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とには侍らねど、なをへだてある心ち
細尼君の詞也。愚よのつねのあり
し侍るべきとの給へば、人にしらるべきさ
さまならばこそと也
まにて世にへ給はゞ、さもやたづねいづるひ
細後世の事のみをおもへるさま也
とも侍らん。いまはかゝるかたに思ひかぎ
手習の心ばへも也
りつるありさまになん。こゝろのおもむけ
細手習
もさのみ見え侍をなどかたらひ給。こな
君の方へ中将のせうそこ也
たにもせうそこし給へり。
中将
おほかたの世をそむきける君なれどい
とふによせて身こそつらけれ。ねん比゙に
抄中将の
ふかく聞え給ことなどいひつたふ。はら
いひし事を使の云也
からとおぼしなせ。はかなき世の物語な
ども聞えてなぐさめんなどいひつゞく。こ
頭注
人にしらるべきさまにて世
にへ給はゞ 抄よのつね
の女の形にておはせば尋る
人もあるべしが。かく出家
し給へばさやうにもあらじ。
又くるしからぬ事と
いふ心也。
大かたの 細中将の哥也。もしは
吾身をいとひ給ふ故に
かくそむき給ふかと思へば
吾身もうらめしきと也。
ねんごろにふかく聞え給
ふ御事など
抄此消息の使の中将の
ねんごろなるさまをかたる
也。ゆくすゑをうしろみん
などまでいへる事成べし。
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手習君の詞也
ころふかゝらん御物語゙など、きゝわくべくも
あらぬこそくちおしけれといらへて、この
師中将の哥の事也
いとふにつけたるいらへはし給はず。思よらず
師匂宮の事也
あさましきことも有し身なれば、いとう
とまし。すべてくち木などのやうにて、人
止
にみすてられてやみなむともてなし給
地
ふ。されば月ごろたゆみなくむすぼゝれ、もの
孟出家して手習の心かくつ
をのみおぼしたりしも、このほいのごとし
ろぎしと也
給てのちより、すこしはれ/"\しくなりて、
尼君゙とはかなくたはふれもしかはし、碁
うちなどしてぞあかしくらし給。をこなひ
ほけきやう
もいとよくして、法花経は、さらなり。こと
頭注
こゝろふかからん御物がたり
など 抄手習の大かたに
あへしらひ給ふ詞也。心な
き身といふ也。
朽木などのやうに 細死灰
朽木のごとくにて有べ
しと也。河莊子曰形固
可使如槁木。
むすぼゝれものをのみぼ
したりしを
抄出家せざりし程は、い
まだ身をあやうく手習
の思ひしが尼になりて
は心の定りて心もはれ
/"\しきと也。
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ほふもん 細冬になりたり
法文などもいとおほくよみ給ふ。雪ふかくふ
りつみ、人めたえたる比ぞ、げに思やるかたな
細薫廿七歳也
かりける。としもかへりぬ。春のしるしもみえ
ず。こほりわたれる水のをとせぬさへこゝ
細匂の去年の春の事也
ろぼそくて、√君にぞまどふとの給し人は、
心うしと思ひはてにたれど、なをそのおり
などのことは忘れず。
手習君
かきくらす野山のゆきをながめてもふ
りにしことぞけふも悲しきなど例のなぐさ
行
めの手習を、をこなひのひまにはし給。わ
れ世になくて年へだゝりぬるを、思出る人
もあらんかしなど、思出る時もおほかり。わか
頭注
げに思ひやるかたなかりける
細√白雲の降りてつもれる
山里は住人さへや思ひ
きゆらむ 古今。此哥
引ても可然歟。
かきくらす 細落句おも
しろし。
例のながうさめの手習ひ
を 孟手習ひといふ詞
是まで五カ所也。
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籠
なををろそかなるこにいれて、人のもてき
たりけるを、あま君みて
尼君
山里゙の雪まのわかれつみはやし猶おひ
手習君へ也
さきのたのまるゝ哉。とてこなたにたてま
つり給へりければ、
手習君
雪ふかき野べのわかなも今よりは君が
抄手習の心中
ためにぞ年もつむべき。とあるをさぞ覚
を察する尼公の心也 孟浮舟の尼にてなくはと也
すらんと哀なるにも、みるかひ有べき御さま
と思はましかばと、まめやかに打ない給。ねや
こうばい
のつま近き紅梅の色もかもかはらぬを√春
や昔のとこと花よりも是に心よせのある
地
は、√あかざりしにほひのしみにけるにや。後
頭注
をろそかなるこに
三疎んる籠也。そさう
るか心也。
山ざとの 細姫君を祝し
たる也。孟浮舟のおひ
さきの事也。
雪ふかき 細尼君の為
ばかりにとなり。
三若菜つむ事は臣は君
を祝し子は親を祝して
災をのぞかんとてつむこ
と也。此手習ノ忍は尼公の
外には祝せん人なし
と也。
春やむかしの 河月やあ
らぬ春やむかしの春な
らぬ。。。
あかざりし 細薫にて
も匂にても也。河√あかざ
りし君が匂ひの恋しき
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に梅の花をぞけさは折
つる。孟三こと花より
梅のかのむつましきは薫
などに思ひしみたる故
かと手習のみづから思
ひしるなり。
とには侍らねど、猶隔て有る心地し侍るべきと宣へば、
「人に知らるべき樣にて、世に経給はば、然もや尋ね出づる人も侍
らん。今はかかる方に思ひ限りつる有樣になん。心の趣けも然のみ
見え侍を」など語らひ給ふ。此方にも消息し給へり。
中将
大方の世を背きける君なれど厭ふに寄せて身こそ辛けれ
中将
大方の世を背きける君なれど厭ふに寄せて身こそ辛けれ
懇ろに、深く聞え給ふ事など言ひ伝ふ。
「兄弟(はらから)とおぼしなせ。儚き世の物語なども聞えて慰め
ん」など言ひ続く。
「心深からん御物語など、聞き分くべくもあらぬこそ口惜しけれ」
と答(いらへ)て、この厭ふに付けたる答はし給はず。思ひ寄らず、
浅ましき事も有し身なれば、いと疎まし。すべて朽ち木などのやう
にて、人に見捨てられて止みなむと、もてなし給ふ。
然れば、月比たゆみなく結ぼほれ、物をのみおぼしたりしも、この
本意の如し給ひて後より、少し晴れ晴れしくなりて、尼君と儚く戯
れもしかはし、碁打ちなどしてぞ明かし暮らし給ふ。行ひもいとよ
くして、法華経は、然らなり。異法文などもいと多く読み給ふ。雪
深く降り積み、人目絶えたる比ぞ、げに思ひ遣る方無かりける。
年も返りぬ。春の徴も見えず。氷わたれる水の音せぬさへ、心細く
て、√君にぞ惑ふと宣ひし人は、心憂しと思ひ果てにたれど、猶そ
の折りなどのことは忘れず。
手習君
掻き暗す野山の雪を眺めてもふりにし事ぞ今日も悲しき
手習君
掻き暗す野山の雪を眺めてもふりにし事ぞ今日も悲しき
など例の慰めの手習を、行ひの隙にはし給ふ。われ世に無くて年隔
たりぬるを、思ひ出でる人もあらんかしなど、思ひ出でる時も多か
り。
若菜を疎かなる籠に入れて、人の持て來たりけるを、尼君見て、
尼君
山里の雪間のわかれつみはやし猶生ひ先の頼まるる哉
尼君
山里の雪間のわかれつみはやし猶生ひ先の頼まるる哉
とて此方に奉り給へりければ、
手習君
雪深き野辺の若菜も今よりは君が為にぞ年もつむべき
手習君
雪深き野辺の若菜も今よりは君が為にぞ年もつむべき
とあるを、さぞ覚すらんと哀なるにも、
「見る甲斐有るべき御樣と思はましかば」と、まめやかに打泣い給
ふ。
閨の端近き紅梅の、色も香も変はらぬを、√春や昔のと、異花より
も、これに心寄せの有るは、√飽かざりし匂ひのしみにけるにや。
後
※莊子曰~
莊子 內篇齊物論
※√君にぞ惑ふ
峰の雪汀の氷踏み分けて君にぞ惑ふ道は惑はず
引歌
※√白雲の降りてつもれる~古今
古今集 冬歌
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
忠峯
白雪のふりてつもれる山ざとはすむ人さへや思ひきゆらむ
※√春や昔の
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昔、ひんがしの五条に、おほきさいのみや、おはしましける。西のたいにすむ人有けり。
それをほいにはあらで、心ざしふかゝりける人、行とふらひけるをむ月の十日ばかりの程
に、外にかくれにける。有所はきけど、人の行かよふべき所にも、あらざりければ、なを
うしと、思ひつゝなん有ける。又の年のむ月に、梅の花ざかりに、こぞをこひて、いきて
立て見、ゐて見、みれど、こぞににるべくもあらず。うちなきて、あばらなるいたしきに、
月のかたふくまでふせりて、こぞをおもひ出てよめる
古今
月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
※√あかざりしにほひの
拾遺集 雑春
正月に人人まうできたりけるに又の日
のあしたに右衛門督公任朝臣のもとに
つかはしける
中務卿具平親王
あかざりし君がにほひのこひしさに梅の花をぞけさは折りつる
和歌
中将
大方の世を背きける君なれど厭ふに寄せて身こそ辛けれ
大方の世を背きける君なれど厭ふに寄せて身こそ辛けれ
よみ:おほかたのよをそむきけるきみなれどいとふによせてみこそつらけれ
意味:世の中の俗を嫌って出家した貴女ですが、厭ったのは私にもと思うと辛くなります
備考:
手習君
掻き暗す野山の雪を眺めてもふりにし事ぞ今日も悲しき
よみ:かきくらすのやまのゆきをながめてもふりしにことぞけふもかなしき
意味:真っ暗な春とは思えない景色の野山の降る雪を眺めても、昔あった辛い事が思い出されて、今日も悲しく思ってしまいます
備考:降ると経るの掛詞。
尼君
山里の雪間のわかれつみはやし猶生ひ先の頼まるる哉
山里の雪間のわかれつみはやし猶生ひ先の頼まるる哉
よみ:やまざとのゆきまのわかれつみはやしなをおひさきのたのまるるかな
意味:この山里の雪の間から生えてくる若菜を摘んで来ては、尼になっても猶、将来の貴女に期待していますよ
備考:
手習君
雪深き野辺の若菜も今よりは君が為にぞ年もつむべき
雪深き野辺の若菜も今よりは君が為にぞ年もつむべき
よみ:ゆきふかきのべのわかなもいまよりはきみがためにぞとしもつむべき
意味:雪が深いこの山里の野辺の若菜も、これからは、尼君の為に、長寿を願って摘んで行きましょう
備考:摘みと積みの掛詞。本歌 古今和歌集 春歌上
仁和の帝、皇子におはしましける時、
人に若菜たまひける御歌
光孝天皇
君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄 九条禅閣植通
※河 河海抄 四辻左大臣善成
※細 細流抄 西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄 牡丹花肖柏
※和 和秘抄 一条禅閣兼良
※明 明星抄 西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺
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