TBS番組「消えた天才・サッカー選手編」の4人目から書き進めます。
④4回目にサッカー選手が取り上げられたのは、2018年11月14日放送でした。この時はロシアW杯戦士2人が「消えた天才」を紹介しています。
まず宇佐美貴史選手。彼自身が「ガンバ大阪が生んだ最高傑作」と称されたほどの天才でしたが、その彼をして「勝てなかった」と言わしめた選手は、ガンバジュニアユース当時の1年先輩、河本光喜善さんとのこと。中学2年でガンバジュニアユースの10番を背負いU-15日本代表では埼玉の天才・原口元気選手を控えに回していたほどの実力の持ち主だったようです。
その彼がユース年代に突然表舞台から姿を消したのです。その訳はユース年代になっても、ついつい自分だけでボールを持ちたがるクセが抜けず、球離れが悪く、たびたび監督やチームメートから指摘を受けているうちにサッカーが面白くなくなり、とうとう辞めてしまったからだそうです。
確かにユース年代ともなれば、独りよがりのプレーから脱却しチーム戦術を身につける時期ですが、彼の長所を活かしつつ育てる方法はなかっただろうかという気がしないでもありません。それこそ「たられば」論かもしれませんが・・・。
次に登場したW杯戦士は吉田麻也選手。早くから将来を嘱望されていたディフェンダーの彼でも「止められなかった」と言わしめるほどの天才選手とは、グランパスユース時代のチームメートで、一緒にトップチーム昇格を果たした新川織部選手とのこと。
グランパスユースの2年生ですでに10番を背負っていた新川選手か、なぜトップチーム昇格からまもなく消えてしまったのか。
トップチームの選手として3シーズン、出場試合はリーグ戦、カップ戦合わせてわずか4試合、戦力外通告を受けて引退した新川選手。未練の残るサッカー人生を吹っ切らせてくれた光景を、引退した2009年に見ることになったのです。
それは日本代表に選ばれた、かつてのチームメート本田圭佑選手の行動でした。平山相太選手のところでも本田圭佑選手でしたが、ここでもまた本田圭佑選手です。
その光景とは、今もよくテレビで流れる場面です。日本代表の国際親善試合での出来事、当時の絶対的10番、中村俊輔選手が蹴って当然のフリーキックの場面、代表に入りたての本田圭佑選手が「オレ蹴っていいっすか、オレ蹴りたいっす」と名乗りをあげたのです。
これをテレビで見ていた新川選手、「オレはこういう自己主張をしたことがない、この差がプロでやっていけるか、いけないかの差だ」と痛感したと言います。
宇佐美貴史選手が紹介した河本光善さんは、自己主張が過ぎて「独り善がり」になりプロになれなかった「天才」で、吉田麻也選手が紹介した新川織部さんは、自己主張が足りずにプロを去った「天才」というわけです。
⑤次の「消えた天才」は、スポーツ名門校特集ということで、2018年11月18日放送。サッカーの名門校・市立船橋の長い歴史のなかで歴代No.1ストライカーと認められながら、消えていった天才を紹介しています。
その選手とは、第73回全国高校サッカー選手権で得点王に輝き、決勝ではハットトリックを達成して市立船橋を優勝に導いた森崎嘉之選手です。前年度の72回大会で優勝した清水商の川口能活選手、準決勝で清水商に破れた鹿児島実の城彰二選手がJリーグ入りして人気を集めた次の選手権でした。
その彼も大きな注目を浴びてジェフ市原に入団します。1年先に入団していた城彰二選手が、森崎嘉之選手を見て「ずば抜けた天才、日本の宝だった」と番組のインタビューに答えていましたが、これは思い切り優等生的コメントで、かえって変な感じでしたね。
④4回目にサッカー選手が取り上げられたのは、2018年11月14日放送でした。この時はロシアW杯戦士2人が「消えた天才」を紹介しています。
まず宇佐美貴史選手。彼自身が「ガンバ大阪が生んだ最高傑作」と称されたほどの天才でしたが、その彼をして「勝てなかった」と言わしめた選手は、ガンバジュニアユース当時の1年先輩、河本光喜善さんとのこと。中学2年でガンバジュニアユースの10番を背負いU-15日本代表では埼玉の天才・原口元気選手を控えに回していたほどの実力の持ち主だったようです。
その彼がユース年代に突然表舞台から姿を消したのです。その訳はユース年代になっても、ついつい自分だけでボールを持ちたがるクセが抜けず、球離れが悪く、たびたび監督やチームメートから指摘を受けているうちにサッカーが面白くなくなり、とうとう辞めてしまったからだそうです。
確かにユース年代ともなれば、独りよがりのプレーから脱却しチーム戦術を身につける時期ですが、彼の長所を活かしつつ育てる方法はなかっただろうかという気がしないでもありません。それこそ「たられば」論かもしれませんが・・・。
次に登場したW杯戦士は吉田麻也選手。早くから将来を嘱望されていたディフェンダーの彼でも「止められなかった」と言わしめるほどの天才選手とは、グランパスユース時代のチームメートで、一緒にトップチーム昇格を果たした新川織部選手とのこと。
グランパスユースの2年生ですでに10番を背負っていた新川選手か、なぜトップチーム昇格からまもなく消えてしまったのか。
トップチームの選手として3シーズン、出場試合はリーグ戦、カップ戦合わせてわずか4試合、戦力外通告を受けて引退した新川選手。未練の残るサッカー人生を吹っ切らせてくれた光景を、引退した2009年に見ることになったのです。
それは日本代表に選ばれた、かつてのチームメート本田圭佑選手の行動でした。平山相太選手のところでも本田圭佑選手でしたが、ここでもまた本田圭佑選手です。
その光景とは、今もよくテレビで流れる場面です。日本代表の国際親善試合での出来事、当時の絶対的10番、中村俊輔選手が蹴って当然のフリーキックの場面、代表に入りたての本田圭佑選手が「オレ蹴っていいっすか、オレ蹴りたいっす」と名乗りをあげたのです。
これをテレビで見ていた新川選手、「オレはこういう自己主張をしたことがない、この差がプロでやっていけるか、いけないかの差だ」と痛感したと言います。
宇佐美貴史選手が紹介した河本光善さんは、自己主張が過ぎて「独り善がり」になりプロになれなかった「天才」で、吉田麻也選手が紹介した新川織部さんは、自己主張が足りずにプロを去った「天才」というわけです。
⑤次の「消えた天才」は、スポーツ名門校特集ということで、2018年11月18日放送。サッカーの名門校・市立船橋の長い歴史のなかで歴代No.1ストライカーと認められながら、消えていった天才を紹介しています。
その選手とは、第73回全国高校サッカー選手権で得点王に輝き、決勝ではハットトリックを達成して市立船橋を優勝に導いた森崎嘉之選手です。前年度の72回大会で優勝した清水商の川口能活選手、準決勝で清水商に破れた鹿児島実の城彰二選手がJリーグ入りして人気を集めた次の選手権でした。
その彼も大きな注目を浴びてジェフ市原に入団します。1年先に入団していた城彰二選手が、森崎嘉之選手を見て「ずば抜けた天才、日本の宝だった」と番組のインタビューに答えていましたが、これは思い切り優等生的コメントで、かえって変な感じでしたね。