以前にシリウスと瓊瓊杵尊について述べましたが、それについて最新の考察を報告します。
すでに国立民俗博物館の報告により「縄文」から「弥生」への以降は従来考えられていたよりもかなり遡上する時期であったことが明らかとされています。これは「土器」などに付着した有機質について放射性炭素の崩壊量などの測定から導き出されたものですが、近年その時期についてはいろいろ意見が出されており、たとえば熊本大学の甲元眞之氏を代表とする「考古学資料に基づく「寒冷化」現象把握のための基礎的研究」(「kaken」(科学研究費助成データベース)研究課題番号:17652074 2005年度~2006年度)によれば、「乾燥化」「寒冷化」に伴う砂丘・砂堤・砂地の形成状況を分析することで寒冷化の時期を特定することができるとされ、結論として「…西日本の沿岸地域での事例では、縄文時代早期と前期、前期と中期の境目、後期の後半の中頃、縄文時代と弥生時代の境目、弥生時代後期終末直前、古墳時代中期前半期にそれぞれ砂丘が形成されていたことが確認される。」とされ、さらに「その中でも重要なのは、縄文時代と弥生時代を画する時期に寒冷乾燥化した現象が認められる。」と結論付けています。結局縄文から弥生への移行は全地球的気候変動がその背景にあったとし、それは「紀元前七五〇年前後」という時期であったとされているわけです。
ほかにも同様に八世紀半ばという研究が出ており、私見ではこの年代が最も推定として合理的と考えられます。
この「紀元前八世紀付近」に全地球的な気候変動があったというのは「ギリシャ」や「ローマ」で人々が移動や植民を多く行った時期がまさにその時期であったことからもいえることです。
例えば「ギリシャ」で「ポリス」という小国家群が成立するのもこの時期ですし、それは「山間」など川沿いの地が選ばれそこに集落の連合体のようなものが形成されたとされますが、これが気候変動による集落間の土地や収穫物の奪い合いや各部族間同士の抗争という危機的状況が生み出した防御的制度と言うことも言えるでしょう。それを示すように核となる領域である都市部分は城壁の中に形成されていました。それらの都市の中心は「アクロポリス」と呼ばれ「砦」であると同時に「神殿」でもあったものです。
またギリシャ地域からシチリア島」への植民もこの時期に行われたものであり、その理由も気候変動による民族移動の中で理解すべきものでしょう。
さらに同様の理由で「ローマ」でも都市国家が作られていきました。やはり紀元前八世紀ごろ、ラテン人がテベレ川下流域に建てた都市国家に始まるとされていますす。
また「イスラエル」はこの時期に「アッシリア」に滅ぼされますが、これも「アッシリア」の勢力の中心領域において外部への強力な侵攻圧力が発生したことを示しますが、その理由も全く同様と思われます。この結果「イスラエル」から多数の人々が連れ去られましたが、明らかに奴隷として農業などに駆り出され生産力増強の一助とされたものでしょう。
また地中海貿易の盟主であった「カルタゴ」の建国もこの時期であり、この地域で確認できる最も古い遺跡は「紀元前八世紀」のものです。
さらに中国ではちょうど「周王朝」が衰亡する時期に当たっています。周辺地域からの侵入が増加し(これも気候変動による食料確保がその下地にあったものでしょう)、それを支えきれなくなって「春秋戦国時代」が始まるわけです。
またインドでは「ブラーフマナ」(ヴェーダの祭儀書)が成立し「祭式万能」という時代が現われますが、それも「神に頼る」という素朴なこと以外に救いのない時代が発生したことを意味すると思われ、やはり「貧困」と「飢餓」そして「疫病」という困難に直面したことを推定させますが、それもまた「気候変動」という原因の中に収斂されるものと思われるわけです。
このように全地球的な民族移動や侵攻と征服やそれに対抗する都市の誕生などが確認されるわけですが、弥生時代の始まりと同様「食料の確保」という至上命題が各地の人々に突き付けられていたことが推定されるわけです。
このように地球寒冷化がこの時期起きていたことは間違いないものと思われますが、その原因については深く考慮された形跡がありません。
通常寒冷化のもっとも大きな要因は地球が外部から受ける輻射熱の減少であると思われ、火山の噴火による大気中のエアロゾルの増加が最も考えやすいものです。しかし、基本的に火山噴火のエアロゾルはかなり大きなサイズのものが多く、成層圏まで到達したとしてもその多くが早々に落下していったものと思われます。つまり火山による影響はよほど大規模で連続的噴火でない限り短期的であり、時代の画期となるほどの大規模で長期的なものの原因とはなりにくいと思われます。
ところで「古代ローマ」の風習であった「ロビガリア」(Robigalia)では、「作物」が寒冷化や日照りなどで生育が不順とならないように「ロビゴ」(Robigo)という「神」(「Robigus」という男性神ともいわれています)に「生贄」を捧げるとされています。それが「赤犬」(子犬)であったものです。
この「ロビガリア」の起源は伝説では「紀元前七五〇年付近」の第二代の王である「Numa Pompilius」が定めたとされています。それは四月二十五日に「赤犬」を「生贄」にすることで「Robigo」という女神を祭り、「小麦」が「赤カビ」「赤いシミ」が発生するような「病気」やそれを誘発する「旱魃」に遭わないようにするためのものであったとされます。
さらに紀元前四十七年の生まれとされる「Ovid」の『Fasti』という詩集の中では「司祭」に対して「なぜ四月二十五日に赤犬を生贄にするのか」という問いに対し「司祭」は「シリウスは犬星(The Dog star)と呼ばれ太陽と共に上ることと関係している」として、「それと炎暑が同時に起きるから」と答えています。このことからこの伝承の当初から「赤犬」は「シリウス」に対して捧げられていたと考えられ「ロビゴ」とは「シリウス」の農耕神としての側面の名前ではなかったかと考えられることとなります。(司祭の奉じる儀式はその起源から大きくは変えられていないものと思われますから、「シリウス」の存在自体が「ロビゴ」の起源と深くかかわっていることが推定できるでしょう。)
そもそも一般に「祭る」という行為は、その祭られる対象が邪悪であったり、不幸を呼ぶものである場合などに、その力を封じ込めるために行うのが原初的なものと思われ、その意味で「ロビゴ」とは「気候不順」という「災厄」を招くものであったことが推測できます。それは「ロビガリア」の祭儀の中で司祭が述べる祭文の中にも表れています。そこでは「Cruel Robigo」と呼びかけられており(※1)、「Cruel」つまり「残酷な」という形容が「ロビゴ」に対して行われているわけであり、そこに「ロビゴ」という神の本質が現れているといってもいいでしょう。つまり「シリウス」が気候不順を招いた張本人であると考えられることとなるわけです。
つまりこの寒冷化(気候不順)が発生したと考えられる年次付近でこの儀式も発生しているわけですが、その後の「ローマ」では「真夏の暑さ」の原因として「太陽とシリウスが同時に出ているから」として、シリウスに対して「赤犬」を生贄にする儀式が行われていたとされます。しかし「シリウス」といえど「星」なのですから、その出番は夜であるはずです。それを踏まえると不審の残る表現と言えるでしょう。これを整合的に理解しようとすると、「シリウス」は昼間でも見えていたという結論にならざるを得ません。そう考えたとき初めて全てのことが理解できるのではないでしょうか。
つまり、太陽とシリウスが両方とも同時に見えて初めて夏の暑い理由を(あるいは責任を)「シリウス」という存在に帰することができるわけです。太陽がなければ見えているはずといってもそれは他の星も全く同様ですから、特にそれがシリウスの場合にだけ展開される論理とはできないはずです。
また「バビロン」の遺跡から発掘されたいわゆる「粘土板」の中に「シリウス」が昼間も肉眼で見えたという意味の記録があるとされ、そのことから「紀元前」のかなり早い時期にシリウスの新星爆発とそれに伴う増光があったと見られることとなります。それを理論的に説明したものがイギリスの科学雑誌ネイチャーに以前掲載されていたのが確認できます。(※2)そこでは紫外領域においてシリウスの伴星から何らかの噴出物があるように見えることなどからシリウス伴星において熱的中性子の暴走反応の存在を措定しています。それほどドラスティックな反応や規模ではなかったとしても何らかのシリウスAからBへの質量移動に伴う核融合反応が起きたと推定することはそれほど荒唐無稽ではないと思われます。
(※1)「Cruel Robigo, do not injure the young wheat; let its tender tip quiver on the surface of the ground. I beg you to allow the crop, nurtured under heaven’s propitious stars, to grow until it is ripe for harvest. Yours is no gentle power. The wheat which you have marked, the sorrowful farmer counts as already lost ? 」“A prayer to Robigo” written by Ovid, the poet.」
(※2)Frederick C. Bruhweiler, Yoji Kondo & Edward M. Sion「The historical record for Sirius: evidence for a white-dwarf thermonuclear runaway?」(Nature 324, 235 - 237 1986) 及び Schlosser W, Bergmann W 「An early-medieval account on the red color of Sirius and its astrophysical implications」(Nature 318, 45 - 46 1985) 等