新古今和歌集の部屋

都名所図会 六道珍皇寺、六波羅蜜寺 蔵書



六道
 珎皇寺   薬師堂
          地蔵堂
               六道の辻
                         天滿宮
                          地蔵
                          不動
                          姿見池
                          開山空也堂
                           松尾大明神
               阿古屋塚
                 弁天社
      ゑんま堂
                    本堂
                      祥○院
六波羅蜜寺

普陀落山六波羅蜜寺は六道の西にあり。真言宗にして智積院に属す。本尊
 十一面観音は立像長壱丈。空也上人の作也。(西圀十七番の札所又洛陽
                      観音巡の其一なり  )傳に曰
 村上帝御宇天暦五年に疫癘時行て死ることの数しらず。空也上人これを
 憐給ひ十一面観音の像を作りて車に乗洛中を自身牽ありき給ふ。是當寺
 本尊也。観音に供する曲茶を疫人にあたへ給へば一同に平癒す。村上帝これを
 聞召して吉例とし毎歳元三に服し給ふ。万民今に此例を行ふて名を王服と
 號し年中の疫を免るゝとなり。北の方は地臧尊を安置す。(いにしへは此尊像を本尊
                            として六波羅の地蔵堂
 と号す。康頼の寶物集に曰東山に貧き女ありけり。年来此地臧尊を信じける此女に年老たる母を持
 たりける。あるとき老母死したけり。いかゞして葬んと案じ煩ひ居たりける程にある日夕暮行脚
 けが僧壱人出来て何事にかくは歎き給ふと問ければ事の子細をありのまゝにかたり
 ける。僧これを家易ことにこそ侍るなれとてひし/\としたゝめ。背にかき負ふて
 山へおくり其営し給ひけり。此女嬉しさいふばかりなし。これは則六波羅の地臧の
 為給へると思ふて参りて拝し奉りければ地臧の御足に土打つけてぞおはしましける
 其よりして此地臧をば山をくりの地臧とも御手に老母の鬘を持て居給へばかづら
 かけの地臧とも号しける。)
 南の方は薬師佛を安置す。傳教大師の作也。開山堂は空也上人自作
 の像あり。姿見池は上人こゝにて姿をうつし自像をきざみ給ふとぞ
阿古屋塚(本堂の北にあり。五条坂の遊女阿古屋が塚也。上に
     無銘の石塔弁天のやしろあり。
    空也上人いせ大神宮参籠のとき
    神殿よりけたかき御聲にて)
 弥陀たのむ人を空しくなすならば我此国の神といはれじ
    上人これを聞て
   世の中はたゞ露の間の雨やどりつゐの住家は来世なりけり  空也上人
拾遺 一聲も南無あみだ佛といふ人の蓮のうへにのぼらぬはなし  㒰

珎皇寺は建仁寺の南松原通にあり。(六道と号す)本尊薬師佛は傳教大師の作にして
 開基は慶俊僧都中興は弘法大師。篁堂には小野篁の像を安置す。(此所より
 冥土へ通し
 道なりとぞ)焔魔堂は東の方にあり。迎鐘は七月九日十日参詣の人此鐘を撞
 て聖霊を迎しむる也。六道辻(本堂の前にあり)當寺は久代平安城の葬所なり。桓武
 天皇延暦十三年に長岡より此京にうつらせ給ふ時此所を諸人の葬所に
 定め給ふ由迁都記に見えたり。又こゝを愛宕ともいふ也。(源氏物語に桐壺の更衣を
                            葬りおたぎといふ所に其さま
 いかめしうしてと書るも此所の事なり。河海抄には弘法大師の聖跡として東寺の長者官領
 しけるとかや。今は建仁寺の塔頭大昌院の兼帯所となる。)
 北斗堂いにしへ六道の東弍町斗にあり。北辰を祭りて柱に髙燈籠を
 かけたり。城南淀川の回舩運送の目當に常夜燈をかゞやかす。熊野の謡曲に
 北斗の星の曇なきと諷ふは是也。應仁の兵火に亡ぶ(一年金森宗和江府より
                         上洛の時清水寺に詣で此
 灯篭籠の倒れて苔に埋しを寺僧に乞うけ
 吾妻の奇物として今に芝の御館にあり。)
 





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