「空飛ぶ教授のY日記」の8/19の記事に 8/17の記事「生態学専門書の危機」の続編として,「知識のフロー・ストック・オリジナリティ」という記事があった.
この,知識のストックとフローの話題は,私もいつも意識している問題である.例えば, 6/15 のblog にも書いた.
Y先生は,理学部教授=>研究者の視点から,以下のようにおっしゃっている.
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一体どうすれば、その人ならではの知識の体系を築き上げることができるだろうか。
研究者としての経験から言えば、一見あい反する2つの努力が必要だと思う。
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オリジナルな知識のストックを築き上げようと思えば、自分の視点で知識を吸収できるようになる必要がある。「自分の視点」を持つためには、「自分の視点」がしっかりと書き込まれた本をたくさん読み、それらとは違う視点を探す旅を続ける以外ないと思う。
この旅の過程では、いろいろな主張を持つ人と議論をすることも大切だが、体系的な議論ができるようになるためには、やはり本と取り組む必要があると思う。
私が、「本」に格段の思い入れを持っているのは、このような理由からである。
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個人的なイメージだが,理学部で研究されるような分野においては,「オリジナル」という言葉のなかに,体系や哲学的意味での「オリジナルさ」だけでなく,データが示す知見そのものや手法の「オリジナルさ」=>「新しさ」というものが,少なくないと感じている.
つまり,前者はストックとなり得るものがだ,後者はフローでしかないのではないだろうか?
もちろん,学術論文の貢献の価値という意味では,後者のものも重要であることはいうまでもない.
「学者」の育成という意味では「知」のオリジナリティは非常に重要だが,現代においては,大学院を出て,修士をとっても,また,博士を取った場合でも,みんなが学者になるわけではない.(私自身,少しは研究もしていて,学位も頂いたが,「学者」ではない.)
私の感覚では,今日的な意味において,修士号は「ある分野の専門家としての基本的教育を受けた」,博士号は「ある分野の専門家として免許皆伝となった」という意味だと思う.つまり,「その道のプロ」になるべくして,もしくは,なれるように,学んできた証である.
そういう意味では,まず,大学院の学生さんには,「その道のプロの端くれ」として,はずかしくないレベルの「プロとしての知識のストック」を蓄積する方法を学んでもらいたいと思う.
そういう意味で,専門書それも一流の専門家のまとめた「定本」と言われるような教科書,参考書は,「体系的な知識のストックを吸収するメディア」としては,非常に安くて確実なものである.
たぶん,大半の学生は,このシンプルな事実に気がついていないのだと思う.
世界的に高名な先生に,直接の講義や指導をうけることは,偶然,幸運が必要であろう.(私自身,多くの高名な先生方や技術者の薫風を受ける機会を得たことは,全くの幸運であった.) しかし,そのような,高名な先生方の著わされた教科書であっても,4000-6000円で手に入るものが多い.これは,現在の東京なら,コンビニの遅番で4-5時間働けば良い金額であろう.すなわち「本は安い」のである.
この「本は安い」という話題については, 7/31 の blog にも書いた.
この,知識のストックとフローの話題は,私もいつも意識している問題である.例えば, 6/15 のblog にも書いた.
Y先生は,理学部教授=>研究者の視点から,以下のようにおっしゃっている.
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一体どうすれば、その人ならではの知識の体系を築き上げることができるだろうか。
研究者としての経験から言えば、一見あい反する2つの努力が必要だと思う。
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オリジナルな知識のストックを築き上げようと思えば、自分の視点で知識を吸収できるようになる必要がある。「自分の視点」を持つためには、「自分の視点」がしっかりと書き込まれた本をたくさん読み、それらとは違う視点を探す旅を続ける以外ないと思う。
この旅の過程では、いろいろな主張を持つ人と議論をすることも大切だが、体系的な議論ができるようになるためには、やはり本と取り組む必要があると思う。
私が、「本」に格段の思い入れを持っているのは、このような理由からである。
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個人的なイメージだが,理学部で研究されるような分野においては,「オリジナル」という言葉のなかに,体系や哲学的意味での「オリジナルさ」だけでなく,データが示す知見そのものや手法の「オリジナルさ」=>「新しさ」というものが,少なくないと感じている.
つまり,前者はストックとなり得るものがだ,後者はフローでしかないのではないだろうか?
もちろん,学術論文の貢献の価値という意味では,後者のものも重要であることはいうまでもない.
「学者」の育成という意味では「知」のオリジナリティは非常に重要だが,現代においては,大学院を出て,修士をとっても,また,博士を取った場合でも,みんなが学者になるわけではない.(私自身,少しは研究もしていて,学位も頂いたが,「学者」ではない.)
私の感覚では,今日的な意味において,修士号は「ある分野の専門家としての基本的教育を受けた」,博士号は「ある分野の専門家として免許皆伝となった」という意味だと思う.つまり,「その道のプロ」になるべくして,もしくは,なれるように,学んできた証である.
そういう意味では,まず,大学院の学生さんには,「その道のプロの端くれ」として,はずかしくないレベルの「プロとしての知識のストック」を蓄積する方法を学んでもらいたいと思う.
そういう意味で,専門書それも一流の専門家のまとめた「定本」と言われるような教科書,参考書は,「体系的な知識のストックを吸収するメディア」としては,非常に安くて確実なものである.
たぶん,大半の学生は,このシンプルな事実に気がついていないのだと思う.
世界的に高名な先生に,直接の講義や指導をうけることは,偶然,幸運が必要であろう.(私自身,多くの高名な先生方や技術者の薫風を受ける機会を得たことは,全くの幸運であった.) しかし,そのような,高名な先生方の著わされた教科書であっても,4000-6000円で手に入るものが多い.これは,現在の東京なら,コンビニの遅番で4-5時間働けば良い金額であろう.すなわち「本は安い」のである.
この「本は安い」という話題については, 7/31 の blog にも書いた.