆け巡る。
吾の原風景・・・。
合掌