硫黄島の中心部の硫黄ヶ丘には、今もこのように活発に硫黄を噴出している場所があります。この近くでは、箱根にあるような言おう噴出が、すぐ近くで見ることができます、音と硫黄臭はすごいですが、もともと気温が高く暑いので熱はそれほど感じません。今年は、この硫黄の噴出の様子を動画でも撮ってきました。
これが硫黄ヶ丘の地面に吹き出た言おうが黄緑色に結晶になったものです。このような硫黄があちこちに見られます。硫黄ヶ丘の地面は、やわらかくて熱く踏むとへこんで足がもぐってしまうような場所もあるので注意が必要です。1センチほど沈む程度の場所でしたら注意していれば歩くことができますが、もっと、やわらかい場所では、脚まで入ってしまってやけどをしてしまったという事故もあったと聞きます。
硫黄ヶ丘の船見岩から撮った写真の紹介の最後は、足元の岩のごつごつした硫黄ヶ丘とその向こう側に見える緑の大地です。船見岩からの写真の紹介の最初に紹介したものの方向よりやや右向きという角度だと思います。反時計まわりにぐるっと各方角に向かって撮った7枚の写真を紹介してきました。
硫黄ヶ丘の船見岩の上からの写真、これは、前回紹介の写真より少し左側に回ったあたり、方位でいうと東南東の方を向いています。写真の中央より少し左側の白い地面が奥にへこんでいるあたりには、前には実を取ったこともある大きなタコの木があって、その場所から、戦前は小学校の敷地だったと言われる今はがじゅまるの森になっている場所に入っていけます。この写真の森に入る手前のあたりは、激しく活発に硫黄を噴出している噴出孔があるあたりです。
硫黄ヶ丘の船見岩の上からの写真の紹介を続けておりますが、この3枚目の写真ははっきりと方向が分かります。南東に向かって撮った写真で、後ろ側に見えている建物群は現在の滑走路を挟んだ向こう側にある自衛隊などの施設です。この建物があるあたりが、戦前の集落の呼び名では、南と呼ばれていたあたりです。従って、この写真は南集落より手前の当時の商店街などがあった中心地だった元山集落の中心の方に向かって撮ったもので、硫黄ヶ丘、元山集落、その向こうに南集落という位置関係になります。元山集落の中心部分、私の祖父母がやっていた魚や雑貨を扱っていた店のあった位置は、現在は、滑走路になってしまっている場所だと言われています。
写真一番左に芝生の広場のように見える箇所がバスで連れてきてもらって乗降する場所、硫黄ヶ丘の入り口部分です。その地点の手前に以前に紹介した焦げたタマナの木があります。写真の真ん中から左にかけての森になっている部分が、戦前の学校の敷地だった場所だそうです。今は、すっかりがじゅまるに覆われた森ですので、この場所が校庭だったと言われているあたりも今はすっかりがじゅまるに覆われた森ですので、かなり立派に育ったがじゅまるなのですが、戦後に生えて伸びた木々だということになります。
写真一番左に芝生の広場のように見える箇所がバスで連れてきてもらって乗降する場所、硫黄ヶ丘の入り口部分です。その地点の手前に以前に紹介した焦げたタマナの木があります。写真の真ん中から左にかけての森になっている部分が、戦前の学校の敷地だった場所だそうです。今は、すっかりがじゅまるに覆われた森ですので、この場所が校庭だったと言われているあたりも今はすっかりがじゅまるに覆われた森ですので、かなり立派に育ったがじゅまるなのですが、戦後に生えて伸びた木々だということになります。
これも硫黄ヶ丘の船見岩の上からの硫黄島の写真です。どちらの方角を撮ったのか正確には覚えていない写真の紹介が続きますが、おそらくこれは、前回紹介の写真よりは向かって左方向の、真西向きに近いあたりを撮ったもののように思われます。 硫黄島の地図は、http://sk-photo.main.jp/ioujima/main.html の硫黄島写真館様ホームページのものが分かりやすいです。 おそらくは、この写真で遠くに見えている海が西海岸から千鳥ヶ浜あたりではないかと思います。
硫黄島のほぼ中心にある硫黄ヶ丘の船見岩に上って撮った写真です。これはおそらく方角的には、北西に向かって撮った写真で小笠原丸が停泊している場所や上陸地点である釜岩、私たちが宿泊する平和祈念会館のある方向が写っていると思います。写真の手前右側には、硫黄ヶ丘の硫黄の大地の部分が広がっています。