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しかば二位のあませんていをいだき參らせて、うみにしづみ
し有さま、めもくれ心もきへはてゝ、わすれんとすれ共わ
すられず。忍ばんとすれ共、しのばれず。かくていきのこり
たるもの共の、おめきさけびし有さまは、けうくはん大げう
くはん、むげんあび、ほのほのそこのざい人も、是には過じと
こそ、覚えさぶらひしが、さてものゝふ共の、あらけなき
にとらはれて、のぼりさぶらひし程に、はりまの国あかし
のうらとかやについて、ちとまどろみたりし夢に、むかし
のだいりには、はるかにまさりたる所に、せんていをはじめ參
らせて、一もんの月卿うんかく、をの/\ゆゝしげなる、れ
ぎ共にて、なみゐたり都を出て後、いまだかゝる所を見
ず。こゝをばいづくといふぞと、とひさぶらひしかば、二位のあ
まこたへ申さぶらひしは、りうぐうじやうと申所なり。初
はめでたき所かな。此国には、くはなきやらんとゝひつれば、龍
ちく經に見えてさぶらふ。後世よく/\とぶらはせ給へと
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申と覚えて夢さめぬ。其後いよ/\經よみ念仏して、かの
御ぼだいをとぶらひ奉る。是ひとへに六道にたがはじと社、
おぼえさぶらへと申させ給へば、法皇仰せなりけるは、ゐこく
のげんざう三蔵は、さとりのまへに六道を見き。我てうの
日蔵上人は、ざわうごんげんの御ちからによつて、六道を
みたりとこそ、承はれ。まのあたり御らんぜられけるこそ、
有がたう候へとぞおぼせける。
平家物語巻第十二 平家物語灌頂巻
十一 六道の沙汰の事
十一 六道の沙汰の事
しかば、二位の尼、先帝を抱き參らせて、海に沈みし有樣、目も暗れ心も消へ果てて、忘れんとすれども忘られず。忍ばんとすれども、忍ばれず。
かくて生き残りたる者どもの、おめき叫びし有樣は、叫喚大叫喚(けうくはん大げうくはん)、無間阿鼻叫、焔の底の罪人も、これには過じとこそ、覚え候ひしが、さて武士どもの、荒けなきに捕らはれて、上り候ひし程に、播磨の国明石の浦とかやに着いて、ちと微睡みたりし夢に、昔の内裏には、遥かに優りたる所に、先帝を始め參らせて、一門の月卿雲客、各々由々しげなる、礼儀どもにて、並み居たり。都を出て後、未だかかる所を見ず。
『ここをば何処と言ふぞ』と、問ひ候ひしかば、二位の尼、答へ申し候ひしは、『竜宮城と申す所なり』。初は、目出度き所かな。『此国には、苦は無きやらん』と、問ひつれば、『龍畜經に見えて候ふ。後世よくよく弔はせ給へと申す』と覚えて夢さめぬ。その後いよいよ經読み、念仏して、かの御菩提を弔ひ奉る。これ偏へに六道に違はじとこそ、覚え候へ」と申させ給へば、法皇仰せなりけるは、
「異国の玄奘三蔵は、悟りの前に六道を見き。我朝の日蔵上人は、蔵王権現の御力によつて、六道を見たりとこそ、承はれ。目の当たり御覧ぜられけるこそ、有り難う候へ」とぞおぼせける。
※叫喚大叫喚 八大地獄の大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の大叫喚・叫喚を言う。この八大地獄の下に無間地獄がある。
※無間阿鼻叫 無間地獄の別名阿鼻地獄。
※龍畜經 平家物語にだけ出て来る架空経典。平家だけに伝わったとされる。