cogito ergo sum

日々の雑感・料理レシピ・KinKi Kidsに関することなど…
好きなものを気ままに綴るMy Style♪

芸術について。

2008-06-03 | Weblog
…ずいぶんでかいタイトルなんですけど
ま、ちょっと最近考えているコトを話させてください。

とあるキュレーターさんの話で
「芸術はナマモノですから…」というコメントを耳にしました。
“ナマモノ”。
確かに。
受け取るときの環境、そのときの体調、気持ち、タイミング、空気…
いろいろなものに左右されて受け取られる、
その通りだと思います。
それに少し私の意見をプラスさせていただくと、
ナマモノ、から一歩進んで、“半調理品、加工食品”といったところでしょうか。
そのまま、何も考えず食べても、それなりにおなかいっぱいにはなる、
そしてよくできたものは、ぼんやり食べても、ほかとの違いもなんとなくは感じられ、それなりにおいしい。
だけど、急に周りの評価が高まっていると、実質以上に美味しく感じられたり、逆に屈折した感情から粗が目立つ、まずいもののように感じられたりもする。
触れる前に入った情報による期待が高くても同じ。
そして食べるときの環境にも大きく左右され、好み、と感じられたり、もう二度と要らない、と思ったりする。
ただそのまま食べるだけでもない。
自分で工夫を加えて食べることもある。
そうすると、さらに美味しく感じられたり、ときには失敗してまずくなったりするけれど、そのまま食べていただけのときよりも、そのものの味の特徴、性質、傾向がよく見えてくる。
時期をはずしたり、悪い環境に放置しておいたりして保存に失敗し、腐敗させてしまうこともある。
そんな場合、たいていはダメにしてしまうけれど、ごく「まれ」ながら、ときには、よい“発酵”“熟成”となって、新たな魅力をまとうこともある。

…ね。
すごく似てると思いません???
少々ムリがあるかな
でも、ほんとそういう感じ、あるものじゃないかな、と私は思います。

作者が作ったモノ、
それは突き詰めるところ、何らかの模倣であって、見過ごされ、流されていくと、それ単体では、どんなすばらしいものも輝きをもって立ち現れることはナイ。
それをうけとめる、食べる人との関係性があって、カタチを成す。
それぞれの受容経験は完全なオリジナルであって、作品とさまざまな化学反応を起こすように、よい現象を引き起こすことも悪い現象を引き起こすこともある。
でもそういう「隙」があるからこそ、芸術は芸術たるのであって、その他者にはわからないけれど、それぞれの中にあるオリジナルな経験を、人はどこかで常に追い求めているからこそ、芸術は死ぬことがないのだろうと思う。
単体で完全なオリジナル、なんて、人間の表現である以上ありえない。
だけど、それぞれが触れて感じた今の一瞬一瞬、それは絶対に予測されるものでもなく、過去にも未来にも同一はない、模倣でない独創。
そのキャッチボールのような、簡単に時空をも越えうるコミュニケーション、それを自ら発信しようとする、それが芸術家の試み、といえるのではないかと思っています。
「ナマモノ」と表現したキュレーターさんは、
だから芸術に触れるときは、なるだけほかの要素が入ってこないように…
というお話だったのですが、
私はそう思う人は、
その芸術に触れるにあたって、そう心がけたい、という気になった人は、
そうすればいい、
でも、そういう気にならない、というのもまったくアリ、だと思うんです。
だいたいにおいて、完全に他の影響する要素を排除して純粋に、なんてムリなわけで、その人の考えを作ってきたもの、過去、今、環境、気分、すべてがいかに感じるか、体験するかに影響してくる、
そういうものだと思うんです。
だから余計なものを排除したい、と思う人は“余計”と自分が考えるものを排除して体験することが、自分の意思を持った体験になり、誰がなんといおうが、その人にとっての、その芸術と向き合う、ということになる、だろうし、
逆にそんなことは気にならない、むしろこういう環境の中でこそ体験したい、見えてくるものがある、と感じる人もいるかもしれない。。。
どのように、を具体的に指示することは、発信者である表現者の希望として伝えるならいざ知らず、一般的、の見地から決め込んでしまう、それが正しいかのように簡単に言ってしまうのは、なんだか幅をせまくしてしまっているようで、少々違うような気がするのです。
もちろん、社会の中に置くのですから、常識的ルールはあります。
妨害とか、破壊とかはしない、とかね
でも、必要以上に見方、体験の仕方、環境、イメージ、を、第三者であるまわりが、定めてしまう必要はないと思うんです。

基本的にはね、環境によって大きく変化する、受容が違ってくる、
“生きたモノ”
なんだ、というところは同感なんですが、そこがちょっと私の考えと違うかな、と思いました。
ま、“加工食品、半調理品”としたかったのは“ナマモノ”としてイメージされるものより、発信者の努力をもう少し尊重したかった、というところと、そのままでは、見た目が違うように見えるものもやはり何かの模倣であるというところ、でも、そしてそれが模倣だからといってそこでで終わるのではなく、究極、受容側も参加して、それぞれの中に、関係性の中に完成する、と信じたいというところ、から、かな

今日はなんだかぐじゃぐじゃと意味不明な自論を繰り広げてしまいましたが
芸術の正体とは、生きていくなかで人間が表現するということはどういうことなのか、独創ってなんなのか、これらは常に私の中にある大きな問題、で…
答えはきっと出ないと思いますが、「今のところの思い」を、耳にした言葉をきっかけに、ちょっとまとめておきたい気になったので書いてみました。
あまりまとまっていないのですが、ご意見ありましたら、ぜひお聞かせください☆
コメント欄でお願いします。

しかしこう、益体もナイことに、なんで熱くなってるんでしょうねぇ(笑)
自分でもそう思ってしまいます
でも、人間なんてムダだらけ。
そして益体もないことこそ、無駄こそ、美しくおもしろい

…なんてね。
とはいえ、たまには役に立つこともしなきゃな
善処シマス。

今日のレシピです

・小スルメイカのグリエ …①
・Wねぎのパイ …②
・苦瓜と水菜のサラダ …③

①の作り方
1 スルメイカは墨袋とくちばし、骨、目を取り除き、さっと洗う
2 軽く塩をしてバットに並べ、2~3時間ほど風干しにする
3 キャベツとインゲンはゆでておく
4 スライスしたにんにくと鷹の爪をオリーブオイルとともにフライパンに入れ、加熱してキツネ色になって香りが立ってきたら取り出す
5 4のオイルに2のイカを入れてグリルする
6 イカに火が通ったら、3のキャベツとインゲン、黒オリーブ(種抜き)、粗みじん切りにした青しそを入れて、塩こしょうで調味する
7 皿に盛り付けて、オリーブオイルをまわしかける

※塩をして軽く干しておくことで、イカは鮮やかな色が保たれ、味もしっかりと仕上がります

②の作り方
1 長ネギは6センチくらいに切り、縦6分割くらいにする
2 赤たまねぎをスライスする
3 パイシートを適宜カットして、オーブンで焼く
4 焼けたパイシートの上に1,2のねぎ類をのせ、塩こしょうをして、好みのナチュラルチーズをのせる
5 オーブンでねぎが柔らかく、チーズが溶けて少し焼き目のついた状態になるまで焼いてできあがり

③の作り方
1 苦瓜は薄くスライスし、水菜は適当な長さに切る
2 1に塩をしてしばらく置く
3 2の出た水分を絞り上げる
4 オリーブオイル、ライムジュース、胡椒であえる
5 食べる直前にフライドオニオンを散らす

バレー男子、宿敵韓国に勝利
で2勝目、決めましたねっっ☆
まだまだ苦しい戦いは続くけれど、この勢いで北京へJUMP

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