先週、2つの出会いがあり、気持ちがずいぶんクリアになったというか、もやもや感が晴れた出会いだった。
一つの出会いは、大学の社会学部で「スポーツ文化」を研究していらっしゃる先生、こちらについては、説明も含めて長くなるので、二つ目に書きたい。
もう一つは、本との出会い、というより、本の中の1ページ、いや、1節といったほうが当たってる。
その本は、司馬遼太郎の著作集から「箴言」を抜き出して羅列的にまとめた「人間というもの」という標題だ。
2009年頃から2011年頃にかけて「竜馬はゆく」をはじめ「翔ぶが如く」「世に棲む日々」など、幕末・維新の偉人たちを扱った小説を読み、司馬遼太郎という作家の仕事の凄さを感じていて、さらに対談集なども読みたいと思っている。
大阪府東大阪市に「司馬遼太郎記念館」があり膨大な蔵書の陳列が見られるというので、一度は見てみたいと思っていた。今回、うまいぐあいに大阪に行く機会があったので、記念館に立ち寄った。
実際に記念館を見ると、偉大な作家がいかに多くの資料・文献を隈なく調べて、その中から珠玉の一行一行を生み出す作業をしているのかを、唸り声が出るほど思い知らされる。
72歳で亡くなったとのことだが、その間、いかにエネルギーを注いで著作活動をしていたことか、能力も高いけれど、注いだエネルギーも凄い、それを合わせて偉大だということを思い知った。
その記念館では、著作がどれでも買えるようになっていて、30分ほど、それぞれの本を手にとり選んで買い求めたのが前述の「人間というもの」という本だ。ちなみにお値段495円の文庫本。
そして、出会いは帰りの新幹線で起きた。本の最初のページは「情熱と勢い」という項目で、箴言がまとめられている。
その1ページ目に書いてあった次の言葉に私は釘づけになってしまった。
「人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的の道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」 『竜馬がゆく 三』
ここでは3行、本の中でもたった4行のこの文に、私はすっかり心を奪われた。
なぜか、
まさにいま、私は「サッカー文化フォーラム&アーカイブス」の実現を目指すという志を、どこで区切りをつけたらいいか、ばかり考えていたからだ。
どうだろう、私の心をすっかり見透かされたような感じだった。
「サッカー文化フォーラム&アーカイブス」の実現を目指すという志を、一旦立てたにもかかわらず弱気になっていたのだ。この文は、弱気をたしなめただけでなく、「たとえその目的が成就できなくても、その目的の道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」と、計算高く行こうとしている私の今後についても道を説いている。
これはもう「ごめんなさい」と詫びるしかない。誰に対して詫びるのか、何に対して詫びるのか、それは「自分の志」に対してだ。
余計なことを考えずに、箴言にあるとおり「事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない」のだ。
もやもや感が晴れた。コツコツとまた再開だ。
不思議なもので、この4行の文、「竜馬がゆく」第三巻の中で読んでいるわけだが、多くの文の中に埋もれると、読み流してしまうが、そこだけ取り出して目の前に突きつけられると、直接グサッと来る感じになる。
私は、このような箴言集のようなタイプの本は好きではなく、もう少し中身を調べて箴言集だとわかってしまったら買わなかったと思う。
そういう意味では、なんとも不思議な出会いだった。
もう一つの出会い、この方は、一橋大学の大学院で社会学を教えておられる坂上康博教授。先生のご専門は「スポーツ史」「スボーツ社会学」「スポーツ文化論」などだ。
先生と面談させていただいたのは、当方が保有しているサッカー関係の映像・書籍・雑誌資料などを、大学での研究資料に活用できるかどうかメールで問い合わせたことがキッカケだ。
何の面識もない私からの突然のメールにもかかわらず、興味を示していただいたようで、大学の、先生の研究室をおたずねした。
1時間半ほどのお話しで、いろいろなことを教えていただいた。
まず、日本の大学をはじめ研究者の方が、資料文献を調べるにあたっての、資料の分類整理を重要視するという文化が、日本でははなはだ低水準だという点が、強く印象に残った。先生は英国に留学されたそうだが、英国での資料分類整理の凄さを目の当たりにして、研究者が「自分はどの分野を深く研究していけばいいのか」たちまち判るようになっていることに羨望の気持ちを抱いたそうだ。
外国では、資料の分類整理を専門とする人の社会的な評価が非常に高くという。日本では、よく企業の中で社員が左遷される場合の代名詞として「資料室行き」とか言われる。資料編纂が侮蔑の対象にされかねない国なのだ。
これは何んとかしなければならないという気持ちが湧いている。自分の保有しているサッカー情報資料のこともさることながら、日本での、そのような研究環境は、世界各国の研究論文発表件数のランキング、いわゆる国の頭脳の高さとも言うべき「研究開発力」という国際競争に、基盤の段階で負けていることを示している。
そのことを憂いて、研究資料の整理分類の促進といったことに力を尽くしていらっしゃる方もいるはずだから、私も、その仲間に入って微力を捧げなければという気になっている。
先生は、当方の保有しているサッカー情報資料を高く評価してくださった。つまり、私が考えたとおり、特に「スポーツ文化」を研究していらっしゃる先生、あるいはこれから研究したいと思っていらっしゃる学生の方にとって、ここまでの日本のサッカー20年をトータル的に見ることができる当方の資料は、貴重だと共感してくださったのだ。
そして「ところが残念なことに・・・」と、次のような話しをされた。
大学の図書館は、どこもそうらしく、書籍等の資料受け入れについては物理的制約、つまり場所がないという問題と、受け入れた資料の整理分類に手間暇かけられないという予算的問題があって、貴重な資料でも、みすみすあきらめるケースが多いのだそうだ。
仮に受け入れるケースでも、担当の先生などが点検して、欲しいものだけ選んで受け入れ、あとは捨てますよ、といったことが多いとのこと。
そんな中で幸運な事例を一つ紹介された。先生が仲介の労をとったケースのようで、三重県の方が昔の野球関係の蔵書3000冊をコレクションしておられ、その方の親族から、どこかに寄贈したいとの相談を受けたとのこと。
先生は、資料の貴重さを垂涎に値すると評価されたが、いかんせん欲しくても一橋大学に受け入れる余力はなく、それでも他の大学など、どこかに受け入れてもらえれば、散逸せずに活きると考え、ずいぶん、あちこちに問い合わせをされた。
もはや無理かと、あきらめかけた頃、日本体育大学が図書館を建て替えることを知り、スペースに余力ができるので受け入れますということになり、それこそ、処分寸前のダンボール詰めになったところで、受け入れ先に送られたという。
本当によかったと思う話しだ。同時に、日本体育大学図書館に、当方の資料も活用してもらえるといいなとも感じた。
このように、坂上先生との出会いは、当方が保有している資料が、とくに「スポーツ文化」研究という分野で、貴重な資料だと評価していただいたことで、自分のしてきたことが間違っていなかったと確認できた出会いだった。
そして、日本では、資料の分類整理という仕事の評価が低く、多くの研究者が、研究活動の中で、資料の山との格闘作業に相当多くの時間を割かなければならない現状があるということも知った。
坂上先生は、サッカー分野のジャーナリストたちとも交流があるとのことで、日本経済新聞の武智幸徳さんや、後藤健生さん、永井洋一さんたちと意見交換の機会があったという。また、英国留学時代は、恩師が当時プレミアリーグで戦っていたコベントリー・シティのサポーターだったことから、本場プレミアの試合を何度もナマで観戦した経験をお持ちで、サッカーへの関心が高いことも収穫だった。
これからも長いお付き合いをさせていただければと思い、研究室を辞した。