OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

父島の道路が通じている一番先の浜で三角ベースをしていたご一行

2009年03月15日 | 硫黄島・小笠原村

(バイクでの父島周遊、前編からの続き)

父島の地図で見てもらえれば分かりますが、
南の方には、舗装道路が整備されていないので、
車やバイクで行けるのは、
小港海岸という場所までです。

2007年に行った時の小笠原村役場の方が連れて行ってくれた
車での島内ツアーでは、境浦海岸とその南の扇浦海岸まででした。

2008年には、50ccスクーターをレンタルして、天文台を発見した
ところまで、前回の記事に書きましたが、
その後、南に向かって、バイクで行ける、一番先の小港海岸まで
行きました。バイクを止めて少し進むと、きれいな砂浜でした。

暑い中、上半身裸の方もいて、その浜で、三角ベースをなさっている
メンバーがいました。

私たちは、それより先に海岸沿い見学に分け行って行こうという
予定ではなく、その浜を見て引き返すつもりでしたので、
三角ベースをなさっている浜とその先の海を見ていたところ、
私たちに気がついた、皆さんが、プレーを中断なさって、
「通りますか?」と声をかけて下さいました。
「ここまで、来て引き返します。」と返事をしました。

そのメンバーの中で、バッターだったのは、
エッセイ、著作で有名な方で、私も、雑誌連載で、
自然の中に出かけて遊んでそこで調理して食べて楽しむ様子を
書かれたエッセイを楽しんで読んでいた、その著者の方でした。

その方が、一緒の小笠原丸で父島に来たのは、出発の
竹芝でお見かけしていたので、知っていましたが、
雑誌のエッセイのように、「隊」で来ているとは知りませんでした。
本格的にバットなども持って来ていて、
真昼間の炎天下に、浜辺で、真剣に三角ベースをなさっていました。

写真は、小港海岸から北西方向です。
小港海外の写真は1枚で、
三角ベースのバッターボックスで豪快なスイングを
なさっていた、その著名な作家・文化人の方が
右側に映ってしまっていたのを部分はトリミングしたものです。

その後、私たちは、扇浦、境浦を通って、
小笠原村役場近くの島に一つのガソリンスタンドに戻ってきました。
「日本一、ガソリン代が高い場所」でしたが、
50ccスクーターで、一回りしただけで、減っていたガソリン量は
わずかで、3台分でもわずかなガソリン代でした。

久しぶりのスクーター運転だったこともありましたが、
風が心地よく、道も起伏に富んでいて、景色も存分に楽しむことが
できたツアーでした。

小道を分け入らないといけない島の南側にも、いつか行ってみたいと
思いました。

小笠原の自然保護には多くの問題(陸続きになったことがないことから
残っている固有種と、入った外来種)もあるようですが、
島内と取り囲む海と多くの周囲の島々に、
他にはない豊かな自然が残されている島を、限られた時間でしたが
楽しんでから、硫黄島に向かう小笠原丸に乗り込みました。


コメント
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