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秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」新潟市市民文化遺産に認定される

2014年07月10日 | 伊予松山歴史散策
新潟市市民文化遺産に認定・秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」の新潟日報記事紹介                           

この度、新潟市が市民文化遺産を創設、秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」が認定され、新潟日報新聞の記事になった。市内各地区から文化遺産となる貴重な遺産が200件余りが推薦され、認定調査委員会が調査・ 審査した結果159の遺産が認定、7月5日付の新潟日報新聞にその内容が記事になり、記事の写真に取り上げられたのが秋山好古揮毫石碑「忠魂碑」であった。
新潟市民文化遺産制度は下記の通りです。
「新潟市の郷土の宝を再認識を促す」 を目的で、認定基準は「郷土の歴史や文化を象徴しているもの「世代を超えて地域で 受け継がれ、今後も保存すべき貴重なもの」とする・・が対象です。
対象となる文化遺産は「建造物・旧跡・記念碑・芸能・有形・無形文化財の等々」だそうです。
市民から推薦を受けた認定候補を、有識者による認定調査委員会が調査・ 審査し、結果を公表して、認定文化遺産を紹介するガイド ブックを発行する予定とあります・・新潟日報記事より。
新潟市江南区横越地区からは、秋山好古揮毫の石碑「忠魂碑」を推薦する事に 横越コミュ二ティ協議会(10月16日)の会議で決定し今回晴れて認定された。
忠魂碑の揮毫は、
秋山好古が、第13師団長として大正2年に新潟県高田に赴任していた時に、横越村の村長さんが新潟県知事伊澤知事に、忠魂碑の揮毫依頼し、そして伊澤知事が秋山好古にお願いしたそうです。
伊澤知事は、奇しくも前任地が愛媛県であり、好古は伊澤知事を「私の郷里愛媛県で財政を立て直した有能な知事である新潟県でもいい仕事をすると思いますと」新潟県民に紹介しております。
伊澤知事はその後、東京市長を歴任後、東京警視庁総監になられた。
特記事項として、新潟市江南区横越地区遺族会の皆さんは、現在も忠魂碑の前で毎年慰霊祭を開催されており私も平成22年9月6日の慰霊祭に参列させて頂きました。
松山市にある秋山兄弟生誕地の関係者の一人としてこの度の市民文化遺産認定は本当に嬉しい事であります。


新潟日報は、新潟市市民文化遺産認定を記事として7月5日付で掲載した。記事に使った写真が秋山好古揮毫した「忠魂碑」であった。新潟日報新聞は昨日(7月9日)新潟市の神田氏から送って頂いた。


1.碑   文 :  忠魂碑
2.所 在 地:  新潟県新潟市江南区沢海二丁目15番30号 日枝神社
3.揮 毫 者:  陸軍中将 秋山好古
4.建 立 者:  賀表講
5.建立年月日:  大正2年7月 
6.碑石大きさ:  高さ 2m70cm 横幅 1m48cm 厚さ 42cm


忠魂碑の揮毫は、秋山好古が、第13師団長として大正2年に新潟県高田に赴任していた時に、横越村の村長さんが新潟県知事伊澤知事さんに、忠魂碑の文字を揮毫依頼し、そして伊澤知事が秋山好古にお願いしたそうです。伊澤知事は、奇しくも前任地が愛媛県であり、好古は伊澤知事を「私の郷里愛媛県で財政を立て直した有能な知事である新潟県でもいい仕事をすると思いますと」新潟県民に紹介しております。
伊澤知事はその後、東京市長を歴任後、東京警視庁総監になられた。


石碑の由来:203高地は当初あまり重要視されなかったが、旅順港停泊中のロシア海軍太平洋第一艦隊(通称旅順艦隊)に砲撃しようとする際、弾着を観測する兵を配置するのに最適な場所であると気づいた日本海軍連合艦隊の参謀であった秋山眞之少佐がこの高地を攻略することを進言した。203高地からは旅順港が良く見通しが出来る高地で日露戦争の決する重要な鍵を握る場所になった。明治37年9月20日の総攻撃戦闘に大町助作一等兵士も参加露軍鉄條網切断の任に当たり目的は達成したが敵弾に当たり戦死した。第8中隊所属の斉藤源次郎上等兵は、奉天に前進中盛京省田義屯地点に於いて露軍と激戦奮闘したが敵弾を受け壮烈な戦死を遂げた。また清田幾平伍長は、ローゼンガルトフカの激戦で戦死した。三名の陸軍兵士は、新潟県沢海地区から出兵し名誉の戦死をされ村葬として明治37年12月3日に葬儀が行われた。三名の霊を祀るために忠魂碑が建立された。


現在は、日露戦争で戦死された三名の兵士と、先の大戦(大東亜戦争)で戦死された兵士の方々との合同慰霊祭として毎年9月に忠魂碑の前で開催されている。私も平成22年9月6日に開催された慰霊祭に参列させて頂き写真を撮らせて頂いた。


平成22年9月6日の新潟市は、残暑が厳しく本来は忠魂碑の前に祭壇を作りその前で慰霊祭を開催しているが、あまりの猛暑でこの年は日枝神社本殿で行われた。画像奥に忠魂碑が見える。この年に限って本殿に宮司さんは祭壇を設けた。


遺族会の関係者一人一人が祭壇の奥に見える忠魂碑に向かって玉串を供え英霊に拝した。
私は、秋山好古が揮毫した石碑の調査を現在も調査しているが、現在全国に51基の石碑が発見されている。内訳は、東京都1基、千葉県3基、神奈川県1基、静岡県1基、新潟県2基、愛媛県43基で、その内慰霊碑(忠魂碑・慰霊碑・表忠碑・招魂碑)が20基ある。忠魂碑の前で慰霊祭を開催しているのは、ここ新潟市江南区沢海の忠魂碑だけである。この事も踏まえて新潟市は、市民文化遺産の一つとして認定されたものと私は思います。
コメント
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