珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

それは嫌だという

2018-07-02 | 娘と夫の話
教えたわけじゃないけど、娘は口が固く、私から見たらどうでもいい子どもの情報などもなかなか教えてくれない。
何か友達のワルサのようなものを見ても「チクるなんて嫌」と黙っている。

例え誰かがわるいことをして(例えばモノを盗んでどこかに隠していたなど)、それを見てたとしても「私は誰にも言わない」という。
「それを探している友達が困っていたとしても?」
と訊いたら、それは解決してほしいけど、自分からは言いたくないと言う。
 

私なんか何年もはりきって「告げ口」に明け暮れていたけどね…

正義なんてものは、人の数だけある…
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ブロガー殺人事件

2018-07-02 | 日記
物騒なタイトルだけど、福岡で実際に、ブロガーと読者の間で刺殺事件があったそうである。
ここまで大きくなったのは、ネット特有の誹謗中傷が殊更膨らんで「数倍返し」になるからと言われる。

ふつうの人はそれに耐えられないと聞く。
本来は一対一のはずが、ネットの場合、そうだそうだ!という第三者や野次馬が乗ってきて、一対複数になったりもする。

私も書かれた経験ががあるので、その痛みはわかる。(同時に書いたこともあるかもしれませんが)
まあ私の場合は「キチガイ」とか「死ね」のような罵声なら平気だけど、事実無根の嘘を書かれると「ええ加減にせいよ」と思ってしまう。
本来一人から言われるべきことを、全く関係ない大勢に事実無根を吹聴、拡散され、信じられる不快さ、恐怖を想像すべしと。

こんなことにならないためにも、言い合いは「ネット外で一対一」が望ましい。
本来、言い合いにそれ以外、私はないと思っている。
最初からそうしていたら、全然たいしたことなかったんだろうなあと思う。

私が不思議なのは、一人の自分とネットの自分が別人のようになる人である。
一人の時はおとなしいのに、「皆が見ている」と別人のように威勢がよくなったり、強気になったり。(ネット弁慶というそうです)
一対一で平気でメールを無視するなら、大勢に見られてもそうすればいいのに、それはしない。
「大勢の前で、自分が無視する姿を見られたら」いきなり饒舌になるなんていう側面が、ネットにはある。
見られている自分一人の自分も本来は同じはずなのに。

ネットの自分と、一人でいる自分。
それはほんの一部分にすぎなくても、嘘はないように。
これが解離しないように。
この一点だけは、初めて書き込みをした日から私は自分に言い聞かせている。
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ネットにまつわるあれこれ9

2018-07-02 | ネットにまつわるあれこれ
ネットの問題点ばかり書いているようだけど、もちろんいいこともいっぱいある。
でなかったら何年も書き込みなどしていない。

私のように一方的に書いたり読んだりだけじゃなく、人見知りせず、多くの人と果敢にコミュニケーションを試した結果、トラブルもあれど楽しいこともいろいろあった。
何にでもいえるけど、苦労や経験なくしては手に入らないものである。

ネット上の付き合いはリアルとは違うけど、基本は一緒と思う。

リアル同様、派閥や仲間意識に興味なく一匹狼な人は付き合いやすい。
自分はどこまでも一人であって、しがらみなど一切なくて当たり前。
誰々はどこの所属だとか、誰と通じているとか、あの人の背後には誰がいるとか、そういうのはリアル同様、面倒くさくてしょうがない。
付き合うなら、どこまでも「一人」である人。

ネット上なんだから私生活は関係ない、文章が面白ければいい、それだけの付き合いなんだから、というと私の経験からいうとそれはちょっと違う。
距離感と、そういうドライさはまた別である。

男なら仕事をしっかりしていること。女なら家庭をしっかり守っていること。
なぜといわれても、これは単純に個人的な感覚である。

読むだけなら、どこの誰でどんな奴かなんて関係ない。
そうなんだろうけど、
「文章上で会話しても嫌じゃないな」と思うサイトを読む。
あくまで「参考に」されたし。
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