情報番組制作スタッフの言う「お笑い」ではなく、有名人としてテレビに出演して影響がある立場にネットからの批判は有るのかと思います。
本気で庇うだけなら、吉本新喜劇や舞台に多用してテレビから一時的でも離すのが保護する事になるのかと推測しています。
そう言う人はわざわざ大阪の劇場まで足を運んでまで批判はしないのでしょう。
大阪の地元で批判されるなら、それこそ出直してもダメなのかもしれません。
弄ってはいけないような人物かどうかもわからないようなネット民は最低です。
おそらく擁護派の多くは出自に関して、育った環境や本人の行動に関して配慮した上での話かと推察ます。
そもそもお笑いからのインフルエンサーみたいな話を正当化するのは難しいはずなのです。
と言うのも中にはそれなりの知識や経験を積んでしっかりした話を出来る方もいらっしゃいます。
でも見下すような態度ではなく、話の内容そのものの評価が厳しいと言うか理解しているのかを問われるようなネット社会です。
簡単に言えば、老害的な文句は言えてもつまり昔で言う説教は出来ても良いアドバイスが出来るだけの経験や人柄を形成しきれていないのでしょう。
そんなお堅い話なのにそれをテレビで普通に活躍しているから、何を言っても自由と勘違いしてしまうと炎上します。
また、谷原章介さんのように取り上げられる機会が多い人は要注意なのかと思います。
そこには気にいらないと言うような感情も入っていますから。
松本人志さんについてもお笑いとして一流でも他の事まで手を広げるとボロが出るようです。
意図せずにお笑いから人格を好まれた人に鶴瓶師匠やタモリさんが居て共にそうなんですが、喋るではなく語るようにストリー性や話をまとめる力があります。
結局、番組の総合司会とかの能力は時間的な計算も含めての喋る事のスペシャリストでお笑いのような定型のツボの存在が他だと発揮されないのでしょう。
こんな事を言っては失礼ですが、他の事は他の事で勉強や消化して自分の物にしないと要するにテレビを見ている側と変わらないのです。
和田アキ子さんが以前も善意で道徳的に説教されてはご意見番みたいな扱いでリアルで知らない世代から疑問に思われていたフシがありました。
擁護したい気持ちはわかりますが、それを貫くだけの経験が無いのも知れた事かと推察されます。
と言うのは一定の社会的な問題を多く抱えた人達の集団や行動習性とでも言う一般の人は触れる事のない世界観でそれが漫画や映画などで間接的に知られる程度です。
抜け出したくても抜け出せないような仕組みと表現するしかない人間関係ですから。
それでもなるべく関わらないで済むならそれしかないのでしょう。
答えなんてないのは知っていても利用されている本人は可哀想に見え、しっかりとした管理の出来る人間を側に付けておくしかないような気がします。