「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

静岡県サッカーミュージアムを見てきました。

2012年06月29日 22時45分38秒 | スポーツ

突然ですが「静岡県サッカーミュージアム」というのが、どこにあるかご存じですか?


私も、ありそうだとは思っていましたが、場所までは意識したことがありませんでした。ところが、2年ほど前に、思いがけないことで場所を知りました。


静岡県のもっとも東寄り、神奈川県境から熱海市、三島市、沼津市と続くわけですが、それらの街と街の間に、なじみのない町があります。函南町とか長泉町といったところで、清水町というのもあります。合併前の清水市とは違う町です。三島市は高原直泰選手、沼津市は小野伸二選手の育った町として知られていますが、その間にJR御殿場線が南北に通っています。富士山と箱根の間を通過しているわけです。その御殿場線は南から沼津市、長泉町、裾野市、御殿場市を北上しています。その長泉町というところに「静岡県サッカーミュージアム」があります。


説明が長くなりましたが、なぜこんなところにあるのだろう、という素朴な疑問も湧きます。


なぜならも長泉町の中心部にあるわけでなく、富士山の方向に向かって少しづつ高くなっていく丘陵地帯にあるからです。


それがわかったのは、そのあたりが「クレマチスの丘」という散策地域として開発され、複数の美術館、レストランなどが点在する花とアートの丘になっているという情報を得てからです。


静岡県サッカーミュージアムが、それら「クレマチスの丘」のピースの一つという位置づけなら、もっと知名度もあがったのだろうが、そのへんがおくゆかしいというか「それとこれとは別」という考えが垣間見えます。


この地域を知る、もう一つのキーワードが「スルガ銀行」です。このブログでも、東京・六本木で、スルガ銀行が主宰する「d-labo」というセミナーハウスの催しを紹介したことがあるし、「スルガバンクカップ」という、日本のナビスコカップ覇者と南米・コパ・スメダリカーナ覇者との冠大会を主催しているので、ご存じの方も多いと思います。


調べているうち、少しづつわかってきたのですが、この「クレマチスの丘」になじむように、スルガ銀行の本社機能を置いている「キャンパス・ヘブン」という名称の建物がありますし、「静岡県サッカーミュージアム」の事業主体は、財団法人・静岡県サッカー協会とスルガ銀行です。


したがって「静岡県サッカーミュージアム」がこの地域にあるのは、スルガ銀行さんが少なからず支援しているに他ならず、県中央部の静岡・清水地区でもなく、県西部の浜松・磐田地区でもないことの意味もなんとなく解けてくるというものです。


さて、静岡県サッカーミュージアムの場所をおわかりいただいたところで、ミュージアムの中にご案内しましょう。


今回、沼津に用があったので、寄ってみました。JR三島駅北口から「クレマチスの丘」行きというシャトルバスが一日何便か運行されています。私が乗ったバスは女性の運転士さんでした。私以外に同じ便に乗った人は、スルガ銀行さんに用のある人だけでしたから、私は運転士さんに行き先をたずねられました。


ちょっととまどいながら「いわゆるクレマチスの丘に行きたいのですが」と答えると、それではという感じで車内放送のスイッチを入れてくれました。全員がスルガ銀行さんなら、クレマチスの丘のPR放送は必要ないかも、と思ったのかも知れません。


三島駅から運転士さんのマイクでは25分ほどということでしたが、実際は20分弱で到着しました。クレマチスの丘の停留所を下りて、少し戻るように歩いて5分ぐらいでしょうか着きました。


一言で「広い」です。東京・文京区にある「日本サッカーミュージアム」に比べたら、何分の一の広さかと思っていたことを思えば「広い」です。これだと「日本サッカーミュージアム」にひけをとらない。それが第一印象です。


演出もよかったです。展示室に入る廊下で、突然、ゴン中山選手のメッセージに迎えられましたから。

もっとも、入場無料のせいか、受付はそっけないものでした。事務室には地元のお年寄りの方か、あるいはサッカー協会の重鎮の方か、お二人の年配の方と、一人の女性がいらっしゃいました。別に無視した感じではありませんし、女性の方は愛想もよい方ですが、チケットやパンフレットのやり取りがないので、どうぞご自由にという感じになりました。


受付にはリーフレットが置いてありましたが、これが魅力的です。中身はミュージアムのエッセンスを紹介している同じものですが表紙が6種類もあります。写真をつけておきます。



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中が広いです。いろいろパネルなどに仕切られているので、あまり感じませんが、実は相当広いです。


日本サッカーを牽引してきた代表的な選手たちのユニフォームや記念品なども立派な陳列ケースに収められており見ごたえがありました。


そして静岡のサッカーが各世代を通じて長年日本サッカーをリードしてきたことが、さまざまな優勝カップなどでよくわかりますし、うなるばかりです。


なにより感心したのは、静岡出身の選手だけではなく、静岡のチームでプレーしたことのある選手も含めてプレーヤーに対するリスペクト精神に溢れています。主要な選手はネームプレートになって語り継がれていく、この顕彰精神が、これからも多くのサッカー少年少女を育てていくことでしょう。


このミュージアムを見ながら、こうしたサッカー専用のミュージアム施設は、アントラーズのホームスタジアムにカシマサッカーミュージアムがあるというのは知っていますが、ほかにあまり知りません。地域的に埼玉、横浜、千葉などがサッカーどころですから、静岡サッカーミュージアムのようなものが欲しいと感じたところです。


もう一つ感じたのは、ぜひ「指定管理者」方式を採用していただき、イベント等をからめた幅広い魅力的な運営ができるということです。例えば50人ほどが座って映像を楽しめる階段状のミニホールがあります。


100インチスクリーンには、小野伸二選手、高原直泰選手、岩下敬輔選手が大写しでインタビューに答えている映像が映っていました。おそらく、このような感じの映像を、ほとんど入場者のいないホールで開館時間中流れているのでしょう。


こういった点について事業性を考えれば、これだけのコンテンツを無人の部屋に流しておくのは、ただただもったいない限りです。おそらく、いまはスルガ銀行さんが収益度外視で運営費をみてくれているのでしょう。それにしても、これだけのハードとソフトを生かさない手はありません。


これにフォトギャラリーなどが加われば、私がイメージしている「サッカー文化フォーラム」の施設イメージです。


ということは、ぜひ「指定管理者」を導入していただきたいと思いますし、当フォーラムに任せて欲しいと思います。


そのようなことを感じた「静岡サッカーミュージアム」でした。





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読んで為になる本「そうだったのか日本サッカー」byスコラムック

2012年06月27日 22時06分52秒 | インポート

池袋のジュンク堂から買い込んだ本の中にスコラマガジン社のスコラムック「そうだったのか日本サッカー」という本があります。



店頭で本をめくり良さそうなので買った本です。



読んで為になったので紹介したい。気に入ったら皆さんもぜひ。



第一章は「日本代表は本当に強くなっているのか」、3人のジャーナリストによる座談会形式です。



まずザッケローニの評価、日本のサポーターもメディアも厳しくないことがわかって、日本のサッカーをなめてかかってきているのではないかと指摘しています。緊張感が緩んでいるという指摘です。怖いことです。だから3人は最後まで(W杯に出ることを前提としてW杯終了まで)契約するなんてもってのほかだと言っています。



現実にはW杯出場を逃せば解任ですが、それでは遅すぎるわけで、あくまで緊張感を持ってW杯予選を戦ってもらうためには契約を2年にしておくべきだという主張です。



次に話題になったのは、南アフリカ大会で日本がベスト16になったことによる世界的な意味合いです。



世界のサッカーを見渡すと、欧州、南米を除いて、特にアフリカを中心に優秀な選手が出ていないことがあるため、相対的に日本選手を筆頭に東アジアの選手に需要が出てきたというのです。



その意味では、南アフリカW杯でベスト16になったことが、日本の選手は大丈夫だというお墨付きになったというのです。グループリーグで負けていれば「日本人選手はホントに大丈夫なのか」という疑心暗鬼が消えないというのです。



だとすれば、難しい中でベスト16に勝ち上がった岡田監督は評価されてしかるべきです。3人はほとんど岡田監督を評価していませんでしたが。



第二章は、「このままでいいのかJリーグ」です。3人が指摘していたのは、Jリーグが各チームを救うと言っていながら、いまの仕組みは、Jリーグ本部だけが潤う仕組みだということです。J2だって選手自ら営業活動してお客さんを呼んでいるのに、全部大元(おおもと=Jリーグ本部)が取っちゃう、と憤慨しています。それでは、まるで国の中央官僚と同じです。国民から税金や年金掛金をとって、それで自分たちが官僚貴族になっている。Jリーグも「スポーツ貴族」だということです。



なぜJリーグが官僚貴族と同じになったのか、3人の指摘によれば大学を出てからJリーガーになって、セカンドキャリアで大学時代の人脈がモノを言っているというのです。Jリーグが始まってしばらくは、チームの運営母体となった企業の先輩後輩の関係でリーグ運営に緊張感があったが、学閥の先輩後輩の関係が復活しているというのです。



Jリーグの各チームはといえば、社長は親会社から出向してきた定年間近の人だから、年金生活を前にして長期的ビジョンや将来を見据えた考えてクラブ経営などできるわけがなく、Jリーグ本部の言うなりだというわけです。



そのような認識から、次に第二章の裏企画とでもいいますか「サッカー情報通ライターによる覆面座談会」に突入します。



題して「夢もお金もないJリーグには未来もない」



まず、のっけから「Jリーグ事務局は権益たけは守ろうとする、いかにもお役所体質」と切り捨てます。具体的な例として「レフェリーのミスジャッジにしても選手の規律問題にしても世間があまり問題にしなければいいという、事なかれ主義が横行して、いかにもお役所的なんだよ」



Jリーグが頑なに守ろうとしているスタジアムのキャパシティの問題にも目を向けるべきだと指摘しています。むしろ、キャパが1万人でも専用スタジアムであることのほうが重要だというわけです。同感です。ピッチの回りにトラックがあるスタジアムで観ているサポーターの皆さん、いかに不利な条件でお金を払っているか、もっと声を大にすべきです。私ぐらいのじいちゃんになると、そういうスタジアムには誘われても行く気がしません。



日産スタジアムでクラブW杯をやっていても、何をやっているかよくわからないスタジアムだし、だいたい人口8000人ぐらいの町がJ2に参戦したいという時に15000人収容ものスタジアムが必要なのかというわけです。



そんなこんなで第三章です。テーマは「テレビも専門誌も何を言っているのかわからない 解説者のサッカー用語もわかりづらい」



まず「スイーパーやリベロという呼び方がなくなったと思ったらボランチが出てきて、最近はアンカーだ。ポゼッション、バイタルエリア、アタッキングサードと、世間に広まっている用語かどうか確認もしないで、どんどん新しい言葉を使いだす。『これ知らないとサッカー通じゃないぞ』ぐらいな感じて使っている」



同感です。「そんなヤツこそマスターベーションだって、わかってんのか」と言ってやりたいですが、治らないでしょう。××は死ななきゃ治らない。そういう言葉の使い方はホントはテレビなりメディアが注意すべきなんですが、それがねぇ。



いろいろと読み応え満載でした。



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日本サッカー協会新体制、季刊誌「サッカー批評」の論評を楽しみにしています。

2012年06月26日 19時41分09秒 | インポート

日本サッカー協会の新体制が発表されたという記事を見ました。

これで思い出すのは、やはり犬飼会長の辞任劇です。当然のことながら真相と深層に迫ろうと幾つかの心あるメディア、ジャーナリストが奮闘しました。

表向きは犬飼会長の性急な改革姿勢が協会内で支持されなかったとなっていますが、ある意味、巨大な利権集団である協会で、熾烈な派閥抗争にさらされたことは容易に想像かつきます。

そうした部分への切り込みを含め、幾つかの論評が示され、特に季刊誌「サッカー批評」の特集は出色でした。

今回の人事も、その流れにあるわけで、協会内の力学の結果でしょう。会長としての手腕とか力量、日本サッカーの将来に向けた改革の着実な推進に向けた適任者といった、本来の選定基準に照らしてどうだったか、このあとの心あるメディア、ジャーナリストの奮闘に期待したいところです。

それにしても、どこの世界でもそうですが、えげつないのがいるんですよね。暗躍する腹黒いのが。そういうことに長けている人間には、どうにもかなわない部分があります。けれど日本サッカーの将来が官僚的な発想で歪められるのだけは耐えがたいです。

おそらく、また季刊誌「サッカー批評」が、どの段階かで特集を組んでくれるものと期待しています。また別のメディアなりジャーナリストが切り込んでくれた時は、もれなく取り上げていきたいと思っています。

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イングランドぉ、残念無念

2012年06月26日 19時10分16秒 | インポート

当ブログが決勝カードに予想したポルトガルvsイングランド、消滅です。

イタリア、いかにもという勝ち方でした。攻撃的チームに変身中とかで今大会、なかなかの試合ぶりでした。バロテッリとカッサーノ、いいですね。筋金入りの悪童コンビ。イングランド・ルーニーとの悪童バトルとか言われましたけれど、ルーニーはいまやファーガソン監督にすっかり飼いならされ、悪童対決は当たってないように思いました。

イングランドの勝ち上がりを期待したのは決勝でクリスチアーノ・ロナウドとの究極のエース対決を見たかったからですが、それも露と消えてしまいました。

それにしても今回のベスト4は、すごいカードですね。ポルトガルvsスペイン、ドイツvsイタリア。ワールドカップといっても過言でないほどのカードです。

もはや決勝予想カードは忘れて楽しみたいと思います。

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Jリーグ20年目企画らしいフォトブックを2冊入手しました。

2012年06月24日 15時34分39秒 | インポート

近くにジュンク堂書店があり、9フロアまるごと本、本、本なのでサッカー本もいろいろ取り揃えている。時々、いずれ欲しい本をチェックしておき、予算的になんとかなりそうな時期にまとめ買いしている。

その流れで、仕入れた本のうち2冊はフォトブックだ。

「写蹴」というタイトルの本は、キャプションとして「ファインダー越しに見た歴代サッカー日本代表の素顔」「秘蔵写真と回顧録で振り返る日本サッカー40年の軌跡」とある。

もう1冊は「Jリーグ20周年記念フォトブック」である。文字通りマリノスVSヴェルディの開幕戦でスタートしたJリーグ、1993年シーズンから2011年シーズンまでのさまざまなシーンを切り取ったキメ細かな記録写真集だ。

こうした資料に触れて思うのは、やはり継続性の妙だ。どういうことかというと、例えば「写蹴」、最初の1枚が1970年代初頭の日本代表合宿を取材した時の写真だそうで釜本選手が端のほうに大きく映っている。

まさに40年前の日本サッカーの立ち位置がそのまま切り取られているという感じだ。

カメラマンの今井恭司さん、私は存じ上げないが日本代表のオフィシャルカメラマンというお立場のようなので、かなりの重鎮の方だ。

当プログがめざしているのは、こういう本が出たらすぐ「サッカー文化フォーラム」のギャラリーで出版記念写真展を開くということだ。これだけの写真、サッカー専用のギャラリーを持つ当フォーラムならではの企画だ。

同じ企画があるのかどうかネットで検索してみたが、一番最近で2010年に南アフリカW杯の闘いぶりを紹介した写真展が「日本サッカーミュージアム」で開催されて以来、今井さんがらみのサッカー関連写真展はなさそうだし、予定もないようだ。

もっとも、このフォトブック、初版発売が2010年6月で、まさに南アフリカW杯に合わせての発売だったようだし、それから2年経って入手している当方も気の抜けたビール状態だ。

もう一つ、この本で感じているのが、この本のあとにつながるようなフォトブックをあと40年後でも20年後でも出したいということだ。この本は南アフリカ大会のカメルーン戦までのタームで収められている。

つまり、そこからつながって途切れないフォトストーリーを描きたいのだ。今井さんが、20年後、40年後も続けてくださればサイコーだが、そうでなければ今井さんの思いを受け継いでくれるフォトジャーナリストを探す必要がある。当ブログ、当サッカー文化フォーラムはそういうことも企画実現していきたい。私ができなくなる前にどなたかに引き継ぎたいので、ぜひ多くの方に賛同してご連絡をいただきたい。

同じような思いを持っている本がもう一冊ある。2002年4月に出版された「サッカーを知的に愉しむ」という文庫本だ。光文社出版、林信吾、葛岡智恭共著。

この本が出てからちょうど10年である。この本にはサッカーのことを、さまざまな視点から捉えた、それこそ知的好奇心を満たす魅力がある。しかし10年も経つと、状況の変化によって陳腐化している視点や、別の考察が必要な要素も出てくる。それを10年後の現在地から書き起こして欲しいと思っている。

光文社にハガキを出してみたが、なしのつぶて。時間ばかりがどんどん過ぎていくので、自分で書いてみたいと思っている。要はサッカーの歴史を、いくつかのメディアを通して悠久につなげていきたいのだ。

もう一冊、「Jリーグ20周年記念フォトブック」のほう、これは当方が入れ込んできた20年だけに一コマ、一コマ、蘇ってくるようなショットの連続だ。例えば1993年5月、もはや開幕戦のシーンやジーコのハットトリックぐらいしか取り上げられる機会がなくなったが、実は日本人初ゴールはサンフレッチェの風間八宏、そうだったんだ。ということは開幕戦、マリノスVSヴェルディで得点したのは第一号マイヤーのほか、ネットで確認してみたらマリノスのエバートン、そして得点王になったラモン・ディアス。なにせヴェルディのそうそうたる攻撃陣は封じられたのだ。

そして翌6月、日本人として初のハットトリックはガンバの永島昭浩、そうだったんだ。このように第一号となった選手というのは、その後の選手生活でも

さらに写真ページをめくりながら、次第にJリーグの光と影に思いが及んだ。それはヴェルディとアントラーズのその後である。

ヴェルディとアントラーズ。「文句なしの優等生状態」と「やっとこすっとこブラさがっている状態」とでも言おうか、これがJリーグスタート前の1991年と、20年後の2011年では、全く立場が逆転している。なぜそうなってしまったのか。

あるいは、どこが分岐点だったのか。そう考えた場合、どうしても突き当たるのが1993年のJリーグ初代チャンピオンを決めるチャンピオンシップ、その第二戦である。ジーコのつば吐き事件を生んだPKの判定ジャッジが分岐点になったのではないか。

これは天下の暴論かも知れない。これまで幾度か俎上にのぼった議論なのかも知れない。しかし、6月16日の「世界のサッカー、その光と影」でも述べたようにジャッジをめぐる影は、さまざまな疑念につながる。

いまも「あの年はどうしてもヴェルディの優勝で終わらせたかった勢力がいた」とささやかれているのだ。

しかし「禍福はあざなえる縄のごとし」、そこから両チームの行く末は明らかに逆転した。確かにヴェルディは翌年もJリーグを制覇して連覇したが、まず華を失った。そして世の中の視線が変わった。江川事件以後ダーティイメージを背負った巨人軍と同じ視線を浴びるようになった。

そして、あとはご覧のとおり。川崎から東京へのホームタウン移転でほとんどのサポーターを失い、あげくにはチーム存続の危機にまで陥った。まさに「やっとこすっとこブラさがっている状態」となった。

一方のアントラーズ、1991年、やっとこすっとこ入れてもらったJリーグにおいて20年後には盟主と呼ばれるチームとなった。

すくなくとも「Jリーグファーストトゥエンティ」つまりJリーグ最初の20年は、ヴェルディとアントラーズの2チームが主役だった20年といって間違いない。

次の20年、どうなるか20年後にまたこのブログを読み返しながら「Jリーグセカンドトゥエンティ」を総括してみたい。

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ポルトガルっ、階段を一つ上がりましたね

2012年06月22日 20時01分05秒 | インポート

むふふっ、です。EURO2012決勝、大胆予想ポルトガルVSイングランドに向けて、ポルトガルが階段を一つ上がりました。チェコもさるもの、ペドル・チェフもさすが欧州CL制覇のGKです。

それをこじあけたのがクリスティアーノ・ロナウド、後半32分ぐらいのところだったですが、その前の2~3分を見ていると、ほとんど歩いてましたけどね。スイッチのオンとオフを完全にはっきり使い分けていました。

そして右サイドからクロスが上がりそうだと見るや左のペナルティエリア外から相手ディフェンダーの後ろを回り込むようにしてダッシュしてきたままダイビングヘッド、ボールを捉えた地点では完全にフリーになれているんですねぇ。

スーパーなFWというのは「こう動くと点というのは取れるんだよ」というふうに動いています。まぁ、そういう分野に素人の私があまり書いては失礼ですので止めますが、それでも書きたくなるシーンでした。

準々決勝、あとの試合、予想がつくというか、当然来るでしょうというのがドイツぐらいで、あとは予測がつかないですね。そういう中でイングランドは上がってきて欲しいわけです。決勝カードに予想しているんで。

では、また。次のレポートをお楽しみに。

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EURO2012決勝はポルトガルVSイングランドと大胆予想

2012年06月21日 19時35分48秒 | インポート

EURO2012は、いいベスト8になりましたねぇ。グループリーグの組み合わせ上、オランダが抜けてもやむを得ないことなので、考え得るベストの勝ち上がりといえます。

私がベストというのは、やはりビッグネームが打ち揃った組み合わせになって欲しいという願望があるからです。共催国のポーランドもウクライナも敗退して気の毒で、特にウクライナはUEFAが誤審を認めた幻のゴールがあっての敗退ですから残念ですが、ベスト8の組み合わせにイングランドが入ったか入らなかったかで、ずいぶん重みが違うのも事実です。

今日のタイトルは大胆にも決勝予想で、ポルトガルVSイングランドとしました。理由は二つです。両チームともスーパーFWを擁して点を取り始めたからです。C・ロナウドはふっきれて爆発の予感です。

そう言いながら明日未明の試合、コロッとチェコに負けたりして・・・。

一方のウェイン・ルーニー、頼りになりますね。それからウォルコット、この大会で一段階段を上がるでしょう。あのスウェーデン戦すごかったですものね。

ウクライナ戦の誤審に助けられたこともイングランド勝ち上がり予想の要因になっています。ツイています。

しばらく、こういう予想をしてなかったのですが、突如予想しましたのは、WOWOWの「優勝国予想クイズ」という企画があったからです。

決勝はポルトガルVSイングランド、その結果ポルトガルの優勝と応募しようと思ったのですが、なにやらWOWOW加入しているにもかかわらず、さらにWEB登録が必要だとかで、WOWOWのお客様番号を入力しなければならず、そんなの手元にないので別なウィンドウを開いていたら、せっかく記入した個人情報の欄がログアウトされてしまい、プッツンしたんです。

応募のなんと面倒なことか。個人情報を全部入力させられているんだから、加入者かどうかそちらでチェックしろよと、どなりたいわけです。

そんなわけで、応募はあきらめましたが、せっかく予想したので記録にとどめようと書いたわけです。さぁ、どうなるか。あえなく討ち死にか、それとも見事的中か。

今回はTBSも放映権を買ったみたいで、いろいろな解説者やニュースキャスターが予想しまくって、やはり多いのがスペイン、イタリア、ドイツといったところですね。少数派でフランスが出てくるぐらいで、イングランド、ポルトガルをあげる人はほとんどいないみたいです。

そういう中での予想はいいですね。秘密の予想をしているみたいで。これで当たったら大騒ぎできます。まぁ外れても「やっぱりダメでした」で勘弁していただこうと思います。

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1986年6月のマラドーナと1994年のマラドーナ

2012年06月18日 20時49分57秒 | インポート

ビデオテープからHDDへの変換収納作業で、今日は、86年W杯の準々決勝アルゼンチンVSイングランド戦を収納した。

マラドーナの神の手ゴールと5人抜きゴール、そしてリネカーの大会6点目となるゴールがあった試合だ。

考えてみるとマラドーナの1点目には神の手ゴールと名前がついているが、完全なハンド、イエローカードかレッドカードもののプレーだった。それが5人抜きというスーパーゴールのため不問にされている。イングランドディフェンダーにとっては絶対に認めたくないゴールだ。

それに思いが及んだ時、1994年アメリカワールドカップのドーピング事件はつながっているだろうか? という疑問に思いが飛躍していった。

3つ前のブログ「サッカーの世界、その光と影」というタイトルで書いた、さまざまな疑問への連鎖である。「マラドーナはそうたびたび栄光に彩られる選手であってはならない」 そう思った場合、何らかの見えない力を及ぼす、そういうことがあったのだろうか。

1986年の「神の手ゴール」と1994年のドーピング事件、一見なんのつながりもなさそうな2つの出来事、そこに果たしてなんのつながりもないのかどうか。

そこで一つの提言が浮かぶ。昨今、世界的に情報公開が常である。国家機密文書でも50年とか、ある程度の年月が経過したら文書は公開される。サッカー界でもそれが行われるようになるべきだろう。

なぜ、そう感じたか? それはマラドーナのドーピングがどのような経緯で行なわれたか、やはり知るべきだと感じたからだ。そのためには情報公開が必須となる。永遠に闇の中であってはならないのだ。

サッカー界が自らの自浄作用で情報公開を制度化するなんて期待できるだろうか、100%期待できない。やはり外圧でしか成し得ないのだ。スポーツの独立性などと綺麗ごとをいって懸命に阻止するだろうが、そうでなければ全世界が大会をボイコットするぐらいの外圧でしか可能性はない。

1986年大会は、1966年イングランド大会決勝でのイングランドのオン・ザ・ラインゴール以来、20年ぶりに疑惑のゴールが生まれた大会ということになるのだろうか。

86年大会の変換収納作業も、準決勝まで終わったので、あとは3位決定戦と決勝を残すだけである。ちなみに準々決勝にはフランスVSブラジル戦というのがあって、どうも戦前の予想では決勝のカードになるかも知れないと言われていたようだ。フランスがグループリーグ2位になったため早々と顔を合わせることとなった。

そういう解説がついた再放送が1995年にWOWOWで流されている。この年12月、スポーツ界の「伝説の名勝負」3夜連続というのがあったらしく、WOWOWの柄沢アナが実況をかぶせて完全版を再放送している。NHKのオリジナル版より映像がよく機会があればお見せしたい。

いま2012年、伝説の名勝負というと、どのような試合がチョイスされるのだろうか。時代時代によってチョイス感覚が変わるので、それもまた興味深い。

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大勢いるだろう、サッカー大好きおじさん

2012年06月17日 17時27分29秒 | インポート

直前のブログで、1986年のJSLカップ決勝のことに触れた関係で、85-86JSLリーグ戦のことをネットで検索していたら「武藤文雄のサッカー講釈」というブログにヒットした。

この方は、日本代表サポーターの中では重鎮格の方だろう。プロフィールをのぞかせていただくと、マラドーナとカレッカと同年同月に生まれたとある。2012年の今年52歳になるようだ。

たまたま見つけたブログには、1986年3月22日に観戦した85-86JSL最終節、三菱VS全日空戦のことが書いてあった。この試合で全日空は試合開始直後から9人しか入れずに戦ったようで、全日空のチーム内紛に起因することなどを、いまも怒りが収まらないとばかり書いている。先月5月11日付けのブログのようだ。

ブログの記事本数も半端じゃないようで、書籍も出版されているのだろう。すごいものだ。数日前のブログは「シドニーにて」とかになっているので、今も元気に日本代表サポーターをやっているようだ。

この人は出身地が当ブログの書き手と同じなので、おそらく出身高校も同じかも知れない。出身高校は結構サッカー強豪校で、正月の全国大会にも何度か出場している。書き手は高校時代、まったくサッカーと縁がなかったので話の共通点がないが、少しは同郷面(づら)をしたくなる。

このあとの人生の中で、もしかしたら、どこかで接点ができるかも知れない。

当方も相当な「おじさん」をウリにしているが、全国には大勢いるのだろう「サッカー大好きおじさん」が。

そして武藤さんのように、凄い経験をお持ちで、講釈も独自のものを展開しておられるに違いない。ある人は現在も「おじさんチーム」で若々しいプレーを続け、ある人は少年少女サッカーを指導しておられ、ある人は飲食店のオーナーとして日々若い人たちのよき話し相手になっておられ、そう、いろいろな形で「サッカー大好き」を続けておられるに違いない。

いつの日か「サッカー文化フォーラム」をオープンできたら、そういう人たちが集う場もいいなぁ。どういう集まり方を希望されるだろう。各時代のスーパーな選手たちとかに来てもらうとか、あるいはサッカーおじさん自身が使用料無料のブースを一つ開いて、お互い自慢し合うというのがいいかも。

なんといっても、自慢できる場が一番ではないかと思う。

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1986年の6月をHDDに収納中です。

2012年06月17日 16時57分23秒 | インポート

いまから26年前の1986年6月といえば、ワールドカップメキシコ大会、マラドーナがスーパースターに上り詰めた大会として歴史を刻んだ大会、今月は、その6月に収録された映像をVTRからHDDに変換して収納中です。

作業していると、いろいろな映像が出てきて、ついつい皆さんにお伝えしたくなる。

86年ワールドカップ大会の直前特番のような形で、テレビ東京が約1時間30分(CMが全部カットされている正味映像がこれだけですから、実際は2時間番組だったと思います)を放送していました。この大会は5月31日開幕のようですから、放送は5月下旬でしょう。

司会はテレビ東京「三菱ダイヤモンドサッカー」の名物アナ、金子勝彦さん、ゲストに釜本邦茂さん、松本育夫さん、そして漫画家の望月三起也さんである。望月さんのことをネットで確認したら今年74歳になられるようだ。お元気だといいが。

番組のタイトルが「テレビ東京スポーツスペシャル サッカーワールドカップ闘いの半世紀」であり、まずワールドカップが誕生してから約50年、過去12回の大会を振り返っている。

そのあと、メキシコ大会の大予想。さきの3人だけの予想ではなくスタジオに出場国24ケ国のうち12ケ国の日本駐在外国人を招いている。近年は、世界中の国の人々が留学やビジネスで日本に滞在しており、日本語も堪能、サッカーも大好きという外国人を呼ぶのが普通になっているが、当時はそういかなかったようで、呼んだのはほとんど大使館職員。

でも、大使館職員とはいえ、サッカー関係番組でこれだけ大勢の国の人をスタジオに呼んだのは、これが初めてなのではないでしょうか?

テレビ東京とNHK、日本が参戦しているわけではない大会をこれだけ熱心に取り上げて、それが日本のサッカーファンを増やしていったことは疑いないわけで、トヨタカップと高校サッカーを手掛けていた日テレと並んで、1986年以降の日本サッカー初期において功績大きいテレビメディアということになる。

6月の大会期間中、NHKのサンデースポーツなどもワールドカップにまとまった時間を割いて放送していたようだ。当時、サンデースポーツは現役引退後、華麗なる転身でスポーツキャスターを務めていたのが星野仙一氏だ。現地からレポートする釜本さんとのやりとりはレア物かもしれない。

この釜本さんのレポートの中で、いまでこそ当たり前に行なわれているパブリックビューイングがメキシコシティの広場で行なわれている映像が紹介された。メキシコはサッカーが盛んな国なので誰もがスタジアムで観戦したいがチケットがない。その当時のメキシコ市民の所得水準では高すぎて買えないというわけで、行政の粋なはからいとして実施されたとレポートされていた。なるほどである。

今回、HDDに収納した映像にはワールドカップも終わった7月、当時の日本リーグのカップ戦、JSLカップ決勝がある。古河電工VS日産自動車、会場は名古屋・瑞穂球技場、直前のJSLリーグ戦を制した古河電工、お正月の天皇杯を制した日産自動車、しかし試合は4-0で古河電工の圧勝。1985年頃から1987年頃の古河電工は強かった。読売、日産の2強時代に入る直前ということになる。当時、テレビ放送というと、ほとんどが前半途中からの放送開始で、時間枠が70分から80分程度。この試合も民放の放送でCMがすべてカットされているが正味70分だ。

まだ86年ワールドカップ大会の映像収納が続くので、次回もご紹介したい。しばらくお付き合い願いたい。

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サッカーの世界、その光と影

2012年06月16日 23時32分27秒 | インポート

なんだか、書物のタイトルのようなテーマだ。

おとといのブログで、6月14日の記念すべきサッカーシーンを取り上げ、最後は2002年W杯での韓国の試合での誤審問題や、トルシエ監督の「日本程度のチームは準決勝あたりまで勝ち上がるべきではない」発言問題など、サッカー界にまつわる光と影に話が及んで終わった。

あの晩、寝床に入ってから、サッカー界の影の部分に思いが及び、特にワールドカップでの出来事が、実は次から次へと繋がっているような感じがして寝付けなかった。

それらについて書いておきたい。

2002年W杯の韓国の試合をめぐる誤審問題、それらの餌食になったのは、ポルトガル、スペイン、イタリアである。揃って南欧のチームだったのは天の配剤か。それら3ケ国のその後はどうなったか。

2006年はイタリアの優勝だ。例のジダン事件によって。2010年はスペインの優勝だ。スペインの場合は物議をかもす事件なしに優勝したようだが、言えることは、これでイタリアもスペインも2002年のことを声高に語る必要がなくなった。残るはポルトガルだ。しかしポルトガルは世界制覇を果たすには、まだ力不足と思われており現在、徐々に地力を付けつつある段階と思われているだろう。

そう考えるのは、単なる思い過ごしか、はたまた、影でうごめく得体の知れない力が働く、信じられない世界によるものか。

ジダン事件と書いたが、1990年代に入ってから、なぜかスーパースターがからむ事件が続いている。1994年大会のマラドーナ事件、1998年大会のブラジル・ロナウド事件、そして2006年大会のジダン事件。まさにスーパースターたちである。

しかも、必然的な事件とはいえない。なぜマラドーナがドーピングに呼ばれたか? なぜブラジル・ロナウドが不可解な体調不良に陥ったか? なぜジダンがあれほど執拗な口撃にさらされたのか?

マラドーナは86年メキシコW杯大会でスーパースターに上り詰めたが、その後、いろいろと物議を醸すことが多かった。そのマラドーナが1994年大会では見事な復活を思わせるスタートを切った。そんなマラドーナがまた主役になるようなことがあってはならない、そう考えると何かがあっても不思議ではない。

1998年大会、開催地は欧州だ。しかしブラジルが決勝に勝ち進み、へたをするとブラジルの連覇ということもある。開催地フランスの優勝、それが望ましいシナリオだ。ブラジル・ロナウドが本調子でなければ、かなりの確率でフランスが勝てるだろう。そう考えると何かがあっても不思議ではない。ブラジルは2002年優勝して、ロナウドも大会記録を更新するゴールをあげてキチンと落とし前がついた。

そして2006年である。イタリアとフランスの決勝となった。イタリアは2002年大会、餌食になった過去がある。フランスは98年大会にロナウド事件があって勝った。今度はイタリアの番であり、間違ってもジダンが活躍してフランスが勝ってはまずい。そう考えると何かがあっても不思議ではない。

そう考えるのは、単なる思い過ごしか、はたまた、影でうごめく得体の知れない力が働く、信じられない世界によるものか。

そうなると背筋が寒くなるのは、クリスチァーノ・ロナウドもリオネル・メッシも例外ではないのか、たとえ一度は栄光に包まれても、そのあとの大会で、いつ事件に巻き込まれるかわからない。マラドーナ、ブラジル・ロナウド、ジダンときて、もしC・ロナウド、メッシも、などということになると、完全にワールドカップは世界中から疑惑の目で見られるだろう。

果たしてどうなるか。

サッカーの世界は、人種、言語の壁を超え、貧富の差さえも忘れて夢中になれる世界だ。サッカーの世界のすべてが当てはまるとはいえないまでも、実に大きな可能性を秘めている。その世界に対する希望と確信を失いたくはない。しかし、その光を手のひらでさえぎり、影の部分を垣間見ると何がしかの疑念をぬぐいきれない世界がそこにはある。

当ブログは、その部分も見過ごしたりはしない。どの程度切り込めるかは未知数だが、避けて通ることは断じてない。

そうした影は日本サッカー界にも、いろいろと垣間見える。したがって当ブログは、それらにも例外なく切り込む。おそらく、まともに切り込んでしまったら、どこからともなく圧力がかかるだろう。いわば虎の尾を踏むということになったらである。あくまで虎の尾を踏んではいけない世界だ。踏まないようにして切り込むにはどうしたらいいか、そういう智恵も働かせないと長くは生き残れない。

サッカージャーナリストと言われた方々のうち、まさに虎の尾を踏んだ方は、どうなったか、これについても、いずれ、詳細レポートしようと思う。

やるべきことは尽きない。

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6月14日は日本サッカーにとっても記念日

2012年06月14日 17時31分15秒 | インポート

6月14日は日本サッカーにとっても記念すべき出来事が多い日だ。「日本サッカーにとっても」としたのは、当ブログの書き手にとっても記念の日だからだ。

こちらの記念日といえば、人間誰でも一つや二つの記念日があるわけで、いまさらという類いの記念日だ。もはや、うれしくもない日だが、こと日本サッカーにとっては永遠に語り継がれる日だけに、そういう日と重なる自分の記念日は運命的なものなのだろうと、一人でうなずいている。

手もとの全国紙に「10年前のきょう」という毎日掲載される記事がある。今朝は「W杯きょうチュニジア戦、興奮列島ゴールの行方は?」となっている。

そう、10年前の日本列島の6月はワールドカップ一色だった。すごい報道量だった。そして6月14日チュニジアに快勝して興奮はピークに達した。日本が決勝トーナメント進出を決めた日である。

10年前の6月14日よりインパクトのある6月14日は、1998年だ。ワールドカップのピッチに初めて足を踏みいれたフランス大会、アルゼンチンとの初戦がこの日だった。勝てるとは思わないまでも、何か起きないだろうかと祈る思いでテレビ観戦したあの日、結局、善戦したものの敗戦し、なんとも切ない思いが残った試合、重い一日だったことを思い出す。

6月はワールドカップの月でもありEUROの月でもある。これからも日本がワールドカップに出場すれば6月14日に何かが起きる可能性がある。サッカーをこよなく愛してやまない「おじさん」に与えられた天の恵みのようなものだ。

その6月14日に、また一つ記念すべき出来事を記すことができる。直前のブログで、これまで収録・収集してきたサッカー映像をビデオテープからエンコーダで変換してパソコン外付けHDDに収納し直す作業を始めますと告知したが、この数日間、試行錯誤を繰り返し、やっと1本目のテープの変換作業を終えた。

これから1本1本変換作業を続ける長い道のりの第一歩だ。1日1本、10日で10本、水前寺清子の唄のように、3本進んで2本戻る、というわけにはいかないが1年続けて365本、そのうち標準モードのテープになれぱ1日3本できるから、年間1000本ペースになることもあろう。5年続けて3000本ぐらい変換できれば、かなり進んだように感じると思うので、まずは5年を最初の目標にしよう。今日はその一歩、記念すべき日だ。あとは手帳に毎日ナンバリングして一歩一歩前進しよう。おじさんには目標があり、それを支えに前を向いて活動している。

記念すべき第一号は、86年ワールドカップ大会のグループリーグ、西ドイツVSスコットランド戦、ブラジルVS北アイルランド戦、そしてグループリーグダイジェストが前半分と後半分2本、いずれもNHKの映像。この当時のNHKのスポーツ番組というとイントロは必ず吹奏楽の「スポーツショー行進曲」という音楽だ。(いまはありがたいことに、検索で「NHKスポーツ番組のイントロに流れた吹奏楽」と入力すると、You Tubeかニコニコ動画(原宿)で演奏が聴ける動画に辿りつける)

NHKといえば、アナウンサーで知名度が高いのが「マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ~~~~~~」の実況で名をあげた山本浩さん、いまは法政大学教授の傍ら、NHK-BS土曜21時の「Jリーグダイム」も時々担当されているが、なにせ26年前。若々しい限りだ。もう一人、最近までフジテレビ朝の「めざましTV」を長年担当しておられた大塚範一さん、ご病気のため降板されたようだが、当時まだNHKの中堅アナとしてダイジェスト番組の司会に登場しておられた。

この当時、試合放送が1時間30分、ダイジェスト番組が55分とか1時間30分の枠だった。

対戦カードで、おやっと思われた方は、かなりの事情通だ。北アイルランドというチーム、聞き慣れないでしょう。この大会を最後にワールドカップ本大会出場はないので無理もない。しかし過去には3回ワールドカップ出場経験がある。歴史を感じさせるチームなのかも知れない。

もう一つ、こぼれ話、ダイジェスト番組に出てきたブラジルの試合の実況中のこと、ジーコが途中出場してアシストを決めた場面、いまなら「ジーコの見事なヒールパスからゴールが生まれました」となるが、当時はまだヒールパスという言い方がなく「ジーコの巧みなかかとパスから・・・・」という言い回しだった。

これからも、こういう時代を感じさせる場面やセリフを紹介することが時々あると思う。今回の映像にはコマーシャルがまったく映っていないが、1980年代後半のコマーシャルにはバブリーな感じのするものがふんだんにあり、ぜひお見せしたいと思うものが多い。

同じVHSテープには、一般番組ものが二つ入っていて、1986年6月放送だと思うが、一つは、当時放送されていた「たけしのスポーツ大将」という番組、たけし軍団の面々が持ち前の運動能力を生かして、いろいろなチームと対戦するというもの。サッカー、野球のほか何があったのか覚えていないが、週1回の放送だと思う。月に1回ぐらいのペースでサッカー編を放送していたようだ。この映像にはアミーゴという都内のチームとの対戦が10分ほど収められており、当時、読売クラブを引退したばかりの川勝良一さんや、まだ20歳そこそこの川平慈英クンのプレーも見られる。

試合はたけし軍が勝ったが、意外だったのは、いまや、すっかり東国原元知事となった「そのまんま東」が、うまいボールさばきでゴールを決めていたことだ。

もう1本の番組は、いまも続く長寿番組「徹子の部屋」で、この日はドイツから帰国したばかりの奥寺康彦さんがゲスト出演していた。29分の映像には黒柳徹子の軽妙なトークから奥寺さんのいろいろな話が引き出されている。この時、奥寺さんは新たに所属する古河電工とプロ契約を結んだばかりで、おそらく日本のプロサッカー選手としてテレビ出演した最初の映像ではないかと思う。

26年前の6月、このあとのVHSテープでは、マラドーナがスーパースターに上り詰めていく数々の伝説的プレー、シーンが再現されていく。実況しているスタッフたち、解説者たちもマラドーナの大会となっていくことをリアルタイムで感じていた様子をレポートできると思う。

ところで、2002年W杯大会というキーワードでyahooの検索をかけて驚いたのは、韓国が勝ち進んだ陰に誤審が大きく寄与しているという論調のサイトが次々と並んでいることだった。ちょうど10年経過した時期ということがあったのか、言い換えれば10年経っても、まだ、あの問題が尾を引いていることを実感させられる検索だった。

当プログでは、あの大会における韓国代表、ヒディング監督の勝負師としての凄味を感じさせた采配について触れたことがあったが、一方では韓国のあの勝ち進み方が歪んでいるとする論調も、いまだに大きいことも一つの側面だ。

また、それらの検索から拾い出したあるサイトに「トルシエは、大会前のスペイン国内での練習試合のあと、フランス人記者だけを集めた非公式会見の中で、『日本はワールドカップで準決勝まで勝ち進むべきではない。そのようなレベルではないチームが勝ち上がればワールドカップという歴史と権威のある大会の価値を下げることにつながる』と語った」というくだりが出てきた。これは当時、サンケイスポーツなどが報じていたようだ、少しは物議を醸したのだろうが、おそらく「今さらそんなことを言われても更迭しようにもどうしようもない」ということだったのだろう。

しかし、歴史の検証という観点からは、絶対この点はゆるがせにできない問題だ。こともあろうに日本の運命を託した代表監督が、このチームはある程度のところで負けてしかるべきだと考えていたのだから、日本代表、あるいは日本国民を冒涜していることこの上ない。

当プログでは、そうした彼の深層心理までつかめていなかったことから、トルコ戦の采配が「彼が戦闘の現場を指揮をとれる指揮官タイプの人間ではなく、いわば育成コーチ型タイプが故の限界だった」と論じたが、上記の発言と合わせて考えれば、彼はトルコ戦を負けてもいいと思って闘った確信犯だったわけで、明らかな契約違反、背任罪にあたる行為を犯したことになる。

これは、単にトルシエを監督に選んで残念だったというレベルではなく、彼を証人喚問して徹底的に糾弾しなければならないという事案ということになる。

当ブログは、このような不明瞭な部分を、手元の膨大な資料を駆使して明らかにしていくことも使命にしている。いずれ機会を捉えて、この点を取り上げていきたい。

「今日は記念日」という明るいテーマだったが、最後はトルシエ糾弾という感じになり、少し変な締めになった。サッカーの世界にも常に光と影がつきまとうということか。きれい事だけでは済まないことだけは確かだ。

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EURO2012、W杯アジア最終予選、アーカイブスなどについて

2012年06月10日 19時34分12秒 | インポート

EURO2012、始まりましたね。始まるまでは、主にWOWOWとTBSが、盛んにPRしていて、組み合わせなどもわかっているはずなのに、いざ、始まってみると、エーッ、もうドイツVSポルトガル戦?、スペインVSイタリア戦?、イングランドVSフランス戦?、という具合に驚いています。

第一戦から、こんなカードが組まれているということをイメージしてなかったです。このカード、ワールドカップでも決勝トーナメント、EUROでもベストエイトからぶつかるかな、というカードですよねぇ。

オランダはデンマークにやられてしまって。そうするとB組ではドイツが落ちるというのは考えにくくなりましたから、オランダかポルトガルが落ちる確率がかなり高くなって、へたすると2チームとも落ちる可能性が出てきましたね。

まだ始まったばかりですが、あまりのビッグカードに驚いて、これまでの大会の熱いカードが蘇ってきます。EURO’96から2000、2004、2008とレビューしてみましたが、やはり強豪が順当にベスト4に残った大会は熱かったです。ドイツ、チェコ、イングランド、フランスが4強となった’96年大会、フランス、イタリア、オランダ、ポルトガルが4強となった2000年大会ですね。2008年大会は、スペインとドイツの決勝でしたが、準々決勝でオランダが負けてしまい少し熱さが弱まりました。

今回の4強予想? それは、その道の専門家にお任せします。

W杯アジア最終予選のほうは2試合終わりました。すっかりおなじみになった「絶対に負けられない戦いがある」ってヤツですね。

オマーン、ヨルダンに連勝してテレビもスポーツ紙も盛り上がってます。当ブログは12日のオーストラリア戦が終わってからコメントすることにします。

話は変わりますが、当ブログは、常設のサッカー文化の殿堂とアーカイブス(映像・書籍資料の保存館)を作る夢を追いかけている「サッカー大好きおじさん」のブログです。

手持ちの膨大なサッカー関係の映像・書籍素材をデータベース化・デジタル化して長期保存と容易な検索利用に耐えるようにしなければなりません。

これまで、20年にわたり、どのような方法が最もいい方法なのか、技術の進歩具合などもウォッチしながら考えてきましたが、ここにきて、やっと、ふんぎりがつきました。

現時点では2TBの外付けHDDに映像を収納すると、かなりの量のビデオテープを廃棄することができます。HDDの大きさといったらビデオテープ1本の大きさより少し大きいぐらいのコンパクトさですから、このHDDを100個使ってもさほどスペースを要しません。

さぁ、これからビデオテープをHDDに収納する作業を来る日も来る日も続けなければなりません。3倍モードで収録している120分テープなどは全部移し替えるのに6時間かかります。

つまり1日に1本というペースです。これを毎日毎日休まずに続けると1年間に果たして何本のテープを移せるか、そして、すべてのビデオテープを移し終えるまで何年かかるか、とにかく続けるしかありません。おじさんが果たして生きている間に終わることができるのか、おじさんが生きて元気に作業を続けているうちは、時々このブログで途中経過を報告させていただきます。

手早く進める方法についてご存じの方はぜひお知恵を貸していただければ幸いです。お待ちしています。また「私がその遺志を引き継ぎます」という方がいらっしゃったら、ぜひ手をあげてください。一人と言わず、できるだけ多くの方がチームとなって引き継いでいただきたいと思っています。

おじさんとしては「おじさんが死んでしまったところで、このアーカイブスはプッツン」にしたくないのです。むしろ、引き継いでいただき未来につなげていって欲しいと願っています。Jリーグが始まってからだけでも20年、おじさんのアーカイブスは、だいたい1986年を起点と考えています。なぜ1986年を起点にするかというと、その年のメキシコW杯、つまりマラドーナがスーパースターとなった大会あたりから映像が途切れずアーカイブされているからです。それ以前の映像というと1982年W杯まで空白になっています。

それともう一つ、1986年というのは奥寺康彦さんと木村和司さんがプロ契約選手になり、いわば日本人のプロサッカー選手が誕生した年で、いわば元年にあたる年だからです。それからでも、すでに26年です。四半世紀、サッカー情報収集に費やしてきた人生です。その遺志がプッツンしてしまうのは寂しいものです。

日本サッカーはますます世界に向かって広がっていきます。その足どりを辿れる映像・書籍資料を継続的・網羅的に保有しているのは、おじさんのところしかありません。

どうか、この作業に人生を賭けてみようと思われた方、ご連絡をください。お待ちしています。

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久しぶりに、サンケイスポーツ連載コラム「考える脚」by星野智幸さん

2012年06月07日 13時03分41秒 | インポート

さる5月9日、「また1週間以上、記録が滞ってしまいました」のブログ欄で、サンケイスポーツ紙に毎週水曜日掲載されている連載コラム「考える脚」のことを取り上げた。

作家の星野智幸さんによるものだ。5月9日に連載29回目にして初めて気づき、その後もご無沙汰だったが、6月6日付けスポーツ紙は「香川、マンU決定」の報が流れた翌朝だけにサンケイスポーツも1面に持ってきた関係で入手した。

連載コラムは第33回目になっており、テーマは「ゲームとメディアの軋轢」。ゲームというのは任天堂やプレステなどのゲームのことではなく、生のサッカーゲームのことのようだ。

コラムの要旨は、サンケイスポーツがつけたコラムの見出しに凝縮されていた。「試合の流れに関係なくメディアは物語を作りたがる」とある。W杯最終予選のオマーン戦を放送したNHK-BSの映像の作り方に違和感を感じたというのだ。小見出しに「控えの宮市をカメラが追う・・・中継に違和感」「サッカーを映さない」とある。

だいたいコラムの趣旨はおわかりいただけたと思うが、少し抜粋してみると、プレミアリーグのカメラワークの良さと比較して「日本の中継では、ひどい場合は、プレーの最中に選手の顔のアップを写したりする。サッカーなど映したくないのだろう」とか、「オマーン戦のNHKの中継では、サブリミナル効果であるかのように宮市の肖像が差し挟まれ、ゲームという物語なき物語をしばしば中断させていた。」

星野さんの観察によれば、そのように撮られる控え選手は宮市しかいないとのことで、「これはゲームの流れと関係なく、メディアが宮市の紋切り型なヒーロー誕生物語を欲望しているからだ」さらに「オマーン戦はスタメンがおおむね好調で結果も出ている。それなのに宮市の物語を必要とするのはサッカーファンではなく、自身の存在価値に不安を抱える既存のメディアだ。アイデンティティを失いかけて、宮市に依存しようとしているのだ」とバッサリだ。

星野さんは、この場合、NHKに限らずメディア全体がともすればヒーロー誕生を欲しがちで、それは自らのアイデンティティに不安を抱いているためだ、という観点でコラムをまとめられているが、当ブログはもっと容赦なく、要はNHKは民放以上にえげつない、と考えている。

当ブログが、このコラムをまとめるとすると、なんのことはない「NHK-BSがプレミアリーグを放映しており、いまのところ日本人選手が宮市だけであり、その宮市が日本代表としてベンチで出番を待っています」と言わんがために、そういうバカな映像を作っている。

これで香川真司がプレミアに移って、引き続きNHKが放映することになったら大変だ。まるで自局にスタータレントを抱えたような扱いになることは目に見えている。それでサッカーの露出が増えるならいいでしょう、と思うのは早計で、NHKというのは、いろんな、えげつないことをやるテレビ局だ。こんな巨大メディアにケチをつけると、当ブログなど、人間の手に捕まえられた小さな蚊のように、あっという間にひねりつぶされて抹殺されてしまうかも知れないが、そう言いたくなるほどのヤリ口が見られる。

具体的な例が、NHK総合の「ニュースウォッチ9」だ。この番組の大越キャスター、ご存じの方も多いと思うが、元東京六大学のエースピッチャーだ。NHKの看板キャスターだ、もちろん出身は東大だ。

したがって、ご本人が野球に入れ込むのは想像できるし、ある程度は仕方がないと思う。大越キャスターは人柄も温厚そうで、語り口もいいからこの番組としては起用大成功という感じだが、こと野球の扱いに関しては少々度が過ぎている。なにしろ、スポーツコーナーで扱うのは大半が野球であり、プロ野球の1試合1試合を懇切丁寧に放映している。

プロ野球は毎日毎日試合が行われ、他のスポーツはほとんどが土日。だから仕方がないという理屈で説明するかも知れないが、昨今テレビを見ている人の中で、昔みたいに選択肢が野球か相撲ぐらいしかなかった時代とは違い、野球のニュースを待ち望んでいる人はずいぶん少ないのではないか。

もちろん、野球大好きの人たちが、この「ニュース9」の取り上げ方を嬉しく思っているだろうことも否定しないが、どちらかというと、プロ野球を詳しく放送しているのは、キャスターの大越さんを喜ばせようとしているからだと、ひねくれて考えざるを得ないほど、えげつない。

星野智幸さんのコラムから、当ブログが勝手に「NHK、やることがえげつないぞぉ」という話に持っていっているが、星野さんの論旨は、そうではないのかも知れないので、読者の皆さんはくれぐれも、その辺を分けて解釈して欲しい。

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鳥栖、ユン・ジョンファン監督にみる「監督力」

2012年06月03日 18時31分38秒 | インポート

ワールドカップ最終予選のため中断期間に入ったJリーグ。

今日は最終予選の初戦、オマーン戦がまもなく始まる。

この時期にJリーグの話題だが、昨シーズンまで指揮を執り名将の評価が高かったアントラーズのオリヴェイラ監督やガンバ大阪の西野朗監督がチームを去り、ここまで首位のベガルタ仙台を率いる手倉森監督や、サンフレッチェから浦和レッズに移り順調にチームをまとめているミハイロ・ペドロヴィッチ監督あたりの評価が高くなっているのではないか。

当ブログでは、今シーズンJ1初昇格を果たして、ここまで一ケタ順位を維持しているサガン鳥栖のユン・ジョンファン(尹晶煥)監督に注目している。

長らくJ2に雌伏していた鳥栖について抱いていたイメージは、金欠チーム、チーム消滅の危機にさらされているチームというイメージだったから、J1に昇格しても甲府のようにまた逆戻りになるのではという思いでみていた。

それがこの健闘である。ユン・ジョンファン監督について語られている資料がまだほとんどないので、根拠のある説とは言えないかも知れないが、鳥栖のこの健闘は「監督力」によるものではないかという気がしている。直感と言っていいだろう。

ユン・ジョンファン監督は2000年から3年間セレッソでプレーしたあと一旦韓国に戻り、2006年から鳥栖でプレー、2008年からは指導者の道を歩み始めた。

プレーヤー時代のユン・ジョンファンのリーダーシップや指導者としての資質を見抜いたのが当時、鳥栖の監督をしていた松本育夫氏だ。ユン・ジョンファン監督にとっても松本育夫氏との出会いは重要だったに違いない。

選手生活を終えたユン・ジョンファンを将来の監督候補と見込んでチーム内で経験を積ませた松本氏の慧眼はサッカー界の財産である。

2010年から監督として指揮を執り翌2011年にはJ2・2位、鳥栖を悲願のJ1昇格に導き、今シーズンまでこの健闘ぶりである。

さしたる補強資金もないクラブだけに、大きな戦力的な変化が見られなかったチームにおいて、この位置にいられる理由を探せば、それは「監督力」以外に見当たらない。当プログはそう思うのだ。

サッカーチーム監督に求められる資質・能力

サッカーチームの監督、その立場の人間に必要な資質・条件といったものを考えてみる。いろいろな書物などでも論じられ、世界のトップクラスの名将と言われる監督たちの分析・評価にも事欠かない。

「監督力」というタイトルの書物もあったような気がしてAmazonで検索してみたら、2004年に刊行された西部謙司氏の「監督力-サッカー名将の条件」という本がヒットした。当方のライブラリーにあるのかどうか確認もしていないし、内容についても説明できない。

それとは別に当ブログが考えているサッカー監督の資質・条件といったものをあげてみたい。

①選手の適性を発掘・察知する能力と、布陣として適性に配置する能力

よくサッカーチームの監督には、自分が考えているサッカーのイメージ、ビジョンに合う選手を集めてチーム作りをするタイプと、自分が使える選手の能力を見極めて、それに合うサッカーを考えるのが得意なタイプがいると言われる。

ただいずれにしても、百人百様とも言える選手の個性、力量あるいは潜在能力といったもの、つまりピッチのどこで使うとこの選手が最大限の力を発揮できるのか、その選手のそれまでのプレー歴とか本人の願望などを抜きにして、適性を見極める能力の差が、監督の資質・能力の差として大きいと思う。

個別の選手の適性を見抜いてコンバートし、本人が大飛躍した例として顕著なのが長友佑都だ。普通、大学生の半ばからポジションが変わり、そこから世界トップクラスのビッグクラブでレギュラーを張れる選手にまで飛躍する例は、そうザラにはいないし、あそこで明治大学の神川監督がコンバートとしなかったら、長友という才能は完全に埋もれたままだったに違いない。

監督さんが、一人ひとりの適性を100%見抜いているかどうか、そのポジションで使うのが本当に彼の能力の最大限のところなのか、結構、大切な部分のようだ。

選手のコンバートがチームを世界一に導いた例として語られるのが女子ワールドカップ優勝の、なでしこジャパン・佐々木監督だ。澤穂稀選手をトップ下からボランチにコンバートしたことによって、彼女の守備力、展開力、そして他の選手をトップ下に使えるという選択肢、それらが相乗効果をもたらし、結果して優勝まで勝ち取った。

この場合、あとで述べるがチームの大黒柱である澤のポジション変更を本人も納得させチームとしても機能させるため、また別の資質・能力が必要になる。

②対戦チームのスカウティング能力・戦術構築能力

これは、監督の能力として一番先に語られることが多い項目だ。この能力は監督だけで成し得るものではなく、スカウティングといった情報収集、自チーム選手のフィジカルコンディションの維持確認など、チームスタッフ全体の智恵と能力を結集していく必要があり、それらを的確に遂行できるスタッフの確保も監督の重要な能力であり、いわば連合艦隊の司令官として作戦を練るために必要な部分といえる。

これら①②によって「敵を知り、己れを知れば、百戦危うからず」という格言が現実のものとなるだろう。

③勝つチームにまとめるモチベート能力

個々の選手の能力が高い集団になればなるほど個性の強い選手たちの自己主張も強くなるのが通例だ。よく1+1を3にするか、2にも満たないものにするか、いわば選手のベクトルを勝利という方向にまとめることの難しさを語る例えに使われるが、そこで大切なのがモチベート能力である。チームとして勝利に向かうことの大切さ、その中での個々の選手の役割の大切さ、あるいは試合に向かう選手のスピリットというかね戦う集団に徐々に気分を高めていく盛り上げ能力といったことである。

レアル・マドリーのモウリーニョ監督をして「ペペやマルセロといった選手を闘犬のように今にも噛みつかんばかりの状態にしてピッチに送り出し、自分は何食わぬ顔をしている」と評したコラムがあったが、これが、モチベーターとして高い能力を持ったモウリーニョ監督をよく表している。

また、レギュラーと控えの選手の間に目に見えない溝があったりすると、それでまたチームとして総合力の発揮がそがれてしまう。監督は、そうしたことにも目配りして「この監督についていく」という気にさせ、それぞれの役割を最大限に発揮してもらう資質・能力が必要となる。

監督になるほどの人は、人間的に人間的にも素晴らしい人が多いのだが、勝利のためには冷徹に選手の取捨選択を行ない、それでいてチームの一体感を高めるという難しい仕事をこなさなければならない。そういった百戦錬磨の監督たちの中で、さらに名将という評価を得る人たちは「カリスマ」と呼ばれる人間離れした資質を備えているということになるのだろう。

さきに述べた、なでしこジャパン・佐々木監督などは、いつもは選手たちに「ノリさん」と呼ばれてにこやかにしている。それこそアマチュアサッカーチームの監督みたいな雰囲気である。

しかし、ここぞと思ったことについては冷徹だった。チームのスーパー大黒柱である澤選手のポジション変更である。並の監督なら澤選手だけはノータッチ、ではなかろうか。しかし佐々木監督は、そういう観念を取り払ってチーム作りを考えたのだ。

もちろん澤選手とは真剣に話し合っただろうし、澤選手も納得してポジションを移ったからこそボランチで機能したのであり、チーム力も高まったのだ。当時、知名度も低く評価がまだ定まっていなかった佐々木監督だが、それまでの知名度や評価が重要なのではなく、選手の持つ適性をチームのどこでどう使うかが重要なのだ、ということを見事に証明してみせた。

④試合において瞬時の判断・決断を下せる采配能力

①から③までは深みのある人間性、あるいは知性、カリスマ性といった面で監督を見たが、試合は戦場そのものだ。瞬時の判断・決断の失敗はそのままチームの敗戦に直結する。

戦場での瞬時の判断・決断力は、ある意味動物的な、本能的な部分が持つ能力ともいえる。直感とか、勘といった言葉で語られることもある。ただ、直感とか勘も、チームとして集めた情報を総合的に分析して導かれた方向性があるから判断を間違わないのであり、戦局全体を冷静に見極めていればこそ下せる決断であろう。

最近まで総理の座にあった、どこぞの国の総理のように、瑣末な事に血道をあげて「ソーリのリーダーシップだ」などとわめいているようでは、もし戦場なら何万もの将兵をいたずらに死なせてしまうだろうし、サッカーの試合なら絶対勝てない監督となる。

サッカーチームの監督は、試合に選手を送り出してしまえば、使えるのは交代カードを最適に切ることぐらいだが、実は、このカードの切り方一つで、試合の流れをガラリを変えることができる。

この「選手交代」で凄味を感じたのが日韓ワールドカップで韓国のヒディング監督が見せた采配だ。決勝トーナメント1回戦、イタリアとの試合で見せたFWカードの連続投入、三人目のFW投入の時はディフェンスの要、というよりチームの要であるホン・ミョンポ(洪明甫)を下げての交代である。守備のバランスが大きく崩れることは間違いない、しかし、そんなことを言っても点をとらなければ勝てない、それがわかっていても、なかなか采配でそこまで大胆にやれる監督は少ない。

当ブログは、現在の日本代表監督、ザッケローニさんについて、この部分にやや不安を抱いている。日韓ワールドカップの時の日本代表・トルシエ監督もそうだった。決勝トーナメント1回戦のトルコ戦、戦い方のアプローチも誤りスタメンの選び方を失敗したほかに、選手交代のカードの切り方もまったくダメだった。

結局トルシエさんは育成向きの監督であり戦場を指揮する監督の器ではなかったことが明らかになった。同じ頃、ヒディング監督がああいう采配をしただけに、余計トルシエさんの非力ぶりが際立ったものだ。

ザッケローニ監督にもレギュラー選手を固定しがちな采配が見られる。「戦局が優勢な時にはいじらない」というのがサッカーにおける選手交代の鉄則といわれている。言い換えれば監督としての腕のみせどころは、戦局が危うい時、このままでは負けてしまいそうな時である。

これまでのザッケローニさんは、負けていてもズルズルと決断ができず、残り少なくなってから投入しても、あまりにも遅きに失しているといったケースが散見された。まだ、失敗が許される試合だったから大きな問題になっていないが、いよいよという場面、ここで失敗したらアウトという場面での判断力・決断力には不安が残ったままだ。

⑤対外的に適切な情報発信を行なうスポークスマン能力

現代のプロサッカー監督、国の代表監督は、コツコツと監督だけをやっていれば許されるものではなくメディアを中心とした対外的に、適切な情報発信能力ができるスポークスマンとしての資質・能力も求められている。

特にメディアとの一問一答は、答えやすい質問ばかりではなく、またサッカーだけの質問とは限らず、それでいて待ったなしのやりとりだ。脇の甘い答えも許されないが木で鼻をくくったような答えも許されず、その場その場で機転を効かせることも大切な要素となる。

よく名将と言われる監督は、選手個々の批判をメディアの前ではしないという点で共通していると言われる。心の中ではある選手に対する怒りが渦巻いていても、それを表に出してはおしまいで、メディアの思うツボなのだ。こうしてみると監督業というのは、真っ正直な人にはとても務まる代物ではなく、多重人格というか、本音と建前を自在に使い分けられる、当ブログに言わせれば化け物のような人でないと務まらないのかも知れない。

さて、サッカーチームの監督に求められる能力・資質といったことについて、ひとくさり述べたが、ユン・ジョンファン監督はどうか。

ユン監督は、鳥栖に潜在能力の高い選手が多いことを見抜いている

私は、ここまでのところ、①②③の点が優れているのではないかと思っている。特に③については、思うところがある。

現在の鳥栖には、ユース年代、五輪代表世代の日本代表の中心だった選手が少なくとも3人いる。FWの豊田陽平、水沼宏太、中盤の岡本知剛である。彼らがいま鳥栖にいるということは、彼らの仲間であった例えば本田圭祐、豊田陽平にとって、星稜高校でも名古屋グランパスでも後輩にあたる。本田圭祐のいまを思えば豊田陽平の心中や察して余りある。

水沼宏太がキャプテン、岡本知剛も選ばれた2007年U-17W杯日本代表の同期には、ケガをして療養中だがレッズの山田直輝、最近評価急上昇のマリノス・齋藤学がいる。特に齋藤は水沼にとって元チームで同僚、ポジションも近いライバルだ。

こうした潜在能力の高い選手の能力を引き出せれば戦力的に大変な魅力となる。選手たちにも当然「もう一度」という気持ちがある。そこでのアプローチだろうと思う。豊田も水沼も、いまはJ1の鳥栖でプレーできていることに自信と確信を抱いていることだろう。このあたりは必ず何かの専門誌がユン・ジョンファン監督に確認してくれると思う。

まだ注目しているメディアが少ないユン・ジョンファン監督、当ブログは将来彼が「Jリーグで成功した最高の韓国人監督」と評される日が来るような気がしており、かつてのパク・チソン同様、Jリーグをステップとして世界に羽ばたいていける可能性を秘めている人だと思っている。なにせ、まだ39歳、あと20年は監督としてキャリアを積んでいける人なのだ。日本や韓国、アジアの枠に収まって欲しくない期待もある。

ユン・ジョンファン監督のサッカーを知る数少ない手掛かりが、2012.5.8号のサッカーマガジンに載っている。どうやら前線からのプレッシングを90分継続するのがキモのようで、ボランチはむしろチームを動かせと監督から指示されているようだ。ボランチは自分がプレッシングに行くのではなく、前の選手がプレスできるよう的確に指示を出すのが役目のようだ。この辺は他のチームと少し違うような気がするが、当ブログはその分析が専門ではないので他メディアに譲りたい。

この戦術では夏場を乗り切るのが一つの鍵になるが、そういう意味では、この中断期間は鳥栖にとって追い風だ。夏に向けて十分体力をつけ直せるしプレッシングを続けられそうだ。

まだまだ長いJリーグとはいえ、鳥栖とユン・ジョンファン監督に運のある年になりそうだ。名将への道のりには幸運も必要であり、いろいろな意味で巡り合せの良さも条件の一つかも知れない。松本育夫監督という伯楽との出会いから始まったユン・ジョンファン監督の名将への道、当ブログは、これから20年ぐらいのスパンで彼を追ってみたい。

これも「サッカーを愛する者」にプレゼントされた「夢」といえるだろう。

ちょうど、ブログを書き終えた頃、日本vsオマーン戦が3-0で終了した。まずは好発進だ。今日のザック采配、まず内田に代えて酒井宏樹、次に岡崎に代えて清武、最後は残り数分で遠藤に代えて細貝。

細貝についても清武と同じぐらいの時間が欲しかった。選手交代について試合後の会見で質問が出たのかどうかわからないが、遠藤から細貝への交代に関しては寸分の狂いもなく、という感じには思えない。

カードのチョイスはやむを得ないところだろう。酒井、清武、細貝、宮市はその次といった感じかも知れない。酒井も清武も今後の戦いの中では、内田、岡崎にすぐ代えられる手ごたえが欲しかっただろうし、遠藤に代えての細貝にも長期的な意味合いがある。宮市を見たいという願望は、今日のところは我慢しなければという感じだ。

次の試合、香川は黙ってはいないだろう。それなりの働きをしたと回りは評価してくれても本人は悔しさ一杯の初戦だったに違いない。次のヨルダン戦、彼の思いが多少なりともピッチに現われるだろう。

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