OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2010年6月硫黄島慰霊墓参 擂鉢山(4)

2010年07月03日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、この前の写真とほぼ同じ位置、硫黄ヶ丘から、二日目の午前に(二日目は、戦跡や慰霊碑などを皆でバスでまわります)寄った時間に撮影したものです。前の写真より擂鉢山が大きいのはズームを使ったからです。

この時間の硫黄島は、このように神秘的な薄く黒いベールにつつまれていました。透かして山の形が分かるのですから、非常に薄い雲、ガスのようなものが、すっぽりと擂鉢山(すりばちやま)を覆っています。
( → 同じようにすっぽりと擂鉢山を覆うベールを、今回の訪問では、この後の時間にも見ることになります。)

擂鉢山だけが高い地点であるために、気流の流れなどに影響をするのか、昨年はスコールの雲が擂鉢山の場所だけに空高くからカーテンのように垂れている様子が、小笠原丸(硫黄島を離れる時の島一周の時間)から見られたり、擂鉢山の部分だけが他の部分と違うことがある例を今年も見ました。

この日(今年の二日目)の硫黄島の天気は雲の動きが複雑でしたが、昨年のようなスコール雲はありませんでした。


擂鉢山豆知識 :
擂鉢山は別名、「パイプ山(あるいは通称でパイプ)」と呼ばれます。戦前に住んでいた島民は特に「パイプ(山)」と呼んでいたようで、「パイプ山への遠足」のように使われていました。母もよく、そう呼んでいました。

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