2020年東京五輪招致成功で、日本中で明るいムードが一層増すことは間違いない。年明けからの円安傾向、株高で少しムードが変わったのに続き、次のギアチェンジになりそうだ。
そして、決定からまだ2日だが、五輪招致のキメ手は何だったのか、決定に至るプロセスでチームジャパンはどのような活動をしたのか、分析がかまびすしい。
さきほど放送されたNHKの「クローズアップ現代」は、さっそくJOCの竹田会長にインタビューしながら、ここ1年のロビー活動を追っていた。
竹田会長自身がIOC委員であること、最終プレゼンメンバーに高円宮妃、安倍総理も加えたオールジャパン体制を整えたことなど、やはり万全を尽くしたと思える状況があったことが、よくわかる。
それでも、勝てるかどうか、他候補地の状況との相対的な関係が左右するので、必ずしも確信のもてる状況ではなかったと思うが、「クローズアップ現代」の中であるIOC委員がインタビューに答えていたように「我々はずいぶん前から投票先を決めていました」と、おそらくIOC委員の半数以上はロビー活動の段階で決めていて、残りの未定委員が最終プレゼンまで帰趨を留保していたということだろう。
それにしても、番組の作り方もうまいのだが、竹田会長の1年間の活動の舞台裏、そして最終プレゼンメンバーの心打つスピーチ、極めつけが、安倍総理の、選考委員たちを安心させるスピーチと答弁、すべてが見事なまでに練られた準備だった。
その結果、テレビドラマを数段凌ぐドラマチックなストーリーの、招致活動ドキュメントを見せてもらうことになった。
そして、すでに放送された幾つもの番組を見ながら思うのは「さぁ、次はW杯単独開催の招致」だ。
私は2002年のW杯など、日本サッカー界そして当時の日本全体のスポーツ外交下手を世界に知らしめた事例として、我々日本全体が決して忘れてはならない出来事だと思っている。
やらないより、やれただけ良かったと、当のサッカー界が言ってはいけないと思う。なぜなら決定直前まで「単独開催」を模索していたわけで、共催は、いわば苦渋の選択だったのだから。周囲や多くのサッカーファンが、サッカー界の「残念な結果」の労をねぎらう意味で「やらないより、やれただけよかった」という言い方をしているだけで、間違っても当事者たちが自賛的に言うことではない。
スポーツ外交の当事者だった人たちは、その反省を長年引き継いで、次のW杯招致の時には絶対同じ轍を踏まないと言い続けなければならないと思う。
東京だって4年前失敗した上での今回なのだ。4年前だから引き続き失敗を活かせる期間となったとも言えるが、サッカー界として大切なのは、今回のキーワードにもなったレガシー、それも2002年の教訓を、レガシーコストつまり「負の遺産」として引き継ぎ、次回に活かすことだ。
さぁ、どうだろう、日本サッカーはJFA2005年宣言で、2050年までにW杯優勝を目指すこととしている。その間のW杯招致は盛り込まれていないが、2020年東京五輪の前になるか後になるかはわからないが、必ずW杯招致の機運が生ずるに違いない。その機運が生まれた時、どの時期をめざすか、2002年招致のキッカケは1986年メキシコW杯前のFIFA総会におけるアベランジェの「21世紀最初のW杯はアジアもしくはアフリカで」の発言である。つまり16年前ということだ。仮に2020年に何かアドバルーンが上がるとすれば、早くても10年後、つまり2030年W杯がターゲットになる。
2014年がブラジル、2018年がロシア、2022年がカタールと決まっている。2026年はEU圏ということだろうか、そうなると2030年は北中米アメリカか? 日本はむしろ、その次の2034年が目標として自然だろう。
また、その前に2022年のカタール開催問題というのも燻っている。開催時期との兼ね合いで夏のカタール開催はあり得ないという場合、冬変更か他国での代替開催をFIFAは迫られる。開催能力の高さを今回評価された日本が、2020年五輪のあと2022年W杯の開催、ブラジルW杯とリオ五輪の流れを考えれば、おかしい話しではない。
シリア問題の長期化で中東情勢が流動化するなどということになったらなおさらだ。
しかし、おくゆかしい日本のことだ。今のままなら2022年カタールの代替などと、自分からは口が裂けてでも言わないだろう。しかも2022年大会の投票で日本は韓国より先に脱落している。日本が名乗り出ようものなら韓国が黙っているわけがない「投票で我々より下だった日本になぜ開催する権利があるのか」と。
しかし、2002年の禍根を払拭するとしたら、そこで黙っていてはダメだろう。今のままではダメなのだ。そういう事態を想定して布石を打っていかなければならない。さしあたり必要な戦略はFIFA内に役員を送り込むことだ。「いつやるか?」「今でしょう」はやりのフレーズになるが、それがピッタリの状況だ。10年後を見据えるなら今動き出さなければ、何事もなし得ない。
私は、この問題については遠慮せず物を言うつもりだ。JFAが、せっかく川淵会長が後任に犬飼基昭氏を会長に据え、真に実力のある人を会長にという流れを作ろうとしたのに、犬飼氏は一期わずか2年で会長職を退いた。私は、このことが今に禍根を残していると考えている。
当時、次期役員候補推薦委員会なる会合の信任投票で、犬飼会長に対する信任票が少なかったため退く結果となったわけだが、いわば批判の動きの中心となった人物を果敢にあぶりだそうとした意欲ある専門誌もあり、知る人ぞ知る「事件」である。
しかし、その後、今年5月のFIFA理事選挙に、日本から予定されていた人物が出馬を見送っている。これについて関係者が「サッカーは政治ではなく、サッカーのための(アジア支援活動など)活動を地道に続けることが重要」と次の選挙への地盤固めを意識した選択であることを強調したと報道されている。
FIFA内部に人材を置いていないことが、どれほど情報過疎になるか、2002年招致活動で、片や日本は人脈なし、片や韓国はチョン・モンジュが次期会長と目されるヨハンソサン副会長にガッチリ食い込んで共催に持ち込んだ、あの失敗を犯していながら、そういう説明をしてその場を取り繕う。出馬見送り自体が、すでに、それまでのロビー活動で負けていた結果そのものなのに・・・。
彼らが、いくら次への地固めだと取り繕っても、次期選挙でFIFA理事を勝ち取ることはないだろう。例え気持ちとか意欲はあっても、仲間内だけの組織でうまくやれるほど、もう世界相手の交渉は甘くはないのだ。それこそ今回の東京五輪招致ではっきりしたように、オールジャパンで取り組む戦略とか、海外との豊富な人脈をすでに持っている(たとえば犬飼さんのような)サッカー人もしくはサッカー界とつながりの深い人を取り込む戦略を持たなければダメな時代なのに・・・。
川淵さんは、そのことを熟知していたからこそ犬飼さんに後を託したのに、当時「改革が急進的すぎる」だとか「やり方が独善的すぎる」だとか、結局、ひきづり降ろすための難癖をつけただけの話で、何んとも嘆かわしい限りだ。
そんなことをしていては、またどこかの隣国に足元をすくわれて、日本中が悔しい思いをさせられる。なんとか立ち上がりませんか?
東京五輪招致の次は、さぁ、W杯の単独開催招致なんですから。50万人署名活動でも始めませんか? 何処に問題の病巣があるのかはっきりさせる署名活動でも・・・。