新古今和歌集の部屋

平家物語巻第十二 灌頂巻 八 女院出家の事1

 
 
 
 
平家物語灌頂巻
八 女院出家の事
けんれい門院は、東山のふもと、吉田のほとりなる所にぞ
立いらせ給ひける。中納言の法印きやうゑと申すな
ら法師のはらなりけり。すみあらして年久しう成
ければ、庭には草ふかくのきには忍ぶしげれり。すだれ
はたえ、ねやあらはにて、雨風たまるべうもなし。花は
色々にほへ共、あるじと頼む人もなく、月はよな/\さし
入共、ながめてあかすあるじもなし。むかしは玉のうてなを
みがきにしきのちやうにまとはれて、明しくらさせ給ひ
しが、今はありとし有人にも、みなわかれはてゝ、淺ましげ
なるくちばうに入せ給ひけん。御心のうち、をしはかられ
てあはれ也。魚のくがにあがるごとく、鳥のすをはなれたる
がごとし。さるまゝには、うかりし波の上、舟の中の御すま
ゐも今はこひしうぞ思召れける。さうはみちとをし。
思ひを西海千里の雲によす。はくをくこけふかくし
て、なんだとうざん一ていの月におつ。かなし共いふばかり
なし。かくて女院は、ぶんぢ元年、五月一日の日、御ぐしお
ろさせ給ひけり。御かいの師には、長らく寺のあせうばうの
上人、ゐんせいとぞ聞えし。御ふせには、せんていの御なをし
なり。すでに今はの時までも、めされたりければ、其御うつりが
も、いまだうせず。御かたみに御らんせんとて、西国よりいる
/\と、都までもたせ給ひたりしかば、いかならん世までも御
身をはなたじとこそ、思し召れけれ共、御ふせになりぬべ
 

平家物語巻第十二 平家物語灌頂巻
  八 女院出家の事
建礼門院は、東山の麓、吉田の辺りなる所にぞ立ち入らせ給ひける。中納言の法印慶惠と申す奈良法師の腹なりけり。住み荒して、年久しう成りければ、庭には草深く、軒には忍ぶ茂れり。簾は絶え、閨露はにて、雨風溜まるべうも無し。花は色々匂へども、主と頼む人も無く、月は夜な夜な差し入れども、眺めて明かす主も無し。昔は玉の台(うてな)を磨き、錦の帳(ちやう)に纏はれて、明し暮らさせ給ひしが、今は有りとし有る人にも、皆別れ果てて、淺ましげなる朽ち房に入らせ給ひけん。御心の内、推し量れて哀れ也。魚の陸(くが)に上がる如く、鳥の巣を離れたるが如し。
然るままには、憂かりし波の上、舟の中の御住まゐも、今は恋ひしうぞ思し召されける。蒼波路遠し。思ひを西海千里の雲に寄す。白屋苔深して、涙(なんだ)東山一庭の月に落つ。悲しとも言ふばかり無し。
かくて女院は、文治元年、五月一日の日、御髪降ろさせ給ひけり。御戒の師には、長楽寺の阿証房の上人、印西とぞ聞こえし。御布施には、先帝の御直衣なり。既に、今はの時までも、召されたりければ、その御移り香も、未だ失せず。御形見に御覽せんとて、西国よりいるいると、都まで持たせ給ひたりしかば、如何ならん世までも御身を放たじとこそ、思し召されけれ共、御布施になりぬべ

 

※花は~ 今様と推察。
花は色々 にほへども
主と頼む 人も無く
月は夜な夜な 差し入れども
眺めて明かす 主も無し。
 
※蒼波路遠し~
和漢朗詠集下 行旅 橘直幹
蒼波路遠雲千里白霧山深鳥一声
 
※長楽寺  京都市 東山区 円山町にある 時宗 (遊行派)の 寺院。延暦24年(805年)に勅命により最澄が延暦寺の別院として創建したのに始まると伝わる。
 
※阿証房印西 長楽寺の僧で、法然の弟子。建礼門院の戒師として知られる。発心集に記載あり。
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