毎週土曜深夜放送のテレビ東京「FOOT☓BRAIN」の番組オープニングのナレーションは、長年聴いていても、どんな言葉だったか覚えていなかったのですが、1月に入ってから3週続いたテーマに、わかりやすい共通点を感じたので、ここで紹介しようと、録画チェックをしていたら、そのオープニングナレーションが、この3週の内容そのものだったことに気が付きました。
そのナレーションは「多彩なジャンルの知を愉しみながら、サッカーの可能性を広げるFOOT☓BRAIN」というものです。
短いナレーションですが、ここ3週のテーマは、まさしく、番組のコンセプトを体現した内容だと感じました。
ちなみに、その3週のテーマとゲストは、
1月11日(土) 「Jリーグを使おう J最年少 女性理事の思い」 ゲスト 米田恵美さん
1月18日(土) 「天皇杯優勝! ヴィッセルを変えたチーム作り」 ゲスト 福富信也さん
1月25日(土) 「Bリーグを変えた男から学ぶスポーツクラブのあり方」 ゲスト 島田慎二さん
この3週に共通しているのは、いずれもビジネス分野で確固たる仕事をしている新進気鋭の方を、サッカー界、バスケット界といったプロスポーツ界が、まさに「その英知」に白羽の矢を立てたところにあります。
そして、その方たちは、存分にその知恵をサッカー界、バスケット界で発揮しておられ、そのチーム・クラブやリーグそのものを、新たな高みに引き上げる仕事をされています。
もともと、「FOOT☓BRAIN」という番組の独自性というか、他のサッカー番組とは全くタイプの異なる番組づくりには敬意を表してきましたし、あまたあるプロスポーツのジャンルの中で、このような番組を持ち続けている「サッカーファミリー」は何と幸せなというか、むしろ何と贅沢なスポーツファミリーなんだろうと感じてきました。
加えて、今回の3週連続の放送を見ていると「これは完全にスポーツ界全体をリードできる価値のある番組で、単なるサッカー番組には終わらない番組」のように感じたのです。
願わくば、他のプロスポーツを楽しんでいる方にも伝わればと思います。
(次の2行は、翌1月27日に加筆した部分です)
いま、日本で「FOOT☓BRAIN」という番組を持ち得ているということは、それだけ日本のサッカー文化が進化・熟成していることの証しであり、きっと100年後に、日本のサッカー文化を振り返ってみた人たちは、「日本のサッカー文化は、芽生えてからわずか20年ぐらいの歴史で、日本のプロスポーツ界に大きな影響を及ぼす存在になっていたんだ。」と賛辞を贈るに違いないと思います。
ここまでは、今日の書き込みの、いわば前置きで、ブログタイトルにあるように、その3週連続の放送の中から「私自身が一筋の光を見た」ことについて、これから書きたいと思います。
それは、1月11日(土)放送で J最年少理事米田恵美さんが発案して進めている「Jリーグを使おう」 の取り組みです。
番組を見た私の理解は「2020年には全国56になるJリーグクラブ、それぞれに地元がありサポーターがいてスポンサー企業・団体がいる中で、スポンサー企業もサポーターも、Jクラブに資金やパワーを与えるだけでなく、むしろJクラブを使って、新たな効果や成果を生み出していってください。Jクラブの存在が持っているネームバリューや、選手たちのポテンシャルといったものを、うまく引き出して上手に活用してみてください」といった発想だと感じました。
米田さんは、このプロジェクトを推進していくのに大切なマインドが「LOVE&CRAZY」だと言います。地元愛、クラブ愛といった濃い愛情と、発想や議論、そしてイベントなどを自由に楽しむ、奇想天外と思える気持ちで楽しむ、その程よいミックスが必要というわけです。
また米田さんは、プロジェクトの裾野を広げていくのに、圧倒的に担い手が不足しているといいます。そこで立ち上げたのが「Jリーグラポ」東京・丸の内に集積している英知を借りて、逆参勤交代で(東京(江戸)の頭脳を地方(国許)に還流させて)担い手になってもらおうというわけです。
このあたりは、ハイクオリティを持つハイソサエティの皆さんの出番という感じです。
このように、米田さん自身が、全く新しい発想を、外部から何の予断を持たずに持ち込んで実現に取り組むスタイルを貫くことによって、プロジェクトを軌道に乗せていったように、その米田さんを、三顧の礼を尽くしてJリーグ理事というポストに予断を持たずに取り込んだ、村井チェアマンの感覚と目利き力にも脱帽です。
私が、これを見て「一筋の光を見た」と思ったのは、もしかすると、私がJリーグスタートして以来取り組んでいる「Jリーグがスタートしたことによって芽生えた日本のサッカー文化の進化と広がりの記録を100年先まで伝えたい」という希望、すなわちテレビ番組などの映像記録、雑誌・新聞などの活字記録をデジタル情報として保存・継承していく取り組みが日の目を見るかもしれないと感じたからです。
まだ30年に満たないJリーグでさえも、スタートしたころのことを知らない世代が増えている中、例えば1996年のアトランタ五輪に日本サッカーが28年ぶりに出場を果たした頃がどんなだったか、翌年の1997年にワールドカップ初出場を決めたアジア最終予選がどんなだったか、ありとあらゆる情報媒体を記録している当方のライブラリーを、できるだけ多くの人に愉しんでもらいたい、あるいはサッカー文化、スポーツ文化といった観点から研究テーマにしたいと考えている学生さんなどの研究者に、存分に活用してもらいたいと願っている私です。
もしかしたら「Jリーグを使ってください」プロジェクトに、私の取り組みをお伝えしたら、関心を持ってもらえるかもしれないと感じたのです。
番組の中で紹介された取り組みは、個別地域地域の独自の取り組みです。
私の一つの完成形は、全国のすべてのクラブ所在地に(2020年時点で56)に「サッカー文化ライブラリー」とでも名付けた、シアターライブラリーが誕生することです。もちろん各クラブの独自ライブラリーもここに集結しますが、当方が提供する「(仮)日本サッカー文化ライブラリー」もあって、誰もが、さきほど例に出したような歩みを生々しく追体験したり、あらゆる情報から研究資料を見つけたりすることができることで、価値あるライブラリーになると思うのです。
私が、自分の取り組み(収録・収集したものをデジダル記録化したライブラリー)を、できるだけ多くの皆さんが楽しんだり、利用して学んだりすることができるように、シアターライブラリーのような施設で公開したいという考えを、もう10年ぐらい前から、いろいろと動き回ってみたのですが、どれもモノにならずにここまで来ました。
最初の数年は、まだデジタル化自体が始まっていませんでしたので、ビデオテープなどのアナログ媒体のまま、その後、デジタル化作業を始めたものの、現在まで1998年分までのビデオテープのデジタル変換が進んだ程度で、雑誌・新聞媒体については手付かずで、なかなか説得力のないプランでした。
現在も、やっと雑誌・新聞媒体のデジタル化ガ始まったものの、ビデオテープのほうは、相変わらず1999年に入ったぐらいで、遅々として進んでいない状況です。まだまだ説得力のある提案ができないところですが、何とか、今回の「Jリーグを使おう」プロジェクトの目に留まるよう、できる限りの提案をしたいと思っています。
そのナレーションは「多彩なジャンルの知を愉しみながら、サッカーの可能性を広げるFOOT☓BRAIN」というものです。
短いナレーションですが、ここ3週のテーマは、まさしく、番組のコンセプトを体現した内容だと感じました。
ちなみに、その3週のテーマとゲストは、
1月11日(土) 「Jリーグを使おう J最年少 女性理事の思い」 ゲスト 米田恵美さん
1月18日(土) 「天皇杯優勝! ヴィッセルを変えたチーム作り」 ゲスト 福富信也さん
1月25日(土) 「Bリーグを変えた男から学ぶスポーツクラブのあり方」 ゲスト 島田慎二さん
この3週に共通しているのは、いずれもビジネス分野で確固たる仕事をしている新進気鋭の方を、サッカー界、バスケット界といったプロスポーツ界が、まさに「その英知」に白羽の矢を立てたところにあります。
そして、その方たちは、存分にその知恵をサッカー界、バスケット界で発揮しておられ、そのチーム・クラブやリーグそのものを、新たな高みに引き上げる仕事をされています。
もともと、「FOOT☓BRAIN」という番組の独自性というか、他のサッカー番組とは全くタイプの異なる番組づくりには敬意を表してきましたし、あまたあるプロスポーツのジャンルの中で、このような番組を持ち続けている「サッカーファミリー」は何と幸せなというか、むしろ何と贅沢なスポーツファミリーなんだろうと感じてきました。
加えて、今回の3週連続の放送を見ていると「これは完全にスポーツ界全体をリードできる価値のある番組で、単なるサッカー番組には終わらない番組」のように感じたのです。
願わくば、他のプロスポーツを楽しんでいる方にも伝わればと思います。
(次の2行は、翌1月27日に加筆した部分です)
いま、日本で「FOOT☓BRAIN」という番組を持ち得ているということは、それだけ日本のサッカー文化が進化・熟成していることの証しであり、きっと100年後に、日本のサッカー文化を振り返ってみた人たちは、「日本のサッカー文化は、芽生えてからわずか20年ぐらいの歴史で、日本のプロスポーツ界に大きな影響を及ぼす存在になっていたんだ。」と賛辞を贈るに違いないと思います。
ここまでは、今日の書き込みの、いわば前置きで、ブログタイトルにあるように、その3週連続の放送の中から「私自身が一筋の光を見た」ことについて、これから書きたいと思います。
それは、1月11日(土)放送で J最年少理事米田恵美さんが発案して進めている「Jリーグを使おう」 の取り組みです。
番組を見た私の理解は「2020年には全国56になるJリーグクラブ、それぞれに地元がありサポーターがいてスポンサー企業・団体がいる中で、スポンサー企業もサポーターも、Jクラブに資金やパワーを与えるだけでなく、むしろJクラブを使って、新たな効果や成果を生み出していってください。Jクラブの存在が持っているネームバリューや、選手たちのポテンシャルといったものを、うまく引き出して上手に活用してみてください」といった発想だと感じました。
米田さんは、このプロジェクトを推進していくのに大切なマインドが「LOVE&CRAZY」だと言います。地元愛、クラブ愛といった濃い愛情と、発想や議論、そしてイベントなどを自由に楽しむ、奇想天外と思える気持ちで楽しむ、その程よいミックスが必要というわけです。
また米田さんは、プロジェクトの裾野を広げていくのに、圧倒的に担い手が不足しているといいます。そこで立ち上げたのが「Jリーグラポ」東京・丸の内に集積している英知を借りて、逆参勤交代で(東京(江戸)の頭脳を地方(国許)に還流させて)担い手になってもらおうというわけです。
このあたりは、ハイクオリティを持つハイソサエティの皆さんの出番という感じです。
このように、米田さん自身が、全く新しい発想を、外部から何の予断を持たずに持ち込んで実現に取り組むスタイルを貫くことによって、プロジェクトを軌道に乗せていったように、その米田さんを、三顧の礼を尽くしてJリーグ理事というポストに予断を持たずに取り込んだ、村井チェアマンの感覚と目利き力にも脱帽です。
私が、これを見て「一筋の光を見た」と思ったのは、もしかすると、私がJリーグスタートして以来取り組んでいる「Jリーグがスタートしたことによって芽生えた日本のサッカー文化の進化と広がりの記録を100年先まで伝えたい」という希望、すなわちテレビ番組などの映像記録、雑誌・新聞などの活字記録をデジタル情報として保存・継承していく取り組みが日の目を見るかもしれないと感じたからです。
まだ30年に満たないJリーグでさえも、スタートしたころのことを知らない世代が増えている中、例えば1996年のアトランタ五輪に日本サッカーが28年ぶりに出場を果たした頃がどんなだったか、翌年の1997年にワールドカップ初出場を決めたアジア最終予選がどんなだったか、ありとあらゆる情報媒体を記録している当方のライブラリーを、できるだけ多くの人に愉しんでもらいたい、あるいはサッカー文化、スポーツ文化といった観点から研究テーマにしたいと考えている学生さんなどの研究者に、存分に活用してもらいたいと願っている私です。
もしかしたら「Jリーグを使ってください」プロジェクトに、私の取り組みをお伝えしたら、関心を持ってもらえるかもしれないと感じたのです。
番組の中で紹介された取り組みは、個別地域地域の独自の取り組みです。
私の一つの完成形は、全国のすべてのクラブ所在地に(2020年時点で56)に「サッカー文化ライブラリー」とでも名付けた、シアターライブラリーが誕生することです。もちろん各クラブの独自ライブラリーもここに集結しますが、当方が提供する「(仮)日本サッカー文化ライブラリー」もあって、誰もが、さきほど例に出したような歩みを生々しく追体験したり、あらゆる情報から研究資料を見つけたりすることができることで、価値あるライブラリーになると思うのです。
私が、自分の取り組み(収録・収集したものをデジダル記録化したライブラリー)を、できるだけ多くの皆さんが楽しんだり、利用して学んだりすることができるように、シアターライブラリーのような施設で公開したいという考えを、もう10年ぐらい前から、いろいろと動き回ってみたのですが、どれもモノにならずにここまで来ました。
最初の数年は、まだデジタル化自体が始まっていませんでしたので、ビデオテープなどのアナログ媒体のまま、その後、デジタル化作業を始めたものの、現在まで1998年分までのビデオテープのデジタル変換が進んだ程度で、雑誌・新聞媒体については手付かずで、なかなか説得力のないプランでした。
現在も、やっと雑誌・新聞媒体のデジタル化ガ始まったものの、ビデオテープのほうは、相変わらず1999年に入ったぐらいで、遅々として進んでいない状況です。まだまだ説得力のある提案ができないところですが、何とか、今回の「Jリーグを使おう」プロジェクトの目に留まるよう、できる限りの提案をしたいと思っています。