珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

減らず口

2018-07-25 | 日記
最近のコは「怪しい」も「危ない」「不都合」も「美味しい」も「スゴイ」も「素敵」も「カッコイイ」もヤバイの一言で片づけるらしい。

言葉のもつ意味がひろがるのはいい。
それはいいんだけど、私が不思議なのは、だからって「それしか」言わなかったら不自由ではないだろうか?
語彙って豊富にするほどに、自分の言いたい微妙なニュアンスが伝えられてスッキリするものでは?
よく海外生活で、外国語しか話せない日本人が言ってる。
「ああ日本語だったら、もっと的確で上手い言い方ができるのに」

最近会話を重ねている子どもが、極端に無口な上に、言葉も少ないことを不便に思った。
言いたいことはおそらくあるんだろうけど何て言っていいのかわからないんだと思う。
わからないから、黙り込んでしまう。

この何て言っていいのかわからないも、言葉を操れれば幾通りにも表わせて、その中で、自分の気持ちにピタリとくる言い方ができるのに。

自分の心にあるものが、隈なく言語化できたら、ものすごくスッキリする。
さらにそれを遠慮なく言えたら、もっと解放される。
それをしっかり聞いてくれる人までいたら、最強である。
 たいていのストレスなど、これだけで吹っ飛ぶ。


なかなか話の噛み合わない人と話す時でさえ、なんて言えばいいんだろう?と言葉を探そうとする。
それでも噛み合わなくてイライラしたらその「噛み合わなかったこと」を、また話すなり書くなりする図太さをもって。
(キレイにいうと、メンタル強化)

おばちゃんは難しいことを知らなくても、日常でそれを身につけている。
絶え間ない噂話や、夫婦喧嘩や、小言や、めんどくさい付き合いで鍛えられるのである。
おばちゃんが、ゴキブリの如く最強なのはそれ。
ただの減らず口というのかもしれないけど(笑)
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