OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

栗林壕の入り口

2009年08月02日 | 硫黄島・小笠原村
栗林壕とも呼ばれる兵団司令部壕の入り口の写真です。

この壕も、照明器具があります。
入り口から下っているところは、石段になっています。

下って少し進むと、狭くて低い部分がありますので、
そこではすれ違いができません。

大人が中腰にかなりかがんでやっとという高さですが、
間違えて腰を上げた背中をぶつけたり、頭を上げたりすれば
後頭部をぶつけたりするぐらいです。
狭い場所にも入るので、帽子と長袖は必須になります。

中腰歩きが苦手な私は、一昨年入った時には、ひざをついて
這ってその箇所を進みました。

狭い場所を通過して照明が惹かれている一番奥の部分には
司令官栗林中将(後、最終位階は陸軍大将)が執務をした広い
場所になっています。

低く狭い、すれ違いができない箇所の距離はそれほどではないので、
両側で声を掛け合えば、途中で鉢合わせになることはありませんが、
今年は、壕の中の人が全部出るのを入り口で確認してから
私たちの班が入りました。

私たちの前に入っていたのは、中学二年生のグループでした。
中学生のグループへの解説は、毎年参加しているおなじみの
硫黄島協会の一番のベテランの方で、
彼の後から、引率の先生と生徒たちが全員出てくるのを待ってから
入りました。



皆既日食が硫黄島から生中継されたことで注目を集めたこともあり
これまでにない多くの方が、このブログに来てご覧下さいました。
ありがとうございました。

また、
マイクロトマト、里子の子ガメについてなども含めて、
Dream Farmの仲間の皆様方などから多くのコメントをいただきました。ありがとうございました。
一人でも多くの方に硫黄島について知ってもらいたいと願っていますので、本当に嬉しく思います。



高校一年生の男性の方からは、メッセージをいただきました。
「このブログをみて改めて戦争について考えさせられました。その戦争によって今も島に帰れない島民の方もいらっしゃる。大変なことだと思います。」

こらからを担う若い人からこのメッセージが届いたことは、
何より嬉しく、心強く思いました。ありがとうございました。



なお、次は、同じ栗林壕の中間部分の写真を紹介する予定ですが、
昨年と今年の当ブログの記事の「北硫黄島」「南硫黄島」について、
勘違いから、取り違えて写真掲載、文章記述をしてしまっていたことが
分かりました。そのお詫び、訂正をあらためて載せようと思っております。
ミスがあり申し訳ございませんでした。
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