赤染衛門
やすらはて
ねなまし物を
さよふけ○
かたふくまて
に(の)
月をみし
かな
やすらはで寝なまし物を小夜更けて傾くまでの月をみしかな
天文十三年(1544年) - 慶長十三年(1608年)
戦国時代の僧侶。京都聖護院門跡。関白太政大臣近衛稙家の子。照高院、浄満寺宮と号した。
叔父の聖護院門跡道増に付いて得度し、園城寺長吏、熊野三山検校、大僧正、准三后を歴任。永禄三年(1560年)、長尾景虎(上杉謙信)との約束に従って越後へ下向、翌年の景虎の関東出兵にも同道している。その後は織田信長、豊臣秀吉と親交を持ち、また和歌や連歌に通じた。文禄四年(1595年)、照高院を開基した。
平成28年4月3日 壱