硫黄島のほぼ中心、戦前は役場、学校、旅館、商店街を含む最大の集落であった元山集落のすぐ隣に広がっている硫黄の大地がここ、硫黄ヶ丘です。硫黄が噴出している箇所もあって、地面は一部柔らかくて、歩いて踏むと地面が少し沈みます。
これも、硫黄島の硫黄ヶ丘の入り口近くの焦げて残ったタマナの木を別の角度から撮った写真です。写真の奥側は森になっていて、この写真には写っていないその右側はこの場所への入り口になっていて、私たちを送ってきてくれるバスが止まる場所です。その地点から緑の森を隔てた向こう側が現在の滑走路です。背中側が、硫黄ヶ丘の硫黄の台地という位置関係です。
前回の投稿までは、今年の6月15日に硫黄島に上陸してから、最初にあった、慰霊式典の会場の硫黄島島民平和記念墓地公園の写真を紹介してきました。式典が終わると、一度、墓地公園から近い平和祈念会館で荷物と下ろして、昼食のお弁当をいただいてから、島民関係者は、戦前に在住していた集落への里帰りになります。私の母、祖父母は硫黄島の戦前の中心で役場、学校、商店街があった元山集落出身です。元山集落の中心部は、今は滑走路の下になってしまっていると言われていますので、毎年、一番近くにある硫黄ヶ丘に来ることにしています。写真は硫黄ヶ丘の入り口からすぐの場所にある、こげたタマナの木です。固くて丈夫な木だそうです。戦前からあって、地熱で焦げてもこのように残っているそうです。
この写真は慰霊式典がとりおこなわれる硫黄島島民平和祈念墓地公園の入り口あたりを採ったものです。入り口のゲートの向こう側には道路の横の広くなっている所に私たちを乗せてくてくれたバスが停まっているが見えます。この写真の左奥側が旧島民墓石があるあたりになります。背中が慰霊式典会場と、その後ろに海が広がっているという角度、位置関係です。
硫黄島島民平和祈念墓地公園の中心部分、式典が行われる場所です。とがったピラミッド形の白い屋根がいくつかある建物群の写真です。この屋根の下に並べられた椅子に座る人たちと、その前の献花台との間の場所にテントが張られた下に席がある来賓の方々と、私たち硫黄島島民関係者とが、式典への参加者です。