OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

慰霊祭での献歌 「故郷の廃家」

2007年07月01日 | 硫黄島・小笠原村
( 前出の小笠原村 発行のパンフレット
「硫黄島 -硫黄島島民平和祈念墓地公園開設15周年記念- 」から
歌詞とコメントを引用させていただきます。)


故郷(故郷)の廃家(はいか)
                      犬童球渓
一 幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば
            咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
       門辺(かどべ)の小川の、ささやきも、
              なれにし昔に、変らねど、
         あれたる我家(わがいえ)に、
                住む人絶えて無く。
二 昔を語るか、そよぐ風
            昔をうつすか、澄める水、
       朝夕かたみに、手をとりて、
              遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
         さびしき故郷や、
                さびしき我家や。
                                   」 

慰霊祭で、歌詞の印刷された紙が配られ、全員で歌いました。 

戦前に島で生まれて、帰る故郷がなくなった世代の方々には、思いがつまされる歌詞だと思います。
島で生まれていない、私のような年代の者でも「涙ぐまずに歌うことができなかった。」理由を紹介させて下さい。

小笠原村発行パンフレット「硫黄島」も、この歌詞を紹介して下さっていて、
さらにこの曲に関するエピソードも紹介されています。その部分も引用させていただきます。


「故郷の廃家」には、
  次のような話が伝えられています。
  硫黄島での先頭が激化する中、避難していた少年兵達が、壕から顔を出すと、 真っ赤な夕日が顔を染め、その夕日に故郷の両親を思い合わせ、この歌をひとり が歌い、ふたりが歌いするうちに、大勢の合唱となり、それを陰で聞いていた市 丸少将が「十五~十六歳のこの子らを、道連れにするしのびがたさに涙を浮かべ た」ということです。
                                    」

パンフレットは、出発前に小笠原村が郵送して下さっていて、目を通していました。

私の祖父の弟と甥(母の従兄弟)も、十代で、島に残って戦士しています。

軍属として島に残った人、各地から集められた少年兵の十代の少年達が、生きて帰れる見込みがない戦闘の島で「何を思いながらこの歌を合唱したのだろうか」と思い、合唱する少年達を眺めたという「市丸少将(多くのWeb,ブログにも紹介されています)の思いはどうだったろうか?」と思いながら歌いました。
 

作詞者の犬童球渓のウェブサイト 
http://www.city.hitoyoshi.kumamoto.jp/contents/7d390b0e260733c/7d390b0e260733c5.htm

この公園からは係留されているおがさわら丸が良く見えました。大きな船です。
おがささわら丸(小笠原海運)のウェブサイト
http://www.ogasawarakaiun.co.jp/index.html
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5 コメント

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転載のお願い (ワシモ(WaShimo))
2007-11-08 21:02:28
初めまして。鹿児島県に在住のワシモ(WaShimo)という者です。先日、熊本県人吉市に犬童球渓の生家を訪ねました。メールマガジンに『故郷の廃家と硫黄島』というレポートを書きたいのですが、その中で、本ページの『故郷の廃家』に関するエピソードの記事を転載させて頂けないでしょうか。よろしくお願い致します。
返信する
ご承諾ありがとうございます。 (ワシモ(WaShimo))
2007-11-10 01:22:47
joe_and_mickさま、早速のご承諾ありがとうございます。そして、「旧島民の集い」でのお話しありがとうございます。このお話しも転載させて頂ければ嬉しいのですが。メルマガで来週水曜日(11月14日)に配信予定の内容を下記にアップしてみました。この内容で転載のご承諾を頂ければ嬉しいです。
→ http://washimo-web.jp/Report/Mag-Inudou.htm

宜しくお願い致します。
返信する
飫肥の先人 (ワシモ(WaShimo))
2007-11-11 01:08:25
joe_and_mickさま、HPをご覧頂き、ありがとうございます。

卒業研究で、陸奥宗光を研究されたのですね。陸奥宗光のことは詳しくありませんが、陸奥宗光といえば、宗光に取り立てられた飫肥藩出身の小村寿太郎を思い出します。宮崎県日南市飫肥(おび)もまた、小京都と呼ばれる静かな町で、寿太郎の将来性に着目し、長崎への英語留学、さらに大学南校(現東京大学)への進学の道を開いてくれた小倉処平も飫肥出身でした。陸奥宗光とも旧知の仲だったそうです。

小倉は、2年間英国に学んだ俊才でしたが、西南の役に身を投じ、『飫肥の西郷』といわれました。和田越の激戦の際に銃弾を身に受け負傷した小倉は、西郷の可愛岳(えのだけ)突破を知りその後を追ったものの
果たせず、山中で自刃し、自ら32歳の人生を閉じました。近いうちに、その自害の地を、宮崎県延岡市に訪ねたいと思っています。
返信する
コメントありがとうございます。 (OUR HOMEISLAND)
2008-06-20 22:16:07
ワシモ(WaShimo)様、
OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)をご覧いただき、コメントをいただき本当にありがとうございます。メールマガジンに、この記事のことをご紹介いただけるとの、お申し出をいただき、心より感謝申しあげます。

私が書いた中に小笠原村発行パンフレット「硫黄島 硫黄島島民平和祈念墓地公園開設15周年杵」からの引用がありますが、転載に関しての注意書きもございませんので、私が書いた拙い文の部分も、よろしかったらお使い下さい。

参加した慰霊祭まで、私はこの曲も作詞者の犬童球渓の名前も知りませんでした。

熊本県に盆地で人吉市という地名があることは、以前の知り合いで出身の方がいましたので存じておりました。風光明媚な焼酎などでも有名な場所と聞いております。

今年の9月に川崎で開催されました、「旧島民の集い」でも、出席者のテーブルの上に「故郷の廃家」を含む曲の歌詞印刷が置いてあって、会の終わり近くに
皆で合唱いたしました。

小学生と中学生の子供を連れて行っておりましたが、
私より年配の戦後生まれの方が、子供たちに「この曲は音楽の教科書に載っていて学校で習ったけれど、今は、習わないのかしら。」とおっしゃっていました。
うちの子供どころか、私が小学校の時にも習いませんでした。

年配の出席者の方々の中にも、この曲をよく知っている人と、そうでない人ととがいらっしゃる様子が伺えました。

「あれたる我家に、住む人絶えて無く」の部分のリズムの切れ方と音程の上下が難しい曲(というよりは、歌詞を考えずにメロディーの展開だけを追うと、この曲は「あれたる、、」の前の「かわらねど」までの16小節で展開が完結しているという珍しい構成の曲です。

「あれたる、、から後の部分が歌えていない年配の人が多いな。」と思ったのですが、
今ちょうど、戦前硫黄島で生まれの母から電話があったので、訊いたところ、「学校で習った。」と申しておりました。それにしては歌えていませんでした。忘れてしまって歌えない方が多いだけかもしれません。


来年の6月での硫黄島平和祈念公園での慰霊祭でも、来年の9月の川崎での「硫黄島島民の集い」でも、
この「故郷の廃家」を私たちは、必ず、また歌うと思います。それまでに、堂々と大きな声で歌えるように、練習をしておきたいと思います。
メロディーは http://www.iwojima.jp/sunnyh.html
で聞くことができますので。

コメントをいただき本当にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い申しあげます。
(名前訂正・変更)
返信する
有難うございました。 驚きました。 (OUR HOMEISLAND)
2008-06-20 22:20:15
2007-11-10 02:59:19

ワシモ(WaShimo)様

素晴らしいメール・マガジン、ホームページの「レポート&コラム」に、素晴らしい文章でのご紹介をいただけるとのこと、本当に有難うございました。
よろしくお願い申しあげます。

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私は大学で日本近代政治史思想史を専攻して、「陸奥宗光論 初期議会の考察」が卒業論文でした。幕末から明治にかけての思想史専攻で、ゼミの教授の専門は横井湘南から肥後熊本実学党の元田(後の明治天皇の侍講)たちの思想の研究でした。

「レポート&コラム」の、どれから読ませていただこうか楽しみです。村田新八、田原坂、に、、亀山社中に鑑真和上、、、。 本当にありがとうございました。
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