日の出直後の太陽です。
小笠原丸の船室や船内は冷房がきいていますが、デッキに出ると、硫黄島のものすごい湿気ですので、例年、起きた直後の夜明けの硫黄島の写真を撮りに
出たタイミングでは、冷え切ったデジカメのレンズに水滴がついて、なかなか温まるまで時間がかかります。その水滴のせいで、このような写真になりました。
小笠原丸の船室や船内は冷房がきいていますが、デッキに出ると、硫黄島のものすごい湿気ですので、例年、起きた直後の夜明けの硫黄島の写真を撮りに
出たタイミングでは、冷え切ったデジカメのレンズに水滴がついて、なかなか温まるまで時間がかかります。その水滴のせいで、このような写真になりました。
今年は硫黄島に滞在している間に、雲一つない快晴という時間は少なくて、周辺を含めて雲がきれいに見える時間が多かったです。雲を意識して撮った写真が例年よりかなり多いと思います。
この写真は釜岩(戦前は硫黄島の沖合の島でしたが、その後の隆起で現在は陸続きになっています。)先端と、沖合の監獄岩の方を撮ったもので、上がったばかりの朝日は、もう少し写真の左側にあるという位置関係です。
この写真は釜岩(戦前は硫黄島の沖合の島でしたが、その後の隆起で現在は陸続きになっています。)先端と、沖合の監獄岩の方を撮ったもので、上がったばかりの朝日は、もう少し写真の左側にあるという位置関係です。
ここからは、今年の硫黄島慰霊墓参の時の様子の紹介を、6月12日と13日の硫黄島に滞在した期間(東京からの出発から帰りまでの期間は6月10日から15日の6日間)について、到着した12日朝から、父島に向けて硫黄島を離れた13日日暮れまで、時系列に紹介をしていきます。
父島から硫黄島までは小笠原丸で8時間です。前日の20:00に父島の二見港を出ましたので、明け方の4時頃には硫黄島の停泊地の釜岩沖に着いたのだと思います。
毎年、目が覚めて起きてデッキに出ると夜明けの時間あたりです。今回は、例年と小笠原丸の角度が違うなと思いながら見ていたら、その後、小笠原丸が位置を変える移動をしていましたので、停泊するベストポジションを見つけようと移動を続けていたのだと思います。
私たちが上陸する釜岩の地続きになった場所に太陽が出てきた時の写真です。
父島から硫黄島までは小笠原丸で8時間です。前日の20:00に父島の二見港を出ましたので、明け方の4時頃には硫黄島の停泊地の釜岩沖に着いたのだと思います。
毎年、目が覚めて起きてデッキに出ると夜明けの時間あたりです。今回は、例年と小笠原丸の角度が違うなと思いながら見ていたら、その後、小笠原丸が位置を変える移動をしていましたので、停泊するベストポジションを見つけようと移動を続けていたのだと思います。
私たちが上陸する釜岩の地続きになった場所に太陽が出てきた時の写真です。
今年の恒例のお見送りは、天気がよくなかったこともあって、いつもの年よりは船の数も少なかったように思いました。ボートからの飛び込みパフォーマンスも少なかったです。湾内にもそこそこの波があったので、かなりのスピードで追ってきている船は、大きくバウンドしたり、前後に揺れたりしていて、相当な迫力でした。乗っていた見送りの人たちは大変だったと思います。