「ふだんサッカーなんか見てない奴が、ワールドカップの時だけ偉そうに話すんじゃねーよ」
と夫に言われたので、これは私の意見ではなく耳にした話である。
予選の最終試合のポーランド戦の内容が賛否だった件で、私が
「勝つってそんなに大事なことなの?サムライというなら、あの試合はどうなの?」
と訊いたら
「その意見はもっとも。誰だってつまらないよ。サポーターはもとより選手が何より」
と即答された。
だけどね、毎回完璧にそんなことしてたら持たないんだよ。
選手は一試合でもピッチに立って経験を積みたいんだ。
それが最優先されるべきと思う、と言われた。
毎回、理想通り完璧にやっていたら持たない。
これって、理想をくじき、信念を曲げ、方向を転換し、何歩も下がり、文句をいわれながら、それでも闘い続けるブロガーに与えられたような言葉である(笑)
(思春期の自意識過剰なので無視してください)
選手の皆さま、ともかくお疲れ様でした。
私は個人的に、キーパーの川島選手を讃えたいです。
本尊がホンモノだから力があるとか、カラーコピーでデタラメだから「願いが叶わない」のではない。
そう聞いたら「信じられなくなって思い込みがとれたから」願いが叶わなくなった。
「大真面目の涙」が「冗談」になった。
曼荼羅なんて思い込めば何だってよいのである。
Sがビジネスだろうが、教祖が汚かろうがインチキだろうが、知らなければ素晴らしいと言い張った。
誰も止められないくらいに。
素晴らしいと信じ込めれば、実態は何だってよいのである。
思い込み、フィルターで目に見えるものが、脳内でいかようにでも変換される。
そして変換されるたびに「これこそが真実だ」と叫ぶ。
真実なんてものがあるとすれば、「フィルターで左右されること」は少なくとも真実と思うよ。
そう聞いたら「信じられなくなって思い込みがとれたから」願いが叶わなくなった。
「大真面目の涙」が「冗談」になった。
曼荼羅なんて思い込めば何だってよいのである。
Sがビジネスだろうが、教祖が汚かろうがインチキだろうが、知らなければ素晴らしいと言い張った。
誰も止められないくらいに。
素晴らしいと信じ込めれば、実態は何だってよいのである。
思い込み、フィルターで目に見えるものが、脳内でいかようにでも変換される。
そして変換されるたびに「これこそが真実だ」と叫ぶ。
真実なんてものがあるとすれば、「フィルターで左右されること」は少なくとも真実と思うよ。