ジャーナリストの大谷昭宏氏ってテレビで見かけるあの人ですよね。
識者と言うよりはコメンテーターの方で印象は良いけど深掘りは出来ないイメージです。
誤解していらっしゃると思うのは多くの人は社会的にストレスを感じ、特に仕事や人間関係で下手すると病気になってしまいます。
それなのに特定の人物を挙げて言うのはおかしいし、また扱うのが難しい事例を挙げて叩くのは何か違います。
やはり、あの事例はあの警察署特有なのかとも考えるべきです。
社会学者の大澤真幸氏の見方も少し大雑把過ぎます。
オウム真理教によるテロ事件や秋葉原の無差別殺傷事件と比較するのには全く違う経過ですよね。
確かにこれまでに起きた大事件と言う比較の中で語るのもあるのでしょうけど、本質的には安倍氏銃撃はやはり問題点を整理して個々に分析すれば間違いはおそらく韓国の宗教トップへの諦めから違う方向へ舵を切った焦りなのかと考えられます。
本当に狙ったターゲットが憎いなら韓国へ出向いてでも計画するのかと想像してしまいそうです。
と言ったところでそれが可能な訳もなく、具体的な話ではありません。
だとすれば、普通なら国内の宗教トップをとなるのかと推察されるのに何故かそれを飛び越している点とか考察されないのですよね。
幾つかの結び付きで判断してしまったのは常人には理解出来ないような発想です。
本人も精神鑑定等でいろいろ聞かれて嫌になる程度の人物なのかと思ったら、学者が胸を張って説明するような対象でもないのかもしれません。
言ってみれば、銃を作った犯罪者の多くが試し撃ちするように誰かターゲットを選ぶ時に捨て鉢で関連する大物を狙ったような山気さえ感じます。
こんなの学者の考える話とは思えません。
確かに弱者が救われない社会の面もあるのでしょうけど、それは弱者の扱いに慣れない特定の団体等の話かと思います。
また、秋葉原事件のように経済的に追われ、かつネットでも否定されるような上手くいかない状況でもやらない人はやらずにいますよね。
簡単に言えば、冷静さ、自己分析の仕方なのかと思います。
特例中の特定に科学的な根拠を求めても虚しい話です。
せめてもは常人ならそう言う事にはならないし、ならない為の社会的な相談窓口が有るのを明確にすれば終わりです。
また、頭の切り替えが出来るような社会へと発展させるためにも固執するのは違うと思います。
ネットでも面白いのは別に有ると気付けば違う世界へと向かったのかもしれません。
また、心理学的に相談して病気ならそれなりに対処すれば未だ救われたのかもしれないと想像の域を出ない話しか出来ません。
兎角、人間何かから逃げようがなくなると判断がとんでもない事になると言う点だけは一致しています。
悪い犯罪へ向かう発想を食い止める環境下に居れば良かった筈です。
最期まで感謝するような存在がいたら思い留まるのかそう言う発想はないのでしょうか?
甘いかもしれませんが。
皮肉な話ですが、そう言う人を思い留まらせるような社会を作る存在が宗教なのに日本だとそれが違うものになっていますよね!
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