OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(24)  「行幸啓記念」の碑の裏側です。

2013年03月21日 | 硫黄島・小笠原村
この前、3月11日に投稿の「2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(16) 上陸してすぐに慰霊祭が行われます。」に写真を載せた
硫黄島島民平和祈念墓地公園の入り口にある「行幸啓記念」の碑の裏側です。平成6年建立であることが分かります。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(23) タコの実です。

2013年03月20日 | 硫黄島・小笠原村
タコの実の写真です。硫黄島島民平和祈念墓地公園の、慰霊祭式典の会場から下に降りた場所にタコノキが何本かあります。硫黄島で見られるタコの実は、場所によっては、実が食べられてしまったものもありますが、このタコの実は、どの房も食べられた痕はありません。タコの実を食べるのは、おこうもりという説と、おおねずみという説があります。非常に硬い房をかみちぎって実を食べるのですから、よほど、鋭い歯があるはずだと思います。食べる実は、大きさは、ひまわりのたねを太らせて小豆の大きさぐらいにしたほどで、色は白く、味はひまわりの種とマカダミアナッツの間のような味です。硫黄島では鉄火味噌にして食べることが多かったそうです。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(22)  平和祈念墓地公園の二つの碑の写真

2013年03月19日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、硫黄島島民平和祈念墓地公園の入り口から入って坂を下りた場所です。慰霊祭式典が行われる場所に入る手前にあります。この塔の前で、慰霊祭に参加したメンバーがグループごとで記念写真を撮ります。塔も左側が硫黄島開拓の碑で、右側が、新旧二種類がこの公園にあるうちの新しい大きい方の旧島民戦没者の碑です。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(21) 硫黄島開拓の碑

2013年03月18日 | 硫黄島・小笠原村
これも同じ硫黄島島民平和祈念墓地公園内にある、硫黄島開拓の碑の写真です。 小笠原村のホームページ http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline/ioutou/development.html の紹介によると、
1991年に、新しい大きい方の硫黄島旧島民戦没者の碑と同時に建立されたそうです。


このブログを始めて間もない、2007年6月30日に、
「 「硫黄島開拓之碑」の碑文にある、硫黄島の情報と略歴 」という記事投稿をしていますので、
そちらもご覧いただけると嬉しいです。
 
碑文は、こちらの 
http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline/ioutou/index.html
小笠原村ホームページでもご確認いただけます。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(20)  平和祈念墓地公園からの擂鉢山

2013年03月17日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄島島民平和祈念墓地公園からの擂鉢山の写真です。この写真の向きでは、向かって右側が釜岩や監獄岩の方向で、左側が空港という位置関係になります。ここから擂鉢山までは、かなり距離があります。6,7キロは離れていると思います。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(19) 平和祈念墓地公園の沖合いにあるのが監獄岩です。

2013年03月14日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄島島民平和祈念墓地公園からの、沖合いの監獄岩の写真です。
戦前は、釜岩、監獄岩とも、島からは離れていたのが、今は隆起で釜岩は島とつながって砂洲の半島のようになっています。監獄岩は、
この平和祈念墓地公園の沖合いに今でも島として横たわっています。私たちを連れて行ってくれて繋留停泊中の小笠原丸の位置からは
釜岩の向こう側にあるのが監獄岩です。航空写真や地図、または、すり鉢山の山頂からの写真で、監獄岩の位置と大きさを確認することができます。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(18) 慰霊祭の前に、ここでお線香をあげます。

2013年03月13日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、硫黄島島民平和祈念墓地公園の中の、旧島民戦没者の碑と墓碑です。
この公園は旧島民墓地でもあるので、個人のお墓の墓碑がたくさんあるのではなくまとまっての墓碑ですが、硫黄島の島民にとっての墓地でもあるので墓碑があります。

旧島民戦没者の碑は、戦前に島に住んでいた人で、軍属として島に残らされて戦争の犠牲になった82人の戦没者の名前が書かれています。この写真の手前のものが古くからあった碑で、新しいもっと大きな碑は、同公園の入り口近くにあります。
硫黄島に住んでいた人たちは、なんらかのつながりの親戚、姻戚の人が多いのですが、近い親戚では、私の祖父の弟と二人の甥の名前などがあります。


慰霊祭が始まる準備を待つ間に、ここで、私たち、慰霊墓参に参加のメンバーは、お水や食べ物やお花をお供えして、お線香をあげて、お祈りをします。

碑のまわりに散らばっているのが、昨日の投稿で紹介したプルメリアの花びらです。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(17) 硫黄島島民平和祈念墓地公園のプルメリア

2013年03月12日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は、慰霊祭が始まる前に撮った硫黄島島民平和祈念墓地公園内に咲いていた、プルメリアです。この場所には、他にもタコノキなど、いろいろな植物を見ることがでいます。また、島内には、ハイビスカスが植えてある場所などもあります。
島内全体の植生としては、太平洋戦争の激しい戦闘で、植物は一度はほぼ壊滅の被害を受けただろうと思われます。戦後、米軍が空中から種子を散布して増やしたと言われるギンネムが多く目立ちます。珍しいところでは月下美人、他にも、硫黄島島唐辛子やパパイヤ、レモングラスなどもあります。
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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(16) 上陸してすぐに慰霊祭が行われます。

2013年03月11日 | 硫黄島・小笠原村
例年、上陸すると最初に、ここ、慰霊祭が行われる硫黄島島民平和祈念墓地公園に向かいます。
この写真は、そこの入り口にある記念碑です。

毎年、暑い中で、慰霊祭が行われます。

前の年(2011年)には、上陸できずに沖合いの船上での慰霊祭でしたので、
二年ぶりでした。



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2012年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(15) 小笠原丸から硫黄島への上陸(4)

2013年03月10日 | 硫黄島・小笠原村
このところ、ほとんど、記事をアップロードするのをサボってしまっておりました。
2012年6月に硫黄島に行った報告も、ほとんど、記事更新をしないままで途中にしてしまっていました。
申し訳ございませんでした。

慰霊墓参の特別便の小笠原丸が、硫黄島の釜岩沖に到着して上陸するときのことを紹介していたところでした。
この写真は、小笠原丸の船腹の乗船下船のための場所に横付けされた、父島から乗ってきた艀(はしけ)を
甲板から撮った写真です。
この後の時間に、小笠原丸から硫黄島に、これらの艀がピストン輸送で、私たちを上陸させてくれます。

写真が、もやがかかってしまっているのは、船室と外との気温差で、湿気が非常に高い外に出たことでカメラが
曇ってしまったからです。

硫黄島沖に小笠原丸が到着してから、上陸の準備までの、上陸場所を決めてから繋留や、艀をおろしたりする作業は、
非常に難しい操船技術が必要だそうです。ここでしか見れない作業が展開されるのですが、
到着時間が未明であることから、よっぽど、早起きをしないと、見損なってしまいます。

できれば、日の出から続けて見たいと思うのですが、気がつくともう停泊しているということに
なってしまうことがあります。

これは、いまから。

かすんでいるのは

すごい操船技術、、朝早い、、、。
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