日本サッカー協会会長といいますと、Jリーグスタート以降、1990年代前半から長沼健会長、岡野俊一郎会長、川淵三郎会長、犬飼基昭会長、小倉純二会長、大仁邦彌会長、田島幸三会長と受け継がれてきました。
この歴史をみますと、犬飼会長を除けば、いわば日本サッカー界における論功行賞的人選、あるいはスポーツ界特有の縦の人間関係で決まってきたと感じざるを得ません。
言い換えれば、その時代に日本サッカー協会のリーダーがどういう力量を備えていなければならないかとか、その時代の課題がどんなもので、リーダーがそれに対応できるのかどうか、といった視点を抜きに、次は誰にしようか、といった内輪の互選で決めていく時代ではなかったかと思っています。
その中で「犬飼会長を除けば」と申し上げましたのは、犬飼会長だけは外部から落下傘のように協会に招かれた方でした。もちろん、外部といっても、まったくの外部ではなく浦和レッズでのクラブ経営の手腕を買われ、Jリーグ専務理事を2年務めた後、会長に就任された方です。
この人選には、前任の川淵会長の「これだけ社会的影響力が大きくなったJFA組織は、経営者的感覚を備えた人でないと、率いていけない」という強い信念のもと、犬飼氏に白羽の矢を立てた大胆な決断が働いたものと解釈しています。
しかしながら、川淵会長が協会内に隠然たる影響力と人脈を築いている状況ならば、それを後ろ盾に犬飼会長も長期的視点で協会経営に当たれたと思いますが、いかんせん、犬飼新会長を支えるはずの幹部たちにしてみれば、あたかも霞が関中央官庁のトップ人事のように「次はあの人、そのあとはこの人と描いていたシナリオを崩された突発人事」のようだったのではないでしょうか。
犬飼会長の2年間は、周りが面従腹背、思うような協会経営ができなかったことでしょう。2年後の役員改選で、どのようなシナリオが描かれ犬飼会長が辞任することになったのか、当「サッカー文化フォーラム」は、いまからでも、詳らかにしなければならないテーマに据えています。会長交代に暗躍した人もいたに違いありませんので。
ある意味、犬飼会長が2年だけで辞任されたことで、会長人事は、元通りの「禅譲路線」に戻ったことが、そのあとの会長選びに現れていると思います。
それから10数年、このたび、田島会長は3期6年をもって勇退することを決意されました。現在66歳だそうです、当・夢追い人は、もう少し在任されるのではないかと思っていましたが、何が勇退を決意させる要因だったのか、ご本人の言葉を待ちたいと思います。
そして、後任に白羽の矢を立てたのが宮本恒靖氏というわけです。
もちろん、田島会長の独断で決められる時代ではありませんから周到に手続きを踏んで、また宮本氏にも助走期間にあたる日本サッカー協会の理事、専務理事の経験を踏んでもらってのことですが、犬飼会長就任時のインパクトをはるかに上回る人選だと思います。
今回の次期会長人選には、いくつかの特徴があると思います。
一つは、犬飼会長選出時と同様、協会内で昇進してこられた方ではなく、ある意味落下傘的な方であることです。
これが、犬飼会長が味わわれたご苦労と同じ状況を生まないのかどうか、少し見ていく必要があると思います。
次に、宮本氏には、協会内で長くテクノクラートとして経験を積んだわけでもなく、犬飼会長のように企業経営者として卓抜した手腕を認められての選任でもないという特徴があります。
特に今の協会というのは、例えば日本代表のマッチメイクや各種大会参加でも巨額の資金を必要とする、いわば「カネをどうやって捻出するか」といった経営手腕が非常に重要な任務になっていることを考えると、宮本新会長の手腕が心配になるというより、一般的に言われる経営経験とか、協会運営経験などまったく無用の、新しい取り組みで「稼げる協会」にしてくれるかも知れないと期待したくなります。
3つ目の特徴は、若く、高い識見を持ち、しかも国際人であるという宮本氏のキャリアです。
これからの時代、年齢は組織のリーダーには関係ないかもしれません。特に世界規模のスポーツであるサッカービジネスの世界ではなおさらです。国際サッカー連盟(FIFA)の現会長であるインファイティノ氏も宮本氏と同じ46歳で就任しています。
現会長の田島氏も、筑波大学大学院を修了され助教授も経験された見識を持っておられる方ですが、宮本氏もガンバ大阪選手の傍ら同志社大学を卒業され、選手として現役引退すると、今度はただの大学院ではなく、国際サッカー連盟(FIFA)がスイスで運営する「FIFAマスター」(「スポーツに関する組織論、歴史・哲学、法律についての国際修士」の大学院コース)に入り見識を高められています。
加えて英語力はビジネスレベルで、2004年のアジアカップ準々決勝のヨルダン戦のPK戦では、主審に「これはフェアじゃない。ピッチ状態がよいほうでやるべきだ」と通訳なしでPKの位置変更を申し入れ、前代未聞のPK戦途中でのサイド位置を実現させるという、日本サッカー史に残る離れ業をやってのけた実力の持ち主です。
何といっても「FIFAマスター」研修の1年半で築いた人脈は、これからの会長としての活動に大きな力になるであろう国際人であり、単に日本の会長にとどまらず、アジアそしてFIFAの舞台に飛躍できる期待を抱かせる方です。
4つ目の特徴は、JFA内部のテクノクラートから協会幹部を窺うほどの野心的な人材が少ないのではないかということです。今回、宮本氏とともに会長選に立候補の意思を示した方が、現在、 Jリーグチェアマン室特命担当オフィサーの鈴木徳昭氏という方だそうです。
鈴木徳昭氏といえば、ご存じの方はご存じかと思いますが、オフト監督当時、通訳として日本代表の活動に活躍された方です。
その後の、その語学力を買われFIFA派遣当時は、2002年日韓W杯招致活動に尽力され、AFC・アジアサッカー連盟にも派遣され、近年は2020東京五輪招致委員会の戦略広報部長として活躍されたそうです。
JFAのテクノクラートとしてはピカ一のキャリアと語学力、国際人脈を持った方ですから、その点では宮本氏と勝るとも劣らないキャリアと言えます。
したがって、会長選に立候補されるのも頷ける方です。最終的には立候補を断念されるそうですが、願わくば、この豊富なキャリア、人脈、語学力を生かして宮本会長と二人三脚で活躍していただきたいものです。
宮本新会長が、鈴木徳昭氏を副会長に起用するのでは、と考えるのは、当・夢追い人だけでしょうか?
さきほど「JFA内部のテクノクラートから協会幹部を窺うほどの野心的な人材が少ないのではないか」と申し上げたのは、以前のように協会内部の人材について話題になることが少なくなり情報として持ち合わせていないだけのことで、鈴木氏のような有能な人材が数多くいらっしゃるのかも知れません。
それにしても昨年2022年、Jリーグ村井チェアマンの後任として、コンサドーレ札幌社長の野村芳和氏が選任された時もインパクトがありましたが、今回もそれ以上のインパクトです。
つくづく思うのは、従来の序列型人事にとらわれず、誰に託すべきなのか、という組織が直面する「使命」や「課題」から逆算して相応しい人物を選ぼうとする考え方がサッカー界に定着しつつあるのではないかということです。
以前あったように、2年やそこらで、時計の針を元に戻すような力学が働くことがないことを願いつつ、新会長就任の暁には、心から拍手を送りたいと思います。
今回の書き込みに「JFA宮本新会長の時代と、J60クラブの時代」というタイトルを付けましたが「J60クラブの時代」のほうは、次の書き込みに譲りたいと思います。
お楽しみに。