[レシピ] ブログ村キーワード
今日はお盆の入り。
お盆=帰省&旅行=人多、ラッシュ、渋滞。。。
近年だいぶ分散化の傾向が強まってきたとはいえ、あいかわらず。
帰省ラッシュのニュースが伝えられていますね。
今年は原油高、ガソリン代の高騰もあって、マイカー利用が控えられ、公共の交通機関等の利用が増えているので、新幹線の乗車率や夜行バスの利用はかなり伸びているとか。
まぁ、たしかに体力使ってわざわざ運転するのに、そのほうが高くつく、
なんてことになっては、切り替えを考える気になるほうが自然、というところでしょうか。
でも、本来、出かける→お盆、ではないと思うんですけどね
まぁ、故郷で、先祖代々の土地へ帰って過ごす、というところから派生したのではあるのでしょうが。
なんだか“移動”“旅行”のほうが、お盆のメイン、みたいになっている雰囲気には、若干疑問を感じないでもありません
お盆、みなさんは何かされますか??
けっこう宗派や地域によって、イベントは様々だと思うのですが…。
あ、もちろん仏教系でなければ、まったく関係のない方もいらっしゃいますよね。
我が家はそれなりにイベントがあるほうで…。
お墓を掃除したり、お霊具を用意したり、お坊さんにお経をあげに来てもらったり、迎え火をたいたり…
今日一日でもけっこう忙しい
あ、ご存じない方のために少し解説すると、
お霊具、というのは、仏前に供える御膳、ご飯のセットのことで、ご飯、煮物、和えもの、味噌汁、煮豆を用意して、決まった器、位置に盛り付けてお供えするもの。
迎え火は、我が家のスタイルでは、あさぎ(あさがら)というものに火をつけて火をおこし、線香に火をつけて、それをお墓のある方向から家の入口に向けて、道をたどるように順に立て、ご先祖様の霊が間違うことなく帰ってこられるように、道づけをする、というものです。
お盆の終わりには、逆の送り火、をするのですが、もうこうした風習も残っているところ、実際にしている家庭はずいぶん少なくなっているみたいです。
お坊さんのお経、はそれでも、まだ各地、来てもらっているところも多いのかな。
この時期になると、きっと暑いだろうなぁと思われる正装、袈裟を着て、ミニバイクや車で走るお坊さんの姿をよく見かけます。
「袈裟にバイク」
というなんともいえないアンバランス感が、まさに現代風なお盆、を感じさせるところでもありますけど、小さい時から見慣れているので、私にとってはそれも、季節を感じる、
ああ、今年もお盆が来たんだなぁと感じる、風物詩?!だったりします。
昔は、こうして面倒な風習が残っている我が家。
なんでこんな…
嫌だなぁ。。。
と正直思っていた時期もあったのですが。
最近は、その具体的な教えを信じる信じないは別にして、
こうして死と生を身近に感じる、考えさせられる行事が、あたりまえとしてある、
自分も長い間次へ次へとバトンタッチされてきた、数々の命の中に存在する一つの存在であること、ルーツや位置がしっかりと自分の中に感じられるものとしてある、
そういう環境で育ったことはとても幸せなことであり、
受け継がれてきた命、今ある自分の存在を、感謝の気持ちでとらえること、先祖へ思いをいたすこと、それはとても大切なことだというふうに感じています。
お盆はイベント化し、実際に先祖をまつる、に関すること、その魂に触れるようなことは、すっかり減ってしまった
家族は核家族化が進んで、小さな家族で住むことが当たり前になった
命が生まれる、
先の命が消える、悲しむ、
それでも今を生きなくてはならない、
そしてやがて、また次の命が生まれる、
時が流れる、
自分がその中を生きている、
死を生を、当たり前の身近に感じながら、経験し、
自分もまた同じように限りある生を生きる、
そういうことが、なんだか珍しいことになってしまっているような…
死が遠いこと、
なにかふわふわしたもの、
そんな感じになっている空気が、
うまく生きられない、ひいては命も軽く考えられてしまう、
そんなところにつながっているような気もしてしまいます。
自分が死ぬ、ということは体験したことのある人がいるものでもないし、誰もが初めての経験。
自分で意識することが長い期間に及ぶ場合もあるけれど、突然、ぶっつけ本番にやってくることも多い。
でも、限られているけれどつながっている、それを見る、感じる経験をすることで、命というものを考えながら、自分の存在に感謝し、
同じように他人の命も、そうして目に見えないつながりをもった、今この時に輝いている、尊いものだということを感じながら生きる。。。
そうやって、人に自分に、命に愛をもって生きることができれば、生き方も変わってくる、
突然の死を迎えても、きっと自分なりに生きたことを納得できる、
そういうもの
…だったりしないかなぁ。。。
とか。
なんだかぐじゃぐじゃとめぐりはじめてしまいましたが
テキトーで未熟な、一死生観でした(笑)
本当に意味不明に付き合わせてしまってスミマセン<(_ _)>
今日のレシピです
・鰤のムニエル 長ネギのバターソース …①
・カレー風味揚げ枝豆 …②
・野菜only生春巻き レフォール入り甘辛マヨネーズソース …③
①の作り方
1 長ネギは細長い短冊切りにする
2 1をオリーブオイルで炒めて、フュメドポワソン(魚のだし汁)を注ぐ
3 煮詰めてネギがとろっとしてきたら、バターと小麦粉を練り合わせたものを、煮汁少々でときのばしながら加え、溶かしこんでなめらかにとろみをつける
4 煮立って適度なとろみがついたら火を止め、刻んだシブレット(なければ細ネギなど)と冷たいバター少々を加える。塩少々で味を調える
5 鰤は塩こしょうをしてソテーする。表面を焼き付けたらあとはじっくり弱火で火を入れる
6 皿に5を盛り、4のソースと飾り用のシブレットを盛り付けて出来上がり
②の作り方
1 枝豆は枝ごと小さく切り離し、よく洗う。水分はしっかりと切る
2 油で1を揚げる。水分が抜けてカリッとなったら取り出す
3 熱いうちにカレー粉と塩をまぶす
※鞘までパリパリになっているので、基本、そのまま食べられます☆
が、筋がかたく、あとに残るような場合もあるので、そうなっている場合は出してください
③の作り方
1 キュウリは細切りにして塩でもむ。レタスは適宜ちぎり、アボカドはスライスする。ミニトマトは4分の1くらいに細かく切る
2 アボカドにはレモン汁とナンプラーをまぶしておく
3 ライスペーパーを水で戻して、野菜を巻く
4 煮切りみりん、醤油、砂糖少々、マヨネーズ、ヨーグルト、塩少々、レフォール(西洋わさび)のすりおろしを混ぜ合わせてソースとする
5 3を食べやすくカットし盛り付ける。好みでシャンツァイを添え、4のソースをかける
読みづらい長文ですみません
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コメントも大歓迎。
ひとことでもうれしいです
お気軽にどうぞ~
それでは
今日はお盆の入り。
お盆=帰省&旅行=人多、ラッシュ、渋滞。。。
近年だいぶ分散化の傾向が強まってきたとはいえ、あいかわらず。
帰省ラッシュのニュースが伝えられていますね。
今年は原油高、ガソリン代の高騰もあって、マイカー利用が控えられ、公共の交通機関等の利用が増えているので、新幹線の乗車率や夜行バスの利用はかなり伸びているとか。
まぁ、たしかに体力使ってわざわざ運転するのに、そのほうが高くつく、
なんてことになっては、切り替えを考える気になるほうが自然、というところでしょうか。
でも、本来、出かける→お盆、ではないと思うんですけどね
まぁ、故郷で、先祖代々の土地へ帰って過ごす、というところから派生したのではあるのでしょうが。
なんだか“移動”“旅行”のほうが、お盆のメイン、みたいになっている雰囲気には、若干疑問を感じないでもありません
お盆、みなさんは何かされますか??
けっこう宗派や地域によって、イベントは様々だと思うのですが…。
あ、もちろん仏教系でなければ、まったく関係のない方もいらっしゃいますよね。
我が家はそれなりにイベントがあるほうで…。
お墓を掃除したり、お霊具を用意したり、お坊さんにお経をあげに来てもらったり、迎え火をたいたり…
今日一日でもけっこう忙しい
あ、ご存じない方のために少し解説すると、
お霊具、というのは、仏前に供える御膳、ご飯のセットのことで、ご飯、煮物、和えもの、味噌汁、煮豆を用意して、決まった器、位置に盛り付けてお供えするもの。
迎え火は、我が家のスタイルでは、あさぎ(あさがら)というものに火をつけて火をおこし、線香に火をつけて、それをお墓のある方向から家の入口に向けて、道をたどるように順に立て、ご先祖様の霊が間違うことなく帰ってこられるように、道づけをする、というものです。
お盆の終わりには、逆の送り火、をするのですが、もうこうした風習も残っているところ、実際にしている家庭はずいぶん少なくなっているみたいです。
お坊さんのお経、はそれでも、まだ各地、来てもらっているところも多いのかな。
この時期になると、きっと暑いだろうなぁと思われる正装、袈裟を着て、ミニバイクや車で走るお坊さんの姿をよく見かけます。
「袈裟にバイク」
というなんともいえないアンバランス感が、まさに現代風なお盆、を感じさせるところでもありますけど、小さい時から見慣れているので、私にとってはそれも、季節を感じる、
ああ、今年もお盆が来たんだなぁと感じる、風物詩?!だったりします。
昔は、こうして面倒な風習が残っている我が家。
なんでこんな…
嫌だなぁ。。。
と正直思っていた時期もあったのですが。
最近は、その具体的な教えを信じる信じないは別にして、
こうして死と生を身近に感じる、考えさせられる行事が、あたりまえとしてある、
自分も長い間次へ次へとバトンタッチされてきた、数々の命の中に存在する一つの存在であること、ルーツや位置がしっかりと自分の中に感じられるものとしてある、
そういう環境で育ったことはとても幸せなことであり、
受け継がれてきた命、今ある自分の存在を、感謝の気持ちでとらえること、先祖へ思いをいたすこと、それはとても大切なことだというふうに感じています。
お盆はイベント化し、実際に先祖をまつる、に関すること、その魂に触れるようなことは、すっかり減ってしまった
家族は核家族化が進んで、小さな家族で住むことが当たり前になった
命が生まれる、
先の命が消える、悲しむ、
それでも今を生きなくてはならない、
そしてやがて、また次の命が生まれる、
時が流れる、
自分がその中を生きている、
死を生を、当たり前の身近に感じながら、経験し、
自分もまた同じように限りある生を生きる、
そういうことが、なんだか珍しいことになってしまっているような…
死が遠いこと、
なにかふわふわしたもの、
そんな感じになっている空気が、
うまく生きられない、ひいては命も軽く考えられてしまう、
そんなところにつながっているような気もしてしまいます。
自分が死ぬ、ということは体験したことのある人がいるものでもないし、誰もが初めての経験。
自分で意識することが長い期間に及ぶ場合もあるけれど、突然、ぶっつけ本番にやってくることも多い。
でも、限られているけれどつながっている、それを見る、感じる経験をすることで、命というものを考えながら、自分の存在に感謝し、
同じように他人の命も、そうして目に見えないつながりをもった、今この時に輝いている、尊いものだということを感じながら生きる。。。
そうやって、人に自分に、命に愛をもって生きることができれば、生き方も変わってくる、
突然の死を迎えても、きっと自分なりに生きたことを納得できる、
そういうもの
…だったりしないかなぁ。。。
とか。
なんだかぐじゃぐじゃとめぐりはじめてしまいましたが
テキトーで未熟な、一死生観でした(笑)
本当に意味不明に付き合わせてしまってスミマセン<(_ _)>
今日のレシピです
・鰤のムニエル 長ネギのバターソース …①
・カレー風味揚げ枝豆 …②
・野菜only生春巻き レフォール入り甘辛マヨネーズソース …③
①の作り方
1 長ネギは細長い短冊切りにする
2 1をオリーブオイルで炒めて、フュメドポワソン(魚のだし汁)を注ぐ
3 煮詰めてネギがとろっとしてきたら、バターと小麦粉を練り合わせたものを、煮汁少々でときのばしながら加え、溶かしこんでなめらかにとろみをつける
4 煮立って適度なとろみがついたら火を止め、刻んだシブレット(なければ細ネギなど)と冷たいバター少々を加える。塩少々で味を調える
5 鰤は塩こしょうをしてソテーする。表面を焼き付けたらあとはじっくり弱火で火を入れる
6 皿に5を盛り、4のソースと飾り用のシブレットを盛り付けて出来上がり
②の作り方
1 枝豆は枝ごと小さく切り離し、よく洗う。水分はしっかりと切る
2 油で1を揚げる。水分が抜けてカリッとなったら取り出す
3 熱いうちにカレー粉と塩をまぶす
※鞘までパリパリになっているので、基本、そのまま食べられます☆
が、筋がかたく、あとに残るような場合もあるので、そうなっている場合は出してください
③の作り方
1 キュウリは細切りにして塩でもむ。レタスは適宜ちぎり、アボカドはスライスする。ミニトマトは4分の1くらいに細かく切る
2 アボカドにはレモン汁とナンプラーをまぶしておく
3 ライスペーパーを水で戻して、野菜を巻く
4 煮切りみりん、醤油、砂糖少々、マヨネーズ、ヨーグルト、塩少々、レフォール(西洋わさび)のすりおろしを混ぜ合わせてソースとする
5 3を食べやすくカットし盛り付ける。好みでシャンツァイを添え、4のソースをかける
読みづらい長文ですみません
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