本題に入る前に定義の見直し(引用)
成熟社会とは、経済や社会制度が発展し、必要な物やサービスは満たされ、自由で便利な生活はできるが、成長がピークに達し色々な状況を呈している社会のことである。
人間は従来、集団(地域社会や家族等の共同体)が持つ伝統や知恵に学び、集団に支えられて生きてきた。
少子高齢化によって引き起こされる問題としては次のようなものがある。
・生産年齢人口(労働人口)の減少による国力の低下
・若年労働者の減少による、深刻な人手不足
・高齢者の増加による社会保険料などの負担の増加
・少子化の進行による教育費の減少
それでここからが本題です。
今の日本の社会を象徴している言葉かと思います。
年寄りというか、昭和ならまだ縦社会や礼儀作法で事足りる秩序だったのですが、
平成に入って特に恵まれない層にモラル軽視、道徳観の劣化でトラブルが起きています。
が、一方ではそれまで完璧が求められなかった事も制限するのが増えました。
飲酒運転などは家族や会社などを思えばやらなかった事が法律で縛らないといけなくなっています。
また、禁煙も医療費の増大などで健康の問題以外でも規制せざるを得ないような社会情勢です。
経済的、社会的にこの状況にあったルールに変わるのは仕方ないとして難しい問題もあります。
昭和なら連帯責任のような組織的に歯止め、足枷が掛かっていました。
それが個人が優先されて防犯カメラの設置などに頼るようになったのも時の流れでしょう。
今朝も交番はオープンな方が良いのか、それとも以前の固いイメージのまま正確な任務を遂行して貰うのかテレビで話していました。
それで想うのが、年寄りは自分の生きてきた社会の継続として現在も生きています。
しかし、若者や子供は社会的な学習もこれからですし、子供に至っては守られる立場です。
ところがネットの匿名性の影響か、はたまた最近の流行の影響なのか社会的学習が未了という意識が低いのです。
私の子供の頃もあまり言えたものではありませんでした。
引き合いに子役を挙げるのも卑怯ですが、あんな感じで舐めた勘違いをしてました。
こうすれば大人はこう反応するとかを取得して狡く立ち回ってしまうようなも社会的学習が未了という意識が低い所為です。
酷い人だとそのまま親になってしまって躾と称した自分の意向を押し付けて脅迫しているような感じになってしまいます。
ちょっとくだらない話なのですが、大学やその他の公共施設等でどのくらい大人な自意識なのかを気付かせてあげたらどうかと思います。
くだらないマナーはもちろん、本当は相談して解決しなければならないような問題行動を減らすようにしないと日本だと相談相手が無いまま詰んでしまいます。
最低でも詰まない内にやめさせられるのか難しい話なのです。
抽象的な書き方ですみません。
性善説的な社会風潮で突飛な事件が起きると何かに理由を求めようとします。
しかし、現実的にそのような理由よりは普段からの習慣でやってはいけないような事を自分の物差しだけではなく、周囲の人への影響なども冷静に考えられるのかが欠落しています。
それは会話や信頼に恩恵を感じられるような状況が少ないからかもしれません。
便利過ぎる事で失った信頼関係を再び何か別の形で埋めないと相互依存とかであった緊張感で指導されていた内容の箍が緩んでいるように思えてなりません。