いわ
岩にこけむして、さびたる所なれば、すまゝほしくぞ思し
きく
めす。露むすぶ庭のおぎはら霜がれて、まがきの菊の
かれ/"\に、うつろふ色を御らんじても、御身の上とや思
しけん。仏の御前へ參らせ給ひて、天子せうれうじやう
とう正覚、一もんばうこんとんせうぼだいと、祈り申させ給ひ
けり。いつの世にも、わすれがたきは、せんていの御おもけが、ひし
と御身にそひて、いかならん世にも、わするべし共思しめさず
。扨じやつくはうゐんのかたはらにはうぢやうなる御あんじつを
むすんで、一まをば仏所にさだめ、一まをば御しん所にしつらひ
、ちうやてうせきの御つとめ、ちゃうじふだんの御念仏、をこ
たる事なくして、月日をおくらせ給ひけり。かくて神無
月中の五日のくれがたに、庭にちりしくならのはを、ものふ
みならして聞えければ、女院世をいとふ所に、何ものゝとひく
るやらん。あれみよや。忍ぶべき物ならば、いそぎ忍ばんとて、み
せらるゝに、をじかのとをるにてぞ有ける。女院扨いかにや/\
と仰せければ、大なごんのすけのつぼね涙をゝさへて
岩ねふみ誰かはとはんならのはの、そよぐはしかのわたる成けり
女院此哥あまりにあはれに思召て、まどの小しやうじに、あ
そばしとゞめさせ、おはします。かゝる御つれ/"\の中にも思
召なぞらふ事共は、つらき中にもあまた有。のきになら
いは
べるうゑ木をば、七ぢうほうじゆとかたどり、岩まにつもる水を
ば八くどく水と思召。むじやうは春の花、風にしたがつて散
やすく、うがいは秋の月、雲にともなつてかくれやすし。
あした
せうやうでんに、花をもてあそびし朝には、風きたつて
にほひをちらし、ちやうしうきうに月をゑいぜし夕べに
は、雲おほつてひかりをかくす。むかしはぎよくろうきん殿
に錦のしとねをしき、たへなりし御すまゐなりしか共、
今はしばひきむすぶくさの庵、よそのたもともしほれけり。
平家物語巻第十二 平家物語灌頂巻
九 小原への入御の事
九 小原への入御の事
岩に苔生して、寂たる所なれば、すまま欲しくぞ思し召す。露結ぶ庭の荻原霜枯れて、籬の菊の枯れ枯れに、移ろふ色を御覧じても、御身の上とや思しけん。仏の御前へ參らせ給ひて、天子聖霊成等(せうれうじやうとう)正覚、一門亡魂頓証菩提(とんせうぼだい)と、祈り申させ給ひけり。いつの世にも、忘れ難きは、先帝の御面影が、ひしと御身に添ひて、いかならん世にも、忘るべしとも思し召さず。扨て寂光院の傍らに、方丈なる御庵室(あんじつ)を結んで、一間をば仏所に定め、一間をば御寝所にしつらひ、昼夜朝夕の御勤め、長時不断の御念仏、怠る事無くして、月日を送らせ給ひけり。
かくて神無月、中の五日の暮方に、庭に散り敷く楢の葉はを、物踏み鳴らして聞こえければ、女院、
「世を厭ふ所に、何者の訪ひ來るやらん。あれ見よや。忍ぶべき物ならば、急ぎ忍ばん」とて、見せらるるに、牡鹿の通るにてぞ有ける。女院、
「扨いかにやいかにや」と仰せければ、大納言の佐の局、涙を抑えて
岩ね踏み誰かは訪はん楢の葉のそよぐは鹿の渡るなりけり
女院、この哥、あまりに哀れに思し召して、窓の小障子に、あそばし、留めさせ、御座します。
かかる御徒然の中にも思し召しなぞらふ事どもは、辛き中にも数多有り。軒に並べる植木をば、七重宝樹(ぢうほうじゆ)とかたどり、岩間に積もる水をば、八功徳(くどく)水と思召。無常は春の花、風に随つて散りやすく、有涯(うがい)は秋の月、雲に伴って隠れやすし。昭陽殿に、華を翫びし朝には、風來たつて匂ひを散らし、長秋宮に月を詠ぜし夕べには、雲蔽つて光を隠す。昔は玉楼金殿に錦の褥を敷き、妙なりし御住居なりしか共、今は柴引き結ぶ草の庵、余所の袂も萎れけり。
※大納言の佐 重衡の妻。重衡が切られてから、建礼門院に同行したと思われる。
※岩根踏み
屋代本、城方本、高野本、長門本、百二十句本、城方本、中院本、盛衰記、熱田本(写真)
なお、延慶本では、
里とをみたがとひくらむならの葉のそよぐは鹿の渡るなりけり
※無常は春の花~
無常春花随風散
有涯暮月伴雲隠
昭陽殿翫華朝 風來散匂
長秋宮詠月夕 雲蔽隠光
昔玉楼金殿敷錦褥、妙御住居
今引結柴草庵、余所萎袂
と漢詩風だが、平仄が合わない。
※昭陽殿 中国漢代、成帝の築いた宮殿。皇后趙飛燕とその妹趙昭儀が住んでいた。