散歩道で自然観察

自宅周辺の散歩道で出会った動物、野鳥、昆虫、植物の写真を撮っています。

震災の記憶 

2021年03月11日 | 震災の記憶

今年も震災の日を迎えました。

この地は幸い東北のような大きな被害は出ていませんが、

それでも、震災の記憶が風化しないように画像をアップします。

これは何回も使いましたが、牛久坂上で

土手が崩れて垂れ下がったレール

復旧には一週間ほどの時間がかかりました。

全面復旧には三週間ほどかかったでしょうか?

 

崩れた土手の復旧

 

傾いた電柱の復旧

 

近くの原っぱの地割れ

 

液状化で不気味に口を開けた地面

 

こちらは「ぐし瓦」が崩れ、一部壁も崩落した「鶴舞屋」さん

近くの「水神屋」さんほどではないが大きな被害と言えましょう。

(震災の記憶カテゴリーから過去の画像を参照してください)

 

愛犬との散歩道で、崩れた堤防

 

沼越しに見える「東京スカイツリー」

クレーンが二基見えますが、最上部のアンテナの取り付け工事中の被災

幸い、大きな事故もなく工事は終わったが、

タイミングが悪ければどうなっていたかわからない

 

壊れた「半鐘」の屋根

すぐに撤去されて、今は跡形もない

 

それでも、自然界の営みは続く

巣材を運ぶ「ハシボソガラス」

線路の工事現場横の調整池で遊ぶ「クサシギ」

 

同じく、工事現場脇でたむろす「すずめ」

 

東北に知り合いも多く、

岩手赴任中には「宮城県沖地震」に遭遇して肝をつぶした。

小学生のころには「新潟地震」があったが、東京にいた私は大きな揺れを感じて

木造校舎の二階から下を覗くと池の水が暴れてバシャバシャ周囲に飛び散った。

 

また、「阪神淡路大震災」では朝出勤して神戸の街の光景を見て言葉が出なかった。

大都会での被災ということもあってまた別の恐怖を感じた。

 

九州、熊本にも知人が多い

熊本地震の時にも必死に連絡を取り合ったものです・・・

と、書いてきてそのほかにも「松代群発地震」「岩手・宮城内陸地震」

「新潟県中越地震」「海道胆振東部地震」等々

大きな被害をもたらした地震を含む自然災害が思い出されてきます。

それらに備えてどう対処したらよいのか正直言って・・・

 

 

 


震災の記憶 2011.3.11

2020年03月10日 | 震災の記憶

2011年3月11日

ぐしゃぐしゃになった職場を整理できるだけ片付けて

途中、電線が切れて垂れ下がったり、農家の作業場が崩壊したりしているのを

横目で見ながら、自宅に向かった。

信号の消えた交差点で車を止めると、大きな余震があったりと心臓の鼓動が収まらなかった。

自宅にたどり着くと、幸い外観は問題なく、ほっとしたが

室内は壁紙が、壁のコンパネに沿ってひび割れておりました。

被害は受けたものの、幸い、軽い被害で済みました。

が、ご近所では瓦、特に「ぐし瓦」が崩れているお宅が目立ちました。

良く写真を撮る神社の灯篭は倒れてしまった。

幸い、ここも後日復旧されました。

沼辺のビジネスホテルは壁が崩れ落ちてしまった。

ここはいまだにこのままの姿をさらしています。

沼辺には数百メートルに及ぶひび割れができていました。

何かいつもと違う香りがするらしく、盛んに愛犬が嗅ぎまわっておりました。

千葉にある都営霊園にある当家の墓は墓石が踊って数度回転しておりました。

幸い、中心にほぞが切ってあって落下は免れました。

が、周囲には墓誌が倒れて割れていたり、大きな墓石が倒壊しているところもありました。

散歩道では液状化の影響で道路が隆起、割れているところも・・・。

近くのガソリンスタンドには先頭も最後尾も見えないくらいに車の行列が続いた。

片側1車線の道路の車線を1/3ほどふさいでしまった。

翌日、線路際に出てみると常磐線の線路が牛久坂上で崩落していました。

これが常磐線が止まった一つの原因でもありました。

翌、3月12日にはあっという間に復旧工事が始まりました。

隣の6号線は上下大渋滞。取手方面からはまだ歩いてくる方が多く居りました。

私の足で3時間近くかかるので普段歩きなれない人だと大変だったと思う

あっという間に工事は進み、

数日で工事は終わり、

3月18日には緩行電車が人を乗せて徐行運転を始めた

今では散歩道のどこを歩いても地震の痕跡は探さないと見当たらない。

けれども、ブルーシートがボロボロになって残った家がまだ建っていたりもする。

知人の中には家が傾いて住めなくなったり、職場が津波で流されたり

海辺を走っていて車ごと流されたが何かに引っかかって九死に一生を得た人もいる。

まあ、自分は家族も無事で職場も数日で復旧したし被害は無いに等しかった。

せめて、ここで語り継ぐことができればと・・・

 


3.11 震災の記憶

2019年03月11日 | 震災の記憶

今日は個人的な区切りの日でもあり、忘れられない

関連記事:カテゴリー「震災の記憶」からご覧になれます

https://blog.goo.ne.jp/jijicchi/c/186c73303c89ee309cfba52b6da0ed7e

地震でできた数百メートルの地割れを覗く当時二歳の愛犬

今朝も四時前に地震があって飛び起きました

皆が平和で穏やかな生活が送れますように


震災の記憶

2017年03月12日 | 震災の記憶

東日本大震災の記憶が薄れないように映像をとどめておきたいと思います。

茨城県は被害が大きかったのにもかかわらず、情報が少なかった

牛久坂上では、線路の土台が崩れてレールが垂れ下がった

望遠レンズで圧縮するとよれよれの線路

夕方、ガソリンスタンドまで数百メートルの列ができる。

歩きなれたフィールドには液状化の不気味な痕跡、

沼辺の地割れは500mにも及んだ。

瓦が崩れる被害も多くほとんどがぐし瓦の崩落でした。

線路の復旧作業はすぐに始まった。

 

写真では架線電柱がまだ傾斜しているが、レールの復旧には1週間かからなかった。

日本の土木技術のレベルの高さには驚く

18日には崩落部分の復旧が終わって、緩行電車の試運転がなされた。

それでも、2017年現在まだ常磐線は仙台までつながっていない。

今朝も東北方面(小名浜近辺)で地震があったようですが、気になります。

何を教訓にして今後どう対応したらよいのだろう。

記憶が薄れて忘れ去られることが怖い。

私の知り合いでも、車ごと津波に流されて九死に一生をえた方もいます。

職場を流されて生活が一変された方も・・・家が傾いて住めなくなった方も・・・。

私は自宅の壁紙にひびが入った程度で済んだが・・・

新潟県中越地震では友人が被災、阪神淡路、東北地方太平洋地震、熊本地震でも身内や友人が被災しました。