「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

神奈川県の倉庫撤収に、一つの時代の終わりを感じて

2012年07月15日 21時54分24秒 | インポート

以前にもお話ししたかと思いますが「サッカー文化フォーラム&アーカイブス」は、長年にわたってサッカー映像・スポーツ紙、サッカー専門誌等の資料を収録・収集を続けてきました。

それは、年々増え続ける資料類の保管・保存の苦労の歴史でもあります。紙媒体もそうですが、特にビデオテープは湿気と経年によるカビの問題、劣化による画質低下の問題への対処が悩みのタネでした。

また増え続ける資料の量が、保管コストにはねかえってくる悩みも、ここ10年間大きかったです。保管場所を意識するようになったのは、1993年、Jリーグを全試合収録するようになってから。93年、94年の全試合収録により、あっという間にプラスチック製の衣装ケースが10個ぐらいにたまってしまいました。

95年夏には自宅の転居に合わせて事務所代わりにアパートの1部屋を借り、付随していた屋外物置にビデオテープ収納の棚を設置、いよいよ本格的な保管が始まりました。99年秋には、シアタースタジアムという業態のオープンスペースを開業、飲食提供中心ではなく、あくまでサッカー専門のシアタールームとしてやっていく考えでした。

しかし、その業態は、あえなく1年で頓挫、事務所代わりの部屋も返上して、2000年秋には、すべての資料がまた自宅に戻ってきました。この間、1997年のジョホールバルの歓喜、1998年のフランスW杯の日本中の熱狂があって、映像資料も新聞・雑誌等の資料も飛躍的に増えたので、自宅の一部屋が資料で埋め尽くされてしまいました。

ただでさえ狭い自宅の一部屋を占領されては、生活が成り立たなくなります。ここから、保管だけのための部屋を求めて、12年に及ぶ流転の旅が始まりました。2001年夏のことです。

最初の保管場所は自宅から自転車で往復できる圏内を条件としたため、家賃42000円の湿っぽい木造長屋住宅、やはり家賃を安くしようとすると、ろくな物件しかなく、それでも2年間置きました。

2年後の更新時、たまらず、場所を変えることにしました。もう自宅から自転車で行ける距離などと言わず、とにかく格安で湿気の心配の少ない物件を重視して、自宅から離れた場所を探しました。都内から方向を見れば、千葉・茨城方向、埼玉・栃木方向、埼玉・群馬方向、多摩方向、神奈川方向と考えられますが、どうせ通うなら、通う楽しみのある方向ということで、神奈川方向に決め、小田急沿線・厚木方向を探しました。

厚木の不動産業者に飛び込んで紹介されたのが秦野市内にある37000円の物件、そこに決め荷物を移しました。2003年の夏です。なにもなければ、そこにずっと置いていたと思いますが、2005年秋、突然、解体するため立ち退き要請を受けてしまいました。そこで急遽、秦野市からバスで海側に移動した二宮町のコンテナを手配、とりあえず押しこんで。コンテナといえども賃料は18000円もします。

しかし、コンテナでは、ビデオ類をはじめ湿気などの影響がどうなるかわかりません。2006年夏には二宮町に28000円の家賃で現在の建物を借りました。ここはさほど湿気の心配もなかったのですが、防犯のためすべての戸をしめ切っているので、乾燥とは程遠い場所です。それでも、昨年の夏にはスチールラックを6台、48000円で購入、今年のお正月には雑誌類をスチールラックに並べて、どなたかに見ていただいてもいいように片付けも済ませました。

今年1月から3月にかけて、何人かの方に資料の活用についてプレゼンさせていただいたのですが、死蔵状態であることがネックになっていることを痛感、いよいよデジタル保存に向けて大きく舵を切りました。そういう決断ができるようになったのは、HDD容量が大型化して、さらに低コスト化したことが大きいです。2TBのHDDは小さな薄い箱といった感じですがビデオテープ200本は収納できるようです。ダンポール2箱以上が小さな箱に変わるのです。おそらく数年経てば、同じ大きさでさらに大容量のHDDが出るでしょう。

そして、ビデオテープはHDD化後に全数廃棄、スポーツ紙はデジカメに保存後、最低限のものを残して廃棄、サッカー専門誌はスキャナーでHDDに取り込み同じく最低限のものを残して廃棄という方針を固め、同時に更新を迎えた二宮町の借家を返上、すべて自宅に戻すことにしたわけです。

2001年夏以来、11年ぶりの自宅里帰りです。その時と比べ、一段と量が増しています。2001年の時はラックを組み立てて収納していましたが、もうそんな余裕はありません。ダンボールに詰め込んだものを、ひたすら積み上げて、なんとか押しこむしかないのです。

引越しの日取りは8月16日と決まりました。実は7月に入ってから、自宅と二宮町の両方で、片付けの毎日に追われています。20日から23日にかけては泊まりがけで二宮町の倉庫の荷作りをします。過酷な暑さの中での作業はキツいのですが、黙々とダンボール詰めをしなければなりません。

流転を続けたサッカー情報資産、これからは自宅に戻ってきたビデオ、新聞、雑誌等をひたすらHDDに収納して減量させるだけです。押しこんだ部屋のものがなくなり、部屋らしいスペースが戻るのは果たして何年後か、また新たな挑戦の始まりです。

6月14日から始めたビデオテープのHDD化は50本を超えました。二宮町で引越しのためカラーポックスからビデオテープを抜いてダンボールに移し替えているが、ダンボール1個に90本ほどのテープが入ります。まだダンボールがどれぐらいの数になるかわかりませんが、この機会に個数を数え、全体のビデオテープ数を推計しようと思います。1万本の大台には乗らないのか乗るのか。

1ケ月で終えたHDD化は、まだダンボール1個にもならない量です。果てしない作業が続きます。

HDD化と並行して、前のブログでも話しましたが、データベースソフトである「ファイルメーカー」に全ての情報を記録することにしています。最終的には、それをweb上に公開、すべてのアーカイブスを自由に閲覧できるようにするのが目標です。

もちろん、web上だけではなく建物としての保存館・資料館でも雑誌等の現物に手を触れ、大画面映像でアーカイブを楽しんでもらうのが最終目標です。

おじさんは年々、歳は積み重なっていきますが、あと何年間も老けこめない状況です。皆さんの応援とご協力をお待ちしています。

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ビデオテープのHDD変換、1ケ月で50本を達成しました。

2012年07月15日 18時40分31秒 | インポート

さる6月14日、日本サッカーにとっても記念の日であり、当ブログの書き手であるサッカー大好きおじさんの記念日でもある日から、膨大なビデオテープをパソコンに取り込みHDDに収納する作業を始めましたが、おととい7月13日に50本超えを達成しました。

したがってビデオテープも潔く廃棄処分に出しています。まだまだ50本程度では、減量した感じがまったくありませんが、とにかく、来る日も来る日も続けていきます。8月下旬になったら、HDD収納をもうワンセット用意して2台でやろうと思っています。

いまも隣りで音もなく(音声を出すとついつい見てしまうので)変換作業をしてくれているが、一つ一つの映像状態を、録画時間を計りついでに確認しているので、変換開始の合図である「キャプチャ開始」をクリックするまで準備が結構かかります。別のパソコンで「ファイルメーカー」というデータベースソフトを使って内容を体系的に記録するためのメモ作りもしなければならず、何かと大変であり、2台で変換するのが精一杯のような感じです。

ちなみに、いま変換作業しているのは91-92セリエA第18節ACミランVSフォッジア。WOWOWが放送を始めて2シーズン目ですよね。この頃、セリエAはオランダトリオのACミランがトヨタカップ連覇したあとでしたから、まさにミラン全盛期ですね。

WOWOWの放送で面白かったのは、記念すべき第一回放送が91-92セリエA第3節ユベントスVSミランというカードで、なんとナビゲーター兼実況が川平慈英クン、大抜擢でしたよね。加茂周さんが解説をしてくれて、その放送を先月のうちにHDDに変換したのですが、当時を思い出しました。

いかに川平クンが異国の香り漂う新時代のナビゲーターとはいえ、実況までも任せるには荷が重いですよね、厳しく言えば、視聴料払って見るCS放送なんだから、取り換えてよ、という感じ。

そうしたら、何試合か後になって、川平クンはイントロのナビゲーターだけになって、すぐに百戦錬磨の実況アナにバトンタッチするという方法に代えました。当然といえば当然ですが、その切り替え方は工夫したのでしょうね。

いま変換しているミランVSフォッジア、川平クンがイントロをやったあと「解説は奥寺康彦さん、実況は大野勢太郎アナです」とつないだかと思ったら、大野アナは「はい、それでは」とか一言も言わず、本題に入ってました。大野アナの顔に「イントロとか余計なんだけど・・・」と書いてあるようで、面白く見たのを思い出しました。

こんな具合に、結構楽しく思い出しながらやるので、ついつい作業が寄り道してしまいます。2台で始めたら、きっとテンテコ舞いかもぉ。

ところで、変換が終わったビデオテープは、次々と廃棄処分に出しています。これまで何年も、あちこち場所を変えて保管に苦労してきたビデオテープ、やっと心おきなく廃棄処分に出しているわけです。

それでも、ふと思うことがあります。ビデオテープのまま欲しいという人もいるだろうに、と。

10年ほど前までは、大阪の方から「なんとか譲ってもらえませんか」と懇願されていたが、そういう方がいるに違いありません。以前は、とても譲れる状況ではなかったのですが、いまは、廃棄するだけの状況になったわけです。

これを読まれた方、あるいは知り合いの方で、希望される方には、宅配便代金だけ負担していただければ、お譲りしたいと思います。そういう方はぜひご連絡を。

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1978年アルゼンチン大会をHDDに収録しています。

2012年07月06日 22時49分16秒 | インポート

この前、1982年W杯スペイン大会のビデオテープをHDDに収録しています、とご報告しましたが、1978年アルゼンチン大会の映像が出てきました。34年前です。すごいですねぇ、まだ映像がキチンとしています。

30インチ以上の画面になりますと、なかなか「きれい」「鮮明」というわけにはいきませんが、それでも十分視聴に耐えられます。

決勝のアルゼンチンVSオランダ戦、オランダにはクライフがいませんし、なんとなく小粒で、アルゼンチンもまだマラドーナ時代ではないのでケンペスだけがビッグネームですが、パサレラ、アルディレスといった玄人好みの選手がいて、それなりに見どころのある試合です。

この大会までがNHKの放送収録の映像です。これより前の試合、大会は、WOWOWとかスカパーによる、いわゆるプレーバック放送です。

それにしても34年前、すごいとしか言いようがない記録映像です。

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BS-TBSでサッカー新番組が始まりました。いつまで続くでしょう。

2012年07月06日 22時27分47秒 | インポート

1993年から放送開始されて、まもなく20年目を迎えるTBSのスーパーサッカー、今はもうスパサカと名前を変えて、深夜の中の深夜に埋もれてしまっていますが、まだスーパーサッカーであることには違いありません。

そのスパサカを仕切っている加藤浩次と小倉隆史が、場所をBS-TBSに移して新番組を始めました。「サッカースピンオフ」という名前です。おそらくスパサカの収録と一緒に「せっかくだから、BSでも面白いヤツをやりましょうヨ」ぐらいな感じで収録しているのでしょう。

番組改編時期でもなく、サッカーシーズン幕開けの時期でもないこの時期に、なんでまた、という気がしないでもありませんが、なにせ、サッカー番組が新しく始まるというのは、めったにないことですから、あまりゴチャゴチャ言わないことが大事かと思います。

最初ぐらいは、どんな番組か見ておこうと思いましたら、初回のテーマは「ペレVSマラドーナ」

いろいろなところで言い尽くされていながら永遠のテーマでもあります。それこそ、うまく番組を作らないと短期打ち切りになりかねないリスクもあるのですが、なかなかうまく作ってありました。

最初からペレVSマラドーナという図式で語るのではなく、プラジルとアルゼンチンのライバルとしての歴史を描くことに力点を置いていました。

したがって、私もあまり知らなかった1970年代の両国の闘いがよく浮き彫りになっていました。

特に1978年W杯アルゼンチン大会、ブラジルはアルゼンチンに決勝進出を盗み取られたと信じて疑わない出来事が起きました。二次リーグ第二戦で激突した両チームはまさに戦争のような試合をドローで終え、最終戦に委ねられたのですが、ブラジルVSポーランド、アルゼンチンVSペルーの第三戦、本来なら同時刻にキックオフされるべき試合が、ブラジル戦が終わったのを見届けてからアルゼンチンがキックオフするというスケジュールになりました。

その結果、何が起きたか。ブラジルはポーランドに3-1で勝利したことにより、アルゼンチンは4点差以上で勝たないと決勝に進めないという状況が判明し、アルゼンチンはペルーになんと6-0で勝利したのです。

この6-0もブラジルは盗み取られた試合だと言っています。それは、ペルーのゴールキーパーはアルゼンチン人で、ペルーに帰化した人物だ、これは軍事政権下のアルゼンチン政府が仕掛けた八百長だ、と。

私は、この出来事を知って、1994年のマラドーナ・ドーピング事件は、間違いなく意図的な狙い撃ちだと確信しました。

つまりマラドーナ事件は、ここから端を発しているのです。そもそもブラジルにとって、ペレVSマラドーナという図式は1986年W杯メキシコ大会以来始まった図式だというのです。それ以前、サッカーの神様はペレ一人であり、ベッケンバウアーもクライフもスーパースターではあったけれどサッカーの最高峰に比べられる選手ではなかったようです。

それが1986年、それこそプーマのテレビコマーシャルではありませんが「奪ってしまった。マラドーナは10億人の心を奪ってしまった」ことで、ペレに比肩する選手として位置づけられたのです。

当ブログは「サッカー文化フォーラムの起点となる年は1986年です」とたびたび言っていますが、マラドーナが単にスーパーな存在に上り詰めたというより、初めてペレに比肩する選手として世界に認知された年だからというのが的確なようです。日本国内でもエポックメイキングな年である1986年は、世界的にも太文字で記される年ということです。

そのマラドーナ、1990年イタリア大会で決勝にコマを進めますが、決勝トーナメント1回戦でブラジルと激突した時、ボトルに薬物を混入した水をブラジル選手に渡したという疑惑をかけられ、マラドーナも自国のテレビでそれを認める発言をしたことから、ブラジルの怨念が頂点に達したといえます。

もはやマラドーナは、放置できない存在になってしまったのです。

現在、マラドーナは紳士的な意味合いでは評価の対象になりませんが、彼のプレーは永遠です。神の手ゴールなどもあるのですが、イングランド戦での5人抜きやベルギー戦での正面突破、90年大会プラジル戦でのピンポイントスルーバスなど、どこまでも語り継がれるプレーが残ったのです。

それが故、ペレVSマラドーナとして比肩されるのですが、このBS-TBSでは最後に二人に言わせています。「ペレとマラドーナ、どちらが一番だと思いますか」と。

マラドーナは「自分も自信はあるけれどペレが一番かな」

ペレは「やはりペレが一番だと思うよ」

これを聴いた加藤浩次が「ペレは自分のことを『ペレは』と言うんですねぇ」と感心していました。誰もが同感でした。

つまりペレは、もはや、人生を「ペレが一番、ペレが王様」として生きてきたが故、ペレ以外にナンバーワンはいないのだと心に刷り込んでいるのです。すごいですね。ペレの中でもペレは「自分」ではなく、自分を離れた客観的な存在になってしまっているのです。

こんな具合に、初回放送は面白い50分でした。果たしてどこまで続くかです。スーパーサッカーのように20年続いてとは言わないですが、せめて1年続いて欲しいものです。

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同じ日に東京と沼津でスポーツ紙を買い比べました。

2012年07月02日 20時09分39秒 | インポート

先日、静岡サッカーミュージアムのことを書きましたが、その日、静岡県沼津市でスポーツ紙を点検しましたら、一面トップはダルビッシュ10勝目で揃っていました終面ではスポニチがグランパス・永井の3戦5発弾、日刊スポーツとスポーツ報知がナビスコでジュビロ敗退を扱っていました。いずれも東海地区のチームということで終面には来るんですね。

そう思って、同じ3紙を東京地区で買ってみました。スポニチだけは東海地区と同じ永井の3戦5発弾を扱ってくれましたが、日刊スポーツは野球、スポーツ報知は柔道になっていました。

これを見るとスポニチさんの永井は、東海地区の永井ではなく全国区の永井として扱ってくれたことがわかります。

他の2紙は、予想どおりというか東京地区ではサッカーになりませんでした。

これだけでもサッカーを扱う地域の温度差がわかります。東北ならベガルタの記事が多いでしょうし、サッカーチームの影が薄い九州地区なら、なかなかサッカーは扱いにくいのではないでしょうか。

今日、新幹線が青森から鹿児島までつながっていますから、機会をみて仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡で同じ日にスポーツ紙を買い比べてみようと思います。

それぞれの地域にお住まいの方で、このプロジェクトにご協力してくださる方がありましたら、ぜひご連絡ください。月日を決めてスポーツ紙を点検していただき、トップまたは終面にサッカーが掲載されている新聞を買い送りいただこうと思います。もちろんボランティアで。

それを全体で点検して、内容をこの場でご紹介・ご報告しようと思います。ご連絡をお待ちしています。

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いま1982年スペイン大会をHDDに収録しています。

2012年07月02日 17時34分02秒 | インポート

前にお知らせした手持ちビデオテープのHDD変換、年代順不同で作業している関係で、1987年、1988年のゼロックススーパーサッカーでマラドーナが来日した時の試合や、1991年にカズ選手が読売クラプと契約更改を進めている10分間のスポーツニュースなど、思わず画面に見入ってしまう映像が出てきます。

いまは1982年スペインW杯の映像を変換していますが、30年前の映像なのに、まだきれいでビックリします。準決勝の西ドイツVSフランス戦、1-1のまま延長に入り先にフランスが3-1までリードしたのに西ドイツが2点とって追いつき、PK戦の末フランスを下した試合、いまでに壮絶です。ミシェル・プラティニ、ピエール・リトバルスキー、カール・ハインツ・ムンメニゲ、躍動していました。

また、何かあったらお知らせします。

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スペイン、無敵艦隊とはこの国のことだ。

2012年07月02日 17時25分29秒 | インポート

今朝のEURO2012決勝、6時頃起きてテレビをつけましたら、ちょうど4点目が入るところでした。こうなるとイタリアは、疲労困憊で決勝を戦ったことがよくわかります。

イタリアのサポーターが言ってました「こんなの試合じゃないよ」

UEFAも準決勝から決勝までの日程が短いこと、不平等なことを検討して欲しいものです。スペインの力は本物に違いありませんが、それでも少し陰りを感じた決勝でした。

さすがのバロテッリも何もパフォーマンスが出ませんでした。あの、うつろな顔が大写しになりました。今大会のベストショットの一つかも知れません。

これまで何十年にも亘って、スペインは「かつて無敵艦隊と言われた国ですが、またもや敗退です」というフレーズに泣いてきたと思うのですが、今度こそ「無敵艦隊、まさにスペインこそが無敵艦隊です」

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