「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

2024年は、次のW杯への道筋が決まる年、応援しましょう。

2023年12月31日 22時21分33秒 | サッカー日本代表
2023年もあと1時間半を残すところです。今年も1年間、ご愛読いただき、ありがとうございました。
来たる2024年は、まずアジアカップがありますが、そのあとは2026年W杯に向けたアジア予選が最後まで続き、本大会に向けた道筋が決まる年です。

応援しましょう。そして大いに語り合いましょう。
それでは、来年もよろしくお願いいたします。
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Jリーグ60クラブ時代、各クラブは何を目指して20年、30年やっていくのか?

2023年12月17日 16時53分15秒 | Jリーグ・三大タイトル
2023年の日本のサッカーシーンも終わり、年明け1月1日に行われる日本代表のテストマッチ・タイ戦を待っているところです。

2023年シーズンのJリーグ3大タイトルは、リーグが神戸、ルヴァンを福岡、天皇杯を川崎Fが分け合うという、近年にない顔ぶれとなりました。

30年の歩みを重ねたJリーグも、最初の10年、次の10年、そして直近の10年と、少しづつリーグの「顔」が変わっていることを感じます。

またカテゴリーも、J1、J2、J3と増えて、クラブ数もいつの間にか60クラブになりました。Jリーグの野々村チェアマンによると、これからも入りたいと思っているクラブが20~40もあるといいますから驚きです。

世界各国リーグのほとんどが、一つのカテゴリーのクラブ数を20以内にしていますから、増えていくたびカテゴリーがJ4、J5と増えていくことになると思います。日本のプロサッカーが4部リーグにもなるなんて、ちょっと想像を超えた増え具合です。

野々村チェアマンは「これ、すごいと思うんですよ。ある意味、大成功です。」と地域の盛り上がりを評価していますが、当・夢追い人は、地域の盛り上がりが20年、30年と長続きするのかどうか、よく確かめたい気持ちになっています。

どこの地域も、地元にプロサッカークラブを立ち上げようという時期は、数年間は大きな熱量をもって支援し、応援し、支えようという機運が続きます。

問題は、そのあとです。クラブが何を目指し、地域が何を目指すのか、そこがしっかりしていないと決して長続きはしないと思います。

プロスポーツという産業は、勝ち負けによってクラブの収益も、地域の関心度も大きく変動する難しい産業です。

けれども「だから仕方がない」「負けが込めば落ちるしかない」というところで思考を止めているとクラブの持続的、長期的存続も危うくなるというわけです。

Jリーグがこれほど多くのクラブの参入を可能にしたのは、プロ野球のような「興行主義」「12球団維持」というビジネスモデルを採用せず「地域密着主義」「カテゴリー数増加によるクラブ数拡大」というビジネスモデルを採用したからです。

30年前のこの選択は、日本において新たなプロスポーツが根付くためには、どのようなモデルがいいのか、という手探りの中で、プロサッカー先進国である欧州各国リーグのあり方をモデルにしようという思いが原点となっています。

そこには「地方の小さな都市にも歴史あるプロサッカークラブが根付いていて、そのクラブは地域みんなの宝物、いわば地域の公共財になっている。それこそが日本が目指すべき姿」という強い信念がありました。

30年後の現在、日本の社会におけるプロサッカークラブを取り巻く環境は、いろいろな意味で大きく変わってきました。

その変化の主なものとして、
一つは、日本の社会全体が少子高齢化、地方の衰退の進行など、いろいろな社会課題を抱える社会になっていること。

二つ目には、人々の興味、関心、嗜好といったものが、氾濫する情報の中で、ますます多様化、細分化、個人化していること。

三つ目は、プロスポーツビジネスが、社会において一定のマーケットをとれる状況とみて、バスケットボール、バレーボール、ラグビーなどが次々とプロリーグを立ち上げ、いわば競合他社が一気に増えてきていること。
があげられます。

こうした環境変化の中で、プロサッカークラブ経営を、これまでと同じ考え方、同じビジネスモデルだけでやっていこうとすると、他のプロスポーツとの競合の中で相対的に埋没してしまったり、地域が抱える社会課題に対応できず、地域から評価されないクラブに陥ってしまう可能性が出てきているわけです。

その一方、プロサッカークラブの経営にとって、厳しいことばかりではなく、うまく取り込んでいければ、持続的なクラブ経営が見通せる材料も出てきています。

例えば、少子高齢化の状況は、いわば元気な高齢者が年々拡大再生産されていることになり、健康志向、スポーツ志向の高まりも留まるところを知らない状況を作り出しています。

また、サッカーの世界は、ワールドワイドな世界で、小さな町のクラブに超有名なサッカー選手を呼ぶことも可能なことから、それが、その町と選手の出身国との交流のキッカケを作ることがあるとともに、アジアの国々が日本のJリーグに強い憧れや目標意識をもっている状況もあります。

さらには、近年のさまざまな情報通信技術やテクノロジーの進歩によって、これまでとはまったく違ったツールを経営に取り込むことが可能になり、それをクラブ経営の新たな武器にできるといった状況になっています。

Jリーグ30年を経て勢揃いした60のクラブには、60の経営があります。中にはメガクラブ、ビッグクラブと言われて、クラブの年間予算が100億円超ものクラブもあれば、年間予算僅か数億円といったミニクラブもあります。

では、数億円のミニクラブが将来のないお寒いクラブなのかと言えば、断じてそうではないところがプロサッカークラブ経営の魅力でもあり、資金豊富なクラブといえども、20年先、30年先まで安泰なのかと言えば、断じてそうではないところがプロサッカークラブ経営の難しさだと思います。

そのような中、60ものプロサッカークラブに共通して言える「心しておかなければならないこと」を述べてみたいと思います。

まずプロサッカークラブの経営を、持続的、発展的な軌道に乗せ続けるために何が必要かという点です。それは、先に申し上げたような「社会におけるプロサッカークラブを取り巻く環境変化」を的確に捉えて、それをクラブ経営の変革・革新につなげるクラブとしての「自己革新力」が必須であるということです。

クラブの中には経営母体となる親会社があって、クラブ経営者は親会社から来るといったタイプのクラブもあることでしょう。また別のクラブは地域の中小の熱心なスポンサー企業に支えられて、その関係者がクラブ経営を担っているというケースもあるでしょう。

大切なのは、どこから来た経営者なのかではなく、クラブとして「自己革新力」がある経営ができるかどうかなのです。

その意味で、プロスポーツ業界が、ここ10年ぐらいの間に劇的に変化したと思うのは、トップリーダーが次々と若返っていることで、なぜ若返っているかというと、カテゴリーが上位になればなるほど「自己革新力」のある経営をやっていかないと、次代に生き残れないという強い危機感をもっているからだと思います。

そのいい例がJリーグチェアマンです。前任の村井満チェアマンは8年間の在任中、革新的な経営でJリーグの財政基盤を確固たるものにした、いわば中興の祖とも言うべき功労者の方ですが、その村井チェアマンが、2022年、後任に野々村芳和氏を迎えて勇退しました。

同じようにBリーグ(ジャパン・プロバスケットボールリーグ)チェアマンも、Jリーグ創設の経験を活かしてBリーグ創設に尽力した川淵三郎氏の後任として活躍した大河チェアマンが、在任4年の2020年、後任に島田慎二氏を迎えています。

新チェアマンに共通しているのは、スポーツクラブ経営者として確固たる実績を残し、かつ年齢的にも若く革新的な考えと行動力を備えている、まさに「自己革新力」を持ったリーダーであることです。

さらに、今回、日本サッカー協会が、新会長に46歳の宮本恒靖氏を迎える予定になっています。この人選も、日本サッカー協会が、これからの時代を乗り切っていくため必要な能力と行動力、決断力を備えた人物でなければならないという強い危機感から出た人選であるように感じました。

このように、プロスポーツ業界は「現状維持は退歩を意味する」という厳しい考え方で新陳代謝を繰り返していく業界です。
60クラブの経営者の皆さんも、同じ認識を共有されているとは思いますが、認識が認識だけに終わることのないよう、行動で自己革新を図っていただきたいものです。

さて、チェアマンの交代で話題にしたBリーグですが、そのビジョンも革新的なもので、Jリーグ各クラブがむしろお手本にすべきではないかと思うほどの内容ですので、ぜひご紹介したいと思います。

Bリーグが現在進めているプロジェクトは「B・革新2026」と名付けられたプロジェクトで、2026年から新しいBリーグとしてのレギュレーションをスタートさせる内容となっています。

その考え方や方向性を列挙して見ると、プロスポーツとしては先輩のはずのJリーグが、うっかりしていると置いていかれそうな内容です。

何より刺激的なのが「Jリーグのビジネスモデルからの脱却」です。Bリーグもまずは「地域密着」型をビジネスモデルとしてスタートしたと言います。それを次に「地域愛着型」そして「地域創生型」ビジネスモデルにステップアップさせていくというのです。

以下、島田慎二チェアマンが、これからの地域経済をつくるための祭典「POTLUCK FES’23 -Autumn-」のオープニングセッション「地域密着から地域愛着、そして地域創生へ。Bリーグの「ココロ、たぎる」挑戦。」で講演され、また会場からの質疑応答に応えられた内容を、記事にまとめられたwebメディア「LOCAL LETTER」サイトの河瀬 佳代子氏のレポートから多くを引用してご紹介します。

島田慎二チェアマンによれば「地域で商いをする以上は地域密着が当たり前で、そこから地元の評価が上がって価値も上がり、外部から人を吸引できるレベルにいく状態が地域愛着です。」とのこと、その上で「バスケとその舞台であるアリーナを通して地域を盛り上げ、地域活性化と地域創生に寄与していくレベルを目指すのです」というわけです。

そのために2026年からどういうBリーグにしていくか。
まず、勝敗による昇格降格制は廃止します。一定の事業規模に達したクラブから順にカテゴリー分けをします。

「B.LEAGUE PREMIER(プレミア)」は世界で通用する日本代表の強化、地域活性化のシンボリックな存在になっていくクラブです。
「B.LEAGUE PREMIER(プレミア)」の基準は、平均の入場者数4000人、売上高が12億円、基準を満たすアリーナを保有しているかの3つです。

お客様や事業規模も増やし、我々が目指しているような世界観のアリーナが準備できない場合は、どんなに勝利してもトップカテゴリーには行けません。

次のカテゴリーの「B.LEAGUE ONE(ワン)」は全国の一番クラブ数が多いディビジョンで、一番下の「B.LEAGUE NEXT」は新しいクラブに登竜門として来てもらう役割になります。

事業規模がトップカテゴリーの基準を満たせば、「B.LEAGUE PREMIER(プレミア)」所属のクラブは増える一方ですし、基準を満たすクラブが現れなければ、いつまでも増えません。そこが勝敗あきりではないことの特徴です。

勝敗による昇格降格がなければ、クラブは選手の給料を上げるために稼ぐのではなく、地域のために稼いだ結果、投資できる範囲内で選手に投資する考え方に変えることができます。それが本来のビジネスの在り方であり、そのように変えるべきというのが「B.革新」の本筋です。

まずクラブが地域にとって「勝てなくても存在価値のあるクラブ」になり、地域がクラブ事業に投資ができる仕組みにすることでスポンサー・自治体・商店街等、地域のステークホルダーとの結びつきを強化し、チームの勝敗に依存しないビジネスモデルに転換して息長く繁栄する状況に変えることを目指すのです。

その促進により地域が活性化し、チームの存在価値がさらに上がる。チーム人気が上がると収入も増え、資金が選手に回り始めます。

そのような「B.革新」を成功させるために重要なのは「経営力・社会性・日本代表の強化」です。

「経営力」なくして地域を盛り上げていく活力はないため、クラブの経営力がまずは大切になります。経験ある経営者が地域内にいらっしゃっることに越したことはないですが、外部から呼ぶとなると報酬が高くなります。「資金がないので呼べない→呼べないからクラブが稼げない→稼げないから経営がきつい」というループがずっとありました。

今、Bリーグの成長に期待してくださる経営者が増えM&Aが多く起きています。そのため大企業の資金力を持ってして、いい人材を確保できています。我々が経営者を育成するのは簡単なことではありませんが、Bリーグの可能性を標榜することでM&Aを通じて経営者を変えていくのがトレンドかと思います。

また、スポンサーもいつまでも応援してくれる甘い時代ではないため、地域に必要とされるリーグになるために「社会性」は必須です。
これまでのスポーツ界の経営においてはどこかで無理をしたり、巨額のマネーが入ってこないと成り立たなくなることが通例でしたが、そうではなく身の丈に合った経営にしたいと考えていました。地域経済に負荷がかかりすぎる、極端な値段にしないと観客が会場に来れない、地元がスポンサードしても価値を見いだせないなど、相手にされない構造になってしまうと厳しいです。その点バスケットボールはある程度成長性を保ちながらも地域で支えられるスポーツコンテンツという意味で、ジャストフィットするサイズです。

一方で、地域密着から地域愛着、そして地域創生というと全てを地域で完結するように聞こえてしまうかもしれません。そういうクラブもたくさんあります。現行のB1・B2・B3では下のカテゴリーであればあるほどその要素が強く、上に行くほど地域だけで支えるのみならず外からの投資が起こって動いています。それなりの事業規模でないと戦えないのが実情です。

改革後の最上位カテゴリーになる「B.LEAGUE PREMIER」は、現行のB1よりもさらに一段上のグローバルなスケールのクラブを作り、選手を輩出していきます。資金面では地域だけで完結できなくなってきますので、ナショナルクライアントからの資金、さらに海外からの投資も呼び込んでいきます。

これから、多くの地域が、通年で応援するようなスポーツ好きな人たちを、幾つかのプロスポーツチームが互いに取り合っていく時代になります。

「スポーツ渋滞」といって1つの地域に支えるべきスポーツが多すぎてしまうと、地域で支えることが困難になります。1つの地域にプロスポーツチームがいくつも固まることが本当に必要なのか、考える時期に来ていると思います。

その意味で我々はコンパクトである程度のメジャーであること、競技者人口も若くビジネスの体現を明確に示していて、このスポーツ渋滞の中で勝ち抜くために手を打っています。

規模が大きい所が勝つわけではなく、要はクラブの存在価値です。そこを見誤らないようにしないといけない。野球とサッカーが強くて次をバスケットボールが追いかけているね、という序列にとらわれすぎることがないようにしたい。街おこしのやり方はいくらでもあります。

以上が、webメディア「LOCAL LETTER」サイトの河瀬 佳代子氏のレポートによる、Bリーグ・島田慎二チェアマンのプロジェクトです。
このプロジェクトには、もっと踏み込んだ「Bリーグが目指す5つのコミュニティ」といったプログラムもあります。

60のJリーグクラブは、当然「B・革新」のプログラムを勉強していることと思います。いいところはどんどんパクって欲しいと思います。各種目同士が競争し合う関係になっていく時代ですから・・・。

最後にサッカー界から出されている提言で、印象に残ったものを一つ。さる2021年2月6日放送のテレビ東京「FOOT×BRAIN」に当時「日本サッカー協会・欧州駐在強化担当部長」という肩書で出演された元日本代表、ジュビロ磐田の黄金期メンバーの藤田俊哉氏の提言です。

欧州では、サッカースタジアムの中に立派なラウンジがあり、地域の経済人、ビジネスマンが商談・接待などに普通に利用しています。試合観戦という楽しみとビジネスを結びつけ、食事をとりながらミーティングしているのです。

ここからは当・夢追い人が付け加える提案ですが、日本のスタジアムにもそういうところが出てきましたが、まだこれからです。地域経済のためにも、スタジアム内に商談用ラウンジを併設する動きが加速していけばと思います。

これまでスタジアムにあるラウンジというと、VIPルームのような個室程度のスペースが主流ですが、もっと広い数人程度が会食できるルームを2~3室、現在のスタジアムにも増設できるような建築基準法上の工夫も含めた対応策が欲しいと思います。

建築上の制約を取り除いた上で、すべてのクラブがホームスタジアムに必ず数人程度が会食できるラウンジを2~3室設置することを義務付けるよう進めて欲しいと思います。

仮に公営のスタジアムでも、例えば県の三役さん、部長さんがミーティングの場を設けるニーズがあってもおかしくないと思います。要はビジネス的な使い方を欧州では普通にやっているというわけです。

【ここからの部分は2024年1月16日に加筆しました】
さる2015年5月15日に放送されたテレビ東京のサッカー番組「FOOT×BRAIN」に、当時、川崎Fのプロモーション部長をされていた天野春果部長が招かれ、ホームスタジアムの等々力競技場の改修計画で実現した、さまざまなプランを紹介していました。

川崎市という公営のスタジアム、等々力緑地公園という都市公園法の規制を受けるところに立地している制約、さらには一般的な制約である建築基準法上の制約に縛られながら「じゃあ、あきらめるしかない」というスタンスではなく「その制約の中でできる最大限のことをやる」というスタンスで行った改修計画で「スカイテラス」という部屋は、まさに商談が可能なラウンジといったコンセプトのようです。

また「ファミリーシート」といって、ちょうどお花見の時に敷く大家族用のシートの大きさぐらいの席を作り、観戦に集中できない乳幼児連れのご家族の利便を図る席も作ったようです。

天野部長という方は、川崎Fが地域密着のお手本クラブと評されるぐらいになった、さまざまな仕掛けを打ち出した原動力となった方で、昨年12月22日に開催された今季限りでの退職をねぎらうかわさきFM主催のトークイベント「アマトーーク FINAL」には、天野氏の貢献を知る850人の参加者が集ったそうです。

他のクラブから見れば「ああいう人がいたから出来たこと」という見方もあると思いますし、また、我がスタジアムもとっくにそうしています、というクラブも多いかも知れません。とはいえ全部で60にも増えたクラブです。まだまだだと思い書き足しました。

では、また。














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20世紀末、世界のサッカーと日本サッカーのことを4時間にわたってノンストップで放送した番組を覚えていますか?

2023年12月11日 16時49分53秒 | サッカー文化
当「サッカー文化フォーラム」が、これまで30年にわたり収録してきたテレビ放送の試合・番組映像、サッカー専門誌、スポーツ紙、総合スポーツ誌などの記録を、一つひとつデータベースに集約していることは、何度かご紹介してきました。

特にテレビ放送の試合・番組映像内容は、その内容を再生して確認しないと、どんな内容だったのか伝えられないので、なるべく詳細にデータベース化しています。

日々その作業を続けている中で、試合映像でもない番組で、堂々4時間もの、しかもCMが入らない、いわばノーカット版とも言える番組の内容をデータベースに記録しましたので、空前絶後とも言える番組の内容を、当・夢追い人の書き込みでもご紹介したいと思います。

放送時期は1999年12月27日、この時期は1900年代最後の年ということで、この100年間はどのような時代だったかという、歴史的視点で制作された番組がいくつかあります。
今回ご紹介するのは、NHK-BSで制作された「スポーツの世紀」というドキュメンタリーシリーズの「サッカー編」とも言うべき放送でした。
正式な番組名は「スポーツの世紀『サッカーは海を越えて・蹴球100年浪漫』」というものです。

当時はビデオテープ録画の時代でしたから、4時間もの番組を標準モード録画で1度に収録することができず、区切りのことも考えて2時間毎に分けて収録しました。
そのためテープ2本に収められています。

内容が1930年に始まったワールドカップ大会、1936年に日本がベルリン五輪で起こした奇跡などから始まる長い歴史をひもとく内容ですので、放送時間経過とともに、どのような内容だったかを振り返ってみます。

【1999年12月27日放送NHK-BS「スポーツの世紀『サッカーは海を越えて・蹴球100年浪漫』」】
【1本目、2H01'01】
・番組進行・NHK山本浩アナウンサー
・オープニングナレーション 俳優・岡田真澄さん
・6分後、ワールドカップ物語Ⅰ、1930年第1回ウルグアイ大会から1954年スイス大会まで
(ナレーター・真中了さん)
・15分後、日本サッカーⅠ、1936年ベルリン五輪の奇跡
・33分後、日本サッカーⅡ、戦後ゼロからの出発
・49分後、ワールドカップ物語Ⅱ、1958年スウェーデン大会から1970年メキシコ大会まで
・66分後、日本サッカーⅢ、黄金時代到来の予感、デッドマール・クラマーの指導、1964年東京五輪
・1時間17分後、日本サッカーⅣ、メキシコの青い空、1968年メキシコ五輪銅メダル
・1時間38分後、ワールドカップ物語Ⅲ、1974年西ドイツ大会から1982年スペイン大会まで
・1時間55分後、日本サッカーⅤ、はるかなる玄界灘、サッカー低迷の時期

【2本目、1H59'54】
・1本目から続き、1986年W杯アジア東地区予選で敗退(1985年10月)
・2時間13分後、ワールドカップ物語Ⅳ、1986年メキシコ大会、1990年イタリア大会
・2時間27分後、日本サッカーⅥ、プロ化への道、1986年木村和司、奥寺康彦2選手ライセンスプレーヤー(プロ契約)誕生、1991年Jリーグ設立発表
(川淵チェアマンゲスト出演)、カズ帰国、ジーコ鹿島入団、日本代表ダイナスティカップ優勝、1992年アジアカップ優勝、サッカー人気急上昇、1993年5月Jリーグスタート
・2時間40分後、日本サッカーⅦ、ドーハの試練
(井原正巳選手ゲスト出演)、1993年秋、1994年W杯アジア最終予選4戦目で韓国に勝利した日本が最終戦、イラクに勝利すれば、悲願のワールドカップ初出場が決まるという試合、2-1でリードして迎えた後半ロスタイム(アディショナルタイム)、17秒後に悲劇。
ゲスト出演の井原選手をはじめ日本イレブンに起きた誤算が生んだ同点弾、一つはこれまでロスタイムをとった試合がなかったのにロスタイムに入ってからも試合が続いたという誤算、もう一つは、イラクが得たコーナーキックで思いがけないショートコーナーからのクロスが入ったという誤算、日本の選手たちは、まさかロスタイムにショートコーナーを入れるなんて、という気持ちになったが、イラクの選手はロスタイムに入ったという認識がなかったためショートコーナーを選択して、それがかえって意表を突く形となった。

・2時間53分後、ワールドカップ物語Ⅴ、1994年アメリカ大会
(ナレーター・岡田真澄さん)、マラドーナ、ドービング違反で大会追放、大会後、コロンビア・エスコバル選手が敗退の責任者とみなされ射殺、イタリアの苦しい戦いを何度も救ったバッジョの活躍、そのバッジョも決勝戦のPK戦、最後のキッカーとして登場したが外してしまい優勝は逃した。ブラジルが4度目の優勝
・3時間00分後、日本サッカーⅧ、マイアミの熱い夏
1996年3月、アトランタ五輪アジア最終予選を勝ち抜き、28年ぶりの出場権を獲得、本大会初戦はフロリダ州マイアミでブラジルと対戦
(アトランタ五輪代表・西野監督がゲスト出演)、守備を固めワンチャンスを狙う戦術がはまり、見事に1-0で勝利「マイアミの奇跡」と報じられた。第3戦目もハンガリーに勝利、2勝をあげたものの、得失点差でグループリーグ突破を逃した。西野監督にはハンガリー戦をどう戦うか葛藤があったが、同時に、世界と互角に渡り合った経験が財産として残った。

・3時間21分後、日本サッカーⅨ、98年フランスW杯、苦闘の270分
1997年秋、フランスW杯アジア最終予選、第3戦ホームでの韓国戦に逆転負け、続くアウェーのカザフスタンと引き分けたことから、日本サッカー協会は急遽、加茂監督を更迭、岡田コーチを昇格させる背水の陣を敷いた。続く5戦目、6戦目とも勝てず引き分けたが、7戦目アウェーの韓国戦で勝利、他国が勝ち点を伸ばせなかったこともあり2位、プレーオフ出場権圏内に浮上した。そして最終戦ホームのカザフスタン戦に快勝した日本はマレーシア・ジョホールバルでの第三代表決定戦に臨み、延長Vゴール方式の綱渡りの試合を、延長後半13分、中田英寿が打ったシュートのこぼれ球に反応した岡野雅行がスライディングでゴールに流し込み、遂にワールドカップ初挑戦から43年目、10回目のチャレンジで悲願の切符を手にした。
そして本大会、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと対戦した日本は、わずか1得点3戦全敗で初挑戦を終えた。44年目にして立った初舞台は苦闘の270分間となったが、未来につながる初舞台として記憶される。

・3時間40分後、ワールドカップ物語Ⅵ、フランスはジダン、ブラジルはロナウドらの活躍で勝ち上がった。準々決勝アルゼンチンvsイングランド戦、準決勝ブラジルvsオランダ戦などの見ごたえある試合、新興国クロアチアの快進撃などの話題の中、フランスvsブラジルの決勝となり、ジダンの2ゴールなどでフランスが快勝、開催国としてワールドカップ初優勝を果たした。
・3時間55分後、エピローグ
世紀末の1999年、日本はワールドユース選手権で準優勝、シドニー五輪予選も圧倒的な力で突破、2000年シドニー五輪、2002年日韓W杯と続き、日本代表の活躍に大いなる期待をもって1900年代の幕を閉じることとなった。【完】

どうです。壮大なオデッセィですね。そして、それからさらに23年、日本サッカー協会は100周年を超え、天皇杯サッカーも103回まで数える年、日本サッカーは「ワールドカップ優勝をめざす」と夢物語ではなく語れるところまで来ました。

欧州ではクラブレベルでのチャンピオンズリーグ、国別レベルでのネーションズリーグが巨大ビジネス化して、ワールドカップ大会の意味合いも変容しつつあります。

この先の「サッカーの世界」がどのようなものになるか、ちょうどワールドカップ100年になる2030年あたりに、1999年から2030年までの日本サッカーの成長・進化・発展の歴史を追加してみたいものです。

それまで元気で頑張ります。
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ザッケローニがいた国立競技場、天皇杯決勝、3日前内部見学しましたので臨場感がありました。

2023年12月09日 18時30分30秒 | Jリーグ・三大タイトル
本日12月9日、第103回天皇杯サッカー決勝が6万人以上の観衆を集めて国立競技場で行われました。今日の書き込みは試合内容ではなく、3日前に国立競技場を内部見学した関係で、それにまつわるお話です。

やはり実際、競技場に行ったばかりでしたので、テレビ画像を見ていても臨場感を味わうことができて、これまでとは違うテレビ観戦になりました。

あのピッチというのは、外から国立競技場に入った時、エレベーターで地下2階に降りて、あのピッチになっていたのです。

つまり地下2階分、掘り下げてピッチを設けたことがわかりました。選手たちがピッチに出る前に最後のミーティングや気持ちを高める輪を作ったであろうロッカールームにも入りましたので、今日の選手たちの動きがイメージできました。

そして何より、選手たちがピッチに出る直前のスペースに、あのザッケローニ元監督が腕組みをして柱にもたれかかって選手たちを見送っただろうと思うと、貴重な内部見学でした。



ところで、なぜ、あの場所にザッケローニ元監督なのでしょうか? ここにザッケローニ元監督がいるとすれば、他の場所にはジーコ元監督やトルシエ元監督もいるのだろうか?

そう思いながら内部見学を終えましたが、他にいる形跡はありませんでした。どうやらザッケローニ元監督だけのようなのです。

となると、なぜザッケローニ元監督だけが・・・・。

当・夢追い人なりに調べてみましたら、どうやら、前の国立競技場で最後の国際試合となったのが2014年3月6日に行われた日本代表vsニュージーランド代表の試合のようで、ザッケローニ元監督が「もう、この国立競技場とはお別れなのであれば、最後の試合はぜひ日本代表の試合にしたい」と、たっての願いで実現したらしいのです。

日本代表の試合を旧・国立の最後の舞台にしてくれた、いわば旧・国立を愛してくれたザッケローニ元監督の思いを記憶に留めようと作られた像のようです。

今日の決勝を戦ったイレブンだけでなく、日本代表の試合をはじめ多くのサッカーの試合でピッチに向かう選手たちを、ザッケローニ元監督の像は慈愛の眼差しで送り出しているということを知りました。

さて、今日の天皇杯決勝、川崎Fvs柏戦、テレビ観戦していて柏の若さの勢いというのを感じて見ていました。

結果、PK戦にもつれ込んで二転三転、10人目のキッカーで決着しましたが、何が勝負を分けたのか分からないほど拮抗した試合でした。

優勝した川崎Fはこれで、Jリーグ三大タイトルを7年間で7個目、7年間で無冠だったのは2022年の一度だけという記録でした。

まだまだ鹿島の実績には遠く及ばないものの、2021年シーズンまでのメンバーが少なくなり、新しい戦力を底上げや、ケガ人の穴埋めなど、難しいやりくりの中で獲得したタイトルには価値があると思います。

そう言えば、今日の試合、途中投入した小林悠選手を延長後半に下げる采配をした鬼木監督。小林選手は相当悔しかったに違いありません。

普通であれば、家長選手を下げるのではと思いそうですが、例え運動量が落ちてもワンプレーで勝負を決めることができる家長選手は、鬼木監督にとっては外せない選手であり、あらゆる手を尽くして勝ち切るという信念の采配だったと思います。勝負は結果責任。負ければ不協和音の元になりかねない采配でしたが吉と出ました。

おそらく鬼木監督のことですから小林悠選手には、十分なケアを施すことでしょう。

一方の柏はFWの細谷真大選手のように、勢いのある選手が多く、今回タイトルには手が届かなかったものの、いずれタイトルを手にする日が近いように感じたのは、当・夢追い人だけでしょうか。






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JFA宮本新会長の時代と、J60クラブの時代

2023年12月07日 11時11分56秒 | FIFA、サッカー協会
このほどJFA・日本サッカー協会の新しい会長に宮本恒靖氏(46歳)が就任する見通しとなったことが報じられました。

日本サッカー協会会長といいますと、Jリーグスタート以降、1990年代前半から長沼健会長、岡野俊一郎会長、川淵三郎会長、犬飼基昭会長、小倉純二会長、大仁邦彌会長、田島幸三会長と受け継がれてきました。

この歴史をみますと、犬飼会長を除けば、いわば日本サッカー界における論功行賞的人選、あるいはスポーツ界特有の縦の人間関係で決まってきたと感じざるを得ません。

言い換えれば、その時代に日本サッカー協会のリーダーがどういう力量を備えていなければならないかとか、その時代の課題がどんなもので、リーダーがそれに対応できるのかどうか、といった視点を抜きに、次は誰にしようか、といった内輪の互選で決めていく時代ではなかったかと思っています。

その中で「犬飼会長を除けば」と申し上げましたのは、犬飼会長だけは外部から落下傘のように協会に招かれた方でした。もちろん、外部といっても、まったくの外部ではなく浦和レッズでのクラブ経営の手腕を買われ、Jリーグ専務理事を2年務めた後、会長に就任された方です。

この人選には、前任の川淵会長の「これだけ社会的影響力が大きくなったJFA組織は、経営者的感覚を備えた人でないと、率いていけない」という強い信念のもと、犬飼氏に白羽の矢を立てた大胆な決断が働いたものと解釈しています。

しかしながら、川淵会長が協会内に隠然たる影響力と人脈を築いている状況ならば、それを後ろ盾に犬飼会長も長期的視点で協会経営に当たれたと思いますが、いかんせん、犬飼新会長を支えるはずの幹部たちにしてみれば、あたかも霞が関中央官庁のトップ人事のように「次はあの人、そのあとはこの人と描いていたシナリオを崩された突発人事」のようだったのではないでしょうか。

犬飼会長の2年間は、周りが面従腹背、思うような協会経営ができなかったことでしょう。2年後の役員改選で、どのようなシナリオが描かれ犬飼会長が辞任することになったのか、当「サッカー文化フォーラム」は、いまからでも、詳らかにしなければならないテーマに据えています。会長交代に暗躍した人もいたに違いありませんので。

ある意味、犬飼会長が2年だけで辞任されたことで、会長人事は、元通りの「禅譲路線」に戻ったことが、そのあとの会長選びに現れていると思います。

それから10数年、このたび、田島会長は3期6年をもって勇退することを決意されました。現在66歳だそうです、当・夢追い人は、もう少し在任されるのではないかと思っていましたが、何が勇退を決意させる要因だったのか、ご本人の言葉を待ちたいと思います。

そして、後任に白羽の矢を立てたのが宮本恒靖氏というわけです。
もちろん、田島会長の独断で決められる時代ではありませんから周到に手続きを踏んで、また宮本氏にも助走期間にあたる日本サッカー協会の理事、専務理事の経験を踏んでもらってのことですが、犬飼会長就任時のインパクトをはるかに上回る人選だと思います。

今回の次期会長人選には、いくつかの特徴があると思います。
一つは、犬飼会長選出時と同様、協会内で昇進してこられた方ではなく、ある意味落下傘的な方であることです。
これが、犬飼会長が味わわれたご苦労と同じ状況を生まないのかどうか、少し見ていく必要があると思います。

次に、宮本氏には、協会内で長くテクノクラートとして経験を積んだわけでもなく、犬飼会長のように企業経営者として卓抜した手腕を認められての選任でもないという特徴があります。

特に今の協会というのは、例えば日本代表のマッチメイクや各種大会参加でも巨額の資金を必要とする、いわば「カネをどうやって捻出するか」といった経営手腕が非常に重要な任務になっていることを考えると、宮本新会長の手腕が心配になるというより、一般的に言われる経営経験とか、協会運営経験などまったく無用の、新しい取り組みで「稼げる協会」にしてくれるかも知れないと期待したくなります。

3つ目の特徴は、若く、高い識見を持ち、しかも国際人であるという宮本氏のキャリアです。
これからの時代、年齢は組織のリーダーには関係ないかもしれません。特に世界規模のスポーツであるサッカービジネスの世界ではなおさらです。国際サッカー連盟(FIFA)の現会長であるインファイティノ氏も宮本氏と同じ46歳で就任しています。

現会長の田島氏も、筑波大学大学院を修了され助教授も経験された見識を持っておられる方ですが、宮本氏もガンバ大阪選手の傍ら同志社大学を卒業され、選手として現役引退すると、今度はただの大学院ではなく、国際サッカー連盟(FIFA)がスイスで運営する「FIFAマスター」(「スポーツに関する組織論、歴史・哲学、法律についての国際修士」の大学院コース)に入り見識を高められています。

加えて英語力はビジネスレベルで、2004年のアジアカップ準々決勝のヨルダン戦のPK戦では、主審に「これはフェアじゃない。ピッチ状態がよいほうでやるべきだ」と通訳なしでPKの位置変更を申し入れ、前代未聞のPK戦途中でのサイド位置を実現させるという、日本サッカー史に残る離れ業をやってのけた実力の持ち主です。

何といっても「FIFAマスター」研修の1年半で築いた人脈は、これからの会長としての活動に大きな力になるであろう国際人であり、単に日本の会長にとどまらず、アジアそしてFIFAの舞台に飛躍できる期待を抱かせる方です。

4つ目の特徴は、JFA内部のテクノクラートから協会幹部を窺うほどの野心的な人材が少ないのではないかということです。今回、宮本氏とともに会長選に立候補の意思を示した方が、現在、 Jリーグチェアマン室特命担当オフィサーの鈴木徳昭氏という方だそうです。

鈴木徳昭氏といえば、ご存じの方はご存じかと思いますが、オフト監督当時、通訳として日本代表の活動に活躍された方です。
その後の、その語学力を買われFIFA派遣当時は、2002年日韓W杯招致活動に尽力され、AFC・アジアサッカー連盟にも派遣され、近年は2020東京五輪招致委員会の戦略広報部長として活躍されたそうです。

JFAのテクノクラートとしてはピカ一のキャリアと語学力、国際人脈を持った方ですから、その点では宮本氏と勝るとも劣らないキャリアと言えます。

したがって、会長選に立候補されるのも頷ける方です。最終的には立候補を断念されるそうですが、願わくば、この豊富なキャリア、人脈、語学力を生かして宮本会長と二人三脚で活躍していただきたいものです。

宮本新会長が、鈴木徳昭氏を副会長に起用するのでは、と考えるのは、当・夢追い人だけでしょうか?

さきほど「JFA内部のテクノクラートから協会幹部を窺うほどの野心的な人材が少ないのではないか」と申し上げたのは、以前のように協会内部の人材について話題になることが少なくなり情報として持ち合わせていないだけのことで、鈴木氏のような有能な人材が数多くいらっしゃるのかも知れません。

それにしても昨年2022年、Jリーグ村井チェアマンの後任として、コンサドーレ札幌社長の野村芳和氏が選任された時もインパクトがありましたが、今回もそれ以上のインパクトです。

つくづく思うのは、従来の序列型人事にとらわれず、誰に託すべきなのか、という組織が直面する「使命」や「課題」から逆算して相応しい人物を選ぼうとする考え方がサッカー界に定着しつつあるのではないかということです。

以前あったように、2年やそこらで、時計の針を元に戻すような力学が働くことがないことを願いつつ、新会長就任の暁には、心から拍手を送りたいと思います。

今回の書き込みに「JFA宮本新会長の時代と、J60クラブの時代」というタイトルを付けましたが「J60クラブの時代」のほうは、次の書き込みに譲りたいと思います。

お楽しみに。





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日本がW杯で優勝するようになる条件、公園でのサッカーが日常風景に、それだけでしょうか?

2023年12月04日 18時01分03秒 | サッカー文化
前回の書き込みで「日本がW杯で優勝するようになる条件、二人の指導者が語る共通のキーワード「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」」と申し上げました。

書き込みの最後近くでは「サッカー文化が根付いたらW杯優勝できるのか、W杯優勝したらサッカー文化が根付いたと言えるのか、鶏が先か卵が先かの議論になりそうです」と付け加えましたが、そもそも、公園でのサッカーが日常風景になれば、それだけで「サッカー文化が根付いた」と言えるのか、についてもよく考えてみる必要がありそうです。

といいますのは、ヨーロッパにしても南米にしても、スポーツ全体を見渡した場合、他のスポーツが「サッカー」に肩を並べている、もしくはそれ以上になっている状況が、あまりないということも考慮していく必要がありそうだからです。
それを考えると、ヨーロッパや南米は、日本とずいぶん違う事情ではないかという気がします。

日本には昔から「相撲」という、まさしく日本の文化の一つと言えるスポーツがあった他、野球も戦前からの長い積み上げで、すっかり日本に定着しており、文化といえるレベルのものだと思います。

もちろんヨーロッパでもイギリスならクリケット、フランスからロード自転車というように国によって、サッカーに勝るとも劣らない人気スポーツがあるようですが、大きなスタジアムに大勢の観客を集めて、テレビ放送なども含めて圧倒的なマーケットを形成しているのは、やはり「サッカー」であり、それは南米でも同じです。

日本ではメディアの露出を含めた国民的スポーツに位置付けられているのは「プロ野球」であり、そこから巣立っている大谷翔平選手をはじめとしたメジャーリーガーも、サッカーで欧州に活躍の場を求めている日本人選手たちとは、注目度がまるで違う状況になっています。

大谷翔平選手が世界ナンバーワンの地位に登り詰めている活躍は喜ばしく誇らしい限りですが、サッカーと比べた場合の世界ナンバーワンの意味合いは、少し違うのではという気もしないではありません。

やはり世界最大のプレー人口と世界最大の祭典を持つサッカーの世界や、そしてヨーロッパの各国リーグチャンピオンが集結する欧州チャンピオンズリーグなどの規模感、マーケット感を見れば、サッカーの世界でナンバーワンを目指すことも重みは断然違うように思いますが、日本人のメンタリティはそうではないように思います。

冒頭申し上げた「公園でのサッカーが日常風景にしていく取り組み」は連綿と続けられると思いますが、サッカーに携わる人々の飽くなき努力が、なかなか実を結ばない、何かが引っ掛かるのではないかと思うのです。
その要因として、日本人の「スポーツ全体の中でサッカーをみるメンタリティ」にあるように思うのです。

ですから、サッカーをプレーで楽しむ人々の裾野を広げる努力を後押しする形で、日本人のサッカーに注目するメンタリティも高めていくことも重要なのではないかという気がします。

サッカーに注目するメンタリティを高めるって、どういうことかを考えてみます。
わかりやすいのが、昨年11~12月に行われた2022年カタールW杯と、そのあと年明けすぐに行われたWBC、すなわちワールドベースボールクラシック、これに対する日本人の熱狂度の差を見ると、日本人のメンタリティが、よくわかると思います。

昨年11~12月のカタールW杯で、日本代表はグループリーグでドイツ、スペインといったW杯優勝経験国を撃破するなど歴史的な活躍でしたが、年が明けてワールドベースボールクラシック(WBC)が始まるとテレビも新聞もネットも連日連夜、WBC日本代表の活躍を取り上げ、まさにお祭り騒ぎのレベルに達しました。

そして日本が劇的な形で優勝を果たしましたから、日本列島の興奮は頂点に達しました。
2023年はその後も大谷選手のメジャーリーグでの活躍、国内プロ野球では阪神タイガースの日本一などが続き、まさに野球の1年になりました。
こうしたメディアの扱いに乗せられた日本人のメンタリティというものは、そう簡単にサッカーに向けることが難しいと痛感した次第です。

「サッカーも野球のように強くなれば注目度はあがるよ」という意見もあるかも知れませんが、これも鶏が先か卵が先かのような議論になりそうです。

かつて2002年日韓W杯で、私たちは「サッカーを愛する人間」であることの喜びを、これでもか、これでもかというほど味わいました。メディアの扱いは、まさにサッカー一色だったのですから。当時のプロ野球関係者をはじめ他のスポーツの多くの人たちは、サッカー、サッカーの毎日に無力感を味わったに違いありません。

それほどメディアの扱いによって、日本人のメンタリティは動かされていたように思います。あの大会に先立つこと4年前、とうとう日本はフランスW杯で初めてW杯の舞台に立ちました。そこに至るまでの苦難も道も日本中の人たちが知っていますから、それだけ厳しいW杯の舞台が日本にやってくるとなれば、メディアも別格の扱いだったと思います。

今年初めのワールドベースクラシックのメディアの扱い、ニュースやスポーツ系番組はもちろんのこと、朝、昼のワイドショー系番組、スポーツ紙なども含めて日本列島WBC一色の状況をみて、あの、2002年日韓W杯の期間を思い出しました。

サッカー日本代表は、その後も24年間、7回連続でW杯連続出場を続け、2002年をはじめ4度もグループリーグを突破してますが、多くの日本人のメンタリティは「まだ、そこまでだよね」ということになるのでしょうか。

そこから一つ勝ち上がることがどれだけ難しいことか、2002年までの苦難の歴史を知っていれば想像がつくのですが、それはサッカーの世界を知っている人間だけの話で、多くの日本人には関心の薄いことなのかも知れません。

サッカーが、世界の舞台で結果を出せばメディアの注目も集め日本人のメンタリティが変化するのか、あるいは、サッカーという地球上最大のスポーツにメディアも日本人のメンタリティも関心を示してくれればおのずと結果もついてくるのか、これまた鶏が先か卵が先かのような問答になりそうです。

ただ一つ確かなことは、欧州や南米の国の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティと日本の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティには明らかな違いがあり、「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」という欧州や南米の国で普通に見られる風景を、日本で実現させるのは、そう簡単なことではないと思います。

日本がW杯初出場まで68年もの歳月を要したように、初出場から優勝までも、それぐらいの苦難の道になるであろうと肝に銘じて、サッカーを愛する人の輪を広げ裾野を広げ、親子・孫の3世代にわたってサッカーを愛する人たちを増やしていくんだという、息の長い時間軸で取り組むことにしようではありませんか。

「W杯優勝」が先でも「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景」が先でもいいではありませんか。できるだけ早く、そういう喜びが到来するように、私たちは、ただ、ただ頑張りましょう。
こうやって語り合い、志の輪を広げながら・・・。
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日本がW杯で優勝するようになる条件、二人の指導者が語る共通のキーワード「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」

2023年12月01日 18時24分33秒 | サッカー文化
日本がサッカーW杯で優勝できる日はいつ来るのか、もうすぐなのか、まだまだ先なのか、まだ見ぬ未来に思いを馳せて、我が日本代表が世界一に上り詰める姿を「サッカーを愛する」多くの日本人が夢見ていることと思います。

そんな未来の夢に明確に道筋をつけてくれるような考えを、最近、二人の指導者が持っておられることを知りました。

一人は、東京国際大学サッカー部の前田秀樹監督、もう一人は大阪・興国高校サッカー部の内野智章監督です。

前者は、元日本代表のキャプテンも経験され現役引退後は、それこそジュニア世代から、ユース、そしてプロクラブまで、すべてのカテゴリーでの指導経験を持つ稀有なキャリアの方です。

前田監督の著書に竹書房刊の書籍『東京国際大学式 「勝利」と「幸福」を求めるチーム強化論』という書物があるようですが、うまい具合に「REALSPORTS」社のサイトが「変わりつつある『大学』の位置付け。日本サッカーの大きな問題は「19歳から21歳の選手の育成」」というタイトルで、この書籍からエッセンスを抜粋してくれました。

その中で前田監督が述べているのは、
「スポーツは社会にとって必要なのか、必要ではないのかと考えた時にスポーツが必要だということを多くの人に理解してもらわないといけない。だから、サッカー経験者を増やすことが大事なんだと私は考えています。」

そして、
「サッカーの輪を広げるために、東京国際大学は部員の枠を作らず、希望者全員を入部させることにしています。4年合計約350人の大所帯のチーム編成となっているのです。我ながら、すごい人数だと思います(笑)。毎年100人以上が入部してくるので、10年で1000人以上のサッカーファミリーを生み出していることとなります。」

さらに、
「すべての選手がプロの選手になるわけではありません。大事なのは、すべてのカテゴリーの選手がサッカーを好きであり続けること。卒業後にJリーグの試合を見に行くようになり、将来的に結婚をして子どもができた時にサッカーをさせて人口を増やしていってくれれば、サッカーはメジャースポーツに近づいていきます。」と述べています。

前田監督は、こう締めくくっています。
「普及活動はすぐに結果が出るものではありません。成果が表れるのは10年後か20年後かもしれません。でも、短期的なものではなく、長い目線で見ていく必要があると思います。ワールドカップで優勝することはそんなに簡単ではありません。

なぜ、ブラジルが強いのか。サッカーが国民に浸透していて、日常にあるからなんです。それが強さの秘訣だと思います。一人でも多くサッカーを経験する人を増やすことが大切なんです。そして、サッカーを文化にしていくことが大事なんです。それをこの大学でやっていきたいんで
す。」

次に大阪府の興国高校サッカー部の内野智章監督。
興国高校サッカー部は、冬の全国高校サッカー選手権の常連校ではない学校ですが、プロを目指す若き才能が数多く集まることで注目を集めています。

内野智章監督は、体育教師の傍ら2006年、監督に就任すると、同校を「関西のバルセロナ」と呼ばれるほどの強豪校に成長させました。

加えて、日本代表で、スコットランド・セルティックに所属して得点王に輝くなどの活躍をしている古橋亨梧選手を始め、この10年間で30人以上のプロ選手を輩出(Jリーガーは27人)していることから、その指導が注目を集めています。

今年6月、監督を退任して同校のジェネラルマネージャー(以下GM)に就任、部員の進路に関するサポートや有望選手のスカウティングをはじめ多岐にわたってFC KOKOKUのプロモーターとして尽力されることが学校から発表されました。そこで、ここからは「前監督」と表記します。

サッカーの技術だけでなく、高校生が高校生らしく、本来持ち合わせているべき感覚を尊重する指導法が特徴とのことですが、その内野前監督が、2020年8月15日放送のテレビ東京サッカー番組「FOOT×BRAIN」に招かれました。

番組でのトークのメインは内野監督(当時)の指導法でしたが、最後に「夢はどんなことですか?」と質問されて答えた内容が、

「日本全国どこの公園に行っても、おじいちゃんと孫がサッカーボールで遊んでいるぐらいになるのが夢です。それぐらい裾野が広い、サッカーが日本の文化になってくればW杯で優勝することができるのでは・・・。いや、それぐらいにならないとW杯で優勝できないのではないかと思います。」というものでした。

前田監督も内野前監督も、それぞれの立場で違う考え方でサッカーの指導をされていますが、未来を見据える夢は同じだということに、目からウロコが落ちる思いでした。

前田監督がブラジルのことを例にしていましたが、実はお二人とも同じ体験をされていて、研修のためドイツに行った時「スポーツシューレ(複数の競技種目に対応できる大規模な滞在型総合型スポーツ施設)」で、まさに、おじいちゃんと孫が楽しそうにサッカーボールで遊んでいる光景を見て同じことを考えたそうです。

「日本もこうなればいいな、サッカーが日常にある姿、サッカーがその国の文化になっているというのは、こういうことを指すのだろう。日本がこういう姿になるように、自分も少しでも貢献したい」と。

当・夢追い人も「日本にサッカー文化が根付くために」という思いでおりますが、では「サッカー文化が根付いている姿」が実際にはどのような姿か、なかなか一言では言い表せないでいました。

これからは、わかりやすく「日本全国どこの運動公園に行っても、芝生の広場があり、そこでおじいちゃんと孫がサッカーボールで遊んでいる光景、サッカーが日常に普通になっているぐらい、サッカーを愛する人たちが多い状況、これが『サッカー文化が根付いている状況』です」とお話ししていきたいと思います。

お二人に共通だったもう一つの点は「それぐらいサッカー文化が根付いていないとW杯優勝は大変だと思います。ドイツもブラジルもサッカー大国なのは、サッカー文化が根付いているからだと思います。」というお話です。

サッカー文化が根付いたらW杯優勝できるのか、W杯優勝したらサッカー文化が根付いたと言えるのか、鶏が先か卵が先かの議論になりそうですが、少なくとも2023年末時点では、まだW杯優勝が現実味を帯びているようには思えません。

けれども次の北中米W杯までに森保ジャパンが私たちに大きな夢を見させてくれる期待感はあります。代表に招集されるレベルの選手たちがグングン成長して、しかも切磋琢磨して分厚い選手層が作られ、チーム内競争が高いレベルで続いている状況を見ると、このまま成長していって欲しいと願うばかりです。

日本中の津々浦々、芝の公園が普通になり、そこでおじいちゃんも、おばあちゃんも、孫とサッカーボールで遊んでいる様子が普通の光景、そして、W杯ではいつも優勝争いに絡む常連国になっている光景、どちらも、いつの日か現実になることでしょう。ここ3~4年後か、10年ぐらい後か、それ以上にまだまだ先か・・・。

忘年会の口角泡を飛ばす激論のテーマになればと思います。

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