あやめ草
足に結ばん
草履の緒
奥の細道
名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて、四、五日逗留す。爰に画工加衛門と云ものあり。聊心ある者と聞て、知る人になる。この者、年比さだかならぬ名どころを考置侍ればとて、一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるゝ。玉田・よこ野、つゝじが岡はあせび咲ころ也。日影ももらぬ松の林に入て、爰を木の下と云とぞ。昔もかく露ふかければこそ、みさぶらひみかさとはよみたれ。薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。猶、松島・塩がまの所々画に書て送る。且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。さればこそ、風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。
あやめ草足に結ん草鞋の緒
※みさぶらひみかさ
みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり(古今集 巻第二十 東歌)
みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり(古今集 巻第二十 東歌)
かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅菰を整て国守に献ずと云り。
壷 碑 市川村多賀城に有。
つぼの石ぶみは、高サ六尺余、横三尺計カ。苔を穿て文字幽也。四維国界之数里をしるす。「此城、神亀元年、按察使鎮守符将軍大野朝臣東人之所里也。天平宝字六年、参議東海東山節度使、同将軍恵美朝臣アサカリ修造尚。十二月遡日」と有。聖武皇帝の御時に当れり。むかしよりよみ置る歌枕、おほく語伝ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労をわすれて、泪も落るばかり也。
多賀城門