私が小さな店を始めた河口湖は、素晴らしい富士山を間近に見れる観光地だけに、昨年あたりから急増した外国人観光客の多くが訪れる地で、半年前の真冬でも河口湖駅前は多くの外国人で賑わいました。
店を始めて3ケ月あまりしかたっていない私の店にも、ちらほらと外国人観光客の方が来られます。
一昨日の夕刻、一人のアメリカ人女性が来店されました。「タバコを吸いたいのでテラス席でいいです」といって、ビールとタバコと持参した本を楽しみながら、しばらく一人で過ごしていました。
そのうち「オサケを注文します」といってきたので「cold or hot?」と聞きました。本来なら「cold or warm」と聞いてあげるべきだったのでしょうが、それでも「hot」と答えてくれました。
私は、この人がお燗をつけたお酒のことを知っているのだと驚き、思わず「Wow!」と小声をあげましたが、彼女はにこやかに「ok!」と言いました。
お燗をつけたお銚子とお猪口を出して「どうぞ一杯」と注いでから、会話が始まりました。最初のうちは、私も怪しい英語でやりとりしていましたが、まもなく「これはダメだ」とばかりタブレットを持ち出しました。
たまたま、その日の午後、音声通訳アプリなるものをダウンロードしておき、1,2回試しておきましたので「これで続けましょう」ともちかけたのです。
そこからは、まるで通訳をはさみながらの会話でしたが、その女性の話す具体的な内容がわかり、どんどん話は発展していきました。
彼女がアメリカ人だということは、その会話を通じてわかったことですが、驚いたのは、今回の旅の長さでした。
彼女はすでにアメリカを出発して9ケ月ぐらいなるというのです。タイ、マレーシア、インドネシア、韓国などを旅してきたそうです。
その間、特にタイには半年ぐらい滞在して、一般家庭で、その家の犬の世話(トリマー的な世話)をすることを条件に食事と寝るところの提供を受けながら生活していたとのことです。
彼女はそのことを「ボランティア」と表現していました。つまりボランティアをさせてもらえれば、自分は別にアルバイト料が欲しいとかでなく、自由に出かけて、その国の文化にいろいろと触れることができるというのです。
日本のように、食事をするのにレストランやコンビニにお金を払い、寝泊まりするために宿泊施設にお金を払うことが条件となれば、なかなか長期間滞在できない、日本の文化にいろいろと触れたくても長くいられない、というのです。
それが証拠に、9ケ月間のうち日本への滞在はたった5日だというのです。別に日本に興味がないからではなく、長く滞在するため、どこかの家でのボランティアを条件に、食事と寝泊まりを提供してくれるところがないだめだというのです。
タイでの6ケ月をはじめ、マレーシアでもインドネシアでも、そうやって長期滞在してきたと彼女は話しました。
私は思わず「ウーン」と唸りながら「確かに日本では宿泊するためには、必ず専用の施設にお金を払わなければなりませんし、食事をするにもお金が必要ですものね」と話しました。
すると彼女は「Yes、Japan is money、」「money、money、money」と、我が意を得たりとばかり繰り返しました。アメリカでの映画やテレビドラマで日本のことを描く時は、必ずといっていいほど「ビジネスとお金ばかりを追いかけている日本人」が描かれているとも話しました。
日本への滞在一つとっても、「お金なしには長期滞在できない日本」というわけです。
彼女はまた、こういう新鮮な話をしてくれました。ボランティアでその国の人たちとつながれれば、必ずその国の人たちと愛情で結ばれ、お互い平和にやれるとわかる、というのです。
それを聞いて、私は心の中で「フットボールの世界と同じだ」と思いました。丸いボールが一個あれば、それを蹴りあうだけで、その国の人たちと愛情で結ばれ、お互い平和でやれる。「ボランティア」という言葉と「丸いサッカーボール」という言葉を置き換えただけで、同じ体験ができるのだと思いました。
日本では「ボランティア」というと、災害支援や弱者支援などハンディを抱えた人たちを助ける、あるいは自然環境を守ったり、公的なことについて無償の精神で奉仕するという意味にとらえられているように思います。
彼女にもタブレットを通じて「日本ではそういうことがボランティアだと考えられている」と伝えました。
ところが、彼女の言うボランティアは「自分のしたいことのために時間と自由が欲しいので、食事と寝るところさえ提供してもらえれば、必要な労働なり知識の提供(例えば英語を教えるなど)をします。それで相手と取引が成立すれば、それがボランティアなのだ」というのです。
日本では英語をうまくなりたい人が大勢いますが、英語教室に行くとお金がかかります。当然、外国人旅行者にもお金を払わなければならないと決めてかかっているところがあります。
現に彼女は「お金はいりません。食事と寝るところを提供してくれればいいです。」といって日本での長期滞在を期待したようですが、どこも受け入れてくれるところがなかったといいます。
こういう形での長期受け入れは、日本での法制度など、さまざまな規制の網があって、たぶん、明日から誰にでもできるというものではないでしょう。
けれども、私は彼女に言いました。「そのボランティアの考え方を日本でも広めていきたい。来日しても、それは短期滞在、いわゆる観光だけの来日で、日本の文化や日本の人たちの考え方を理解できるほど滞在する人は少ない。それでは、真に日本の文化や日本人を理解してもらえる交流にはならない」
いま、自治体などは国際交流を図るといって、町の予算で海外から人を招いて1年間滞在してもらうような試みが増えている。要は、自治体などだけでなく、一般家庭でも希望すれば自由に受け入れられるようにならなければ・・・。
彼女との会話を通じて、あらためて私は、河口湖で店を開いて新しい発見・経験をしている自分を感じました。
ずいぶん長話をしてから「あなたはFacebookかblogなどのSNSを何か使ってますか?」と聞いたところ、Blogはやっているとのことでした。
そこで、私は自分の、この「サッカー文化フォーラム&・・・」のブログアドレスを知らせました。彼女は「自分の持っているタブレットは日本語で書かれたブログも英語に変換して読めるので、ぜひ読んでコメントする」と言ってくれました。
果たしてコメントが何か返ってくるでしょうか。あとのお楽しみです。
今回の話し、フットボールの世界とは直接関係なさそうな話題だと思うかも知れませんが、日本のサッカー好きの若者も結構、特に南米あたりに長期に出かけて異文化体験をしているのではないでしょうか。
彼らのうち何人かは、それこそ、どこかの家で働かせてもらって、食事と寝泊まり場所だけ提供してもらい、地元のサッカーチームなどでサッカーがうまくなりたいと頑張っている人がいると思います。
私たちは、そういう若者を「お金や仕事のアテもなく・・・」といって眉をひそめがちになりますが、そもそも、そういう考え自体が国際基準に至っていないと考えたほうがよさそうです。
彼らは、帰国すると、ほとんどの人が口を揃えて「南米の若者たちの、サッカーで成功したいというハングリーさ、真剣さを痛感した。彼らは死にもの狂いだ。」と言います。それこそが現地の文化や現地の若者たちの真の姿を長期滞在で、肌で学んだ実感でしょう。
そのことを、帰国した若者は自分の人生の財産にしていると思います。「何をしてきたんだか」と言って片付けてしまう大人には、永遠に理解できないのかも知れません。アメリカ人女性が話してくれた「ボランティア」の考え方を理解できないうちは、永遠に無理でしょう。
それにしても彼女、お銚子を3本あけました。途中からおつまみも食べずに。私はというと、次第に冷えてきた外の空気で、足元が寒くて大変でした。
私がタブレットに日本語で話しかけ、翻訳反応が遅いと「wifi sabotage !!」と言うと、彼女も大声で笑いながら「Oh sabotage !!」と繰り返してくれました。
あとで「sabotage」を辞書で調べると、日本では「仕事をさぼること」という意味で使っていますが英語ではそうではなく「何かを妨害する」という意味で使われるようです。
ずいぶん、怪しい英語を発しながらの交流でしたが彼女のほうが上手に付き合ってくれたようです。この場を借りて彼女にあらためて感謝したいと思います。
「いろいろと勉強させてもらいました。ありがとうございます。またお会いできることを楽しみにしています。」