貧困の連鎖を断ち切る為に貧しくても大学に行ける、またその後も奨学金の返済に追われない社会の実現なのは
理解しています。
しかし、これまでの大学進学や学卒の就職には努力を前提とした評価や信頼がありました。
また、こんな事を書くのも変ですが、学卒者の家庭くらいのモラルやマナー、金銭感覚がありました。
私が社会に出て一番最初に困ったのがビデオに撮られる事でした。
経験がないというのはもちろん当時もまだ高価だったと記憶しています。
そう言うのが壁ではないのですが、素直に上手く表情を作るとか苦手でした。
今時、さほどそう言う壁はないのかと思いますが、それでも価値観の差で行動は変わります。
慣れもあるのでしょうが、そんな簡単に埋まる事もないので見えない壁は残るのかと思います。
つまり、学卒である程度の企業に就職すれば貧困の連鎖から脱却できるというのは表面的なものです。
親の裕福さや地位はその後も連鎖しますから、なかなか簡単な話ではなく、推論の域でしかないのです。
その前に大学で周囲と付き合うだけのお金とか、服装とかも釣り合いが取れませんよね。
バイトに明け暮れたらそう勉学で優秀でも仲間が増えるのか難しいのでは?
だから、二重の推論になっていると思うのです。
大学で耐えて、社会でも堪えるのは変わりなくそれで堪えきっても全体から嘱望されるリーダーになれるのかは分かりません。
余程の実績で伝説的な話になるくらい稀な出世は聞き及ぶだけです。
それも高度経済成長期の話ですから、今のようにチャンスが少ないとどうなのでしょう。
書いてみただけで野党やマスコミが思っている理想が起きないとまでは言わないです。
ただ、確率が低いとか、そこまで社会全体も優しくはないのかなと思うだけです。
日本は過去、投資の失敗からあまり安易に起業とかに積極的ではありません。
しかし、中国やアメリカは夢を追いかけさせます。
その差もあるのかと思います。
起業や独立に向けて投資する環境や基準整備、利益の勘定をしっかりしたら投資するのも格差是正には良いのかと思います。