娘の部屋にいって、たとえば棚の引き出しを開けたら、可愛らしいノートや便せんやメモ帳やファンシーな小物で溢れかえっている。
本棚には読みたい本がぎっしり詰まっていて、洋服箪笥にはかわいらしい洋服が揃っている。
私が子どもの時に指をくわえて夢見ていたような、まるで御伽の部屋と思う。
しかし、ここから何を見出せるのかは謎。
以下、このブログに寄せられたコメントから抜粋である。
>真に人格の優れた人間にとっては、どんな欺瞞に満ちた過酷な環境に置かれたとしても、それを縁としてさらに人格を磨くことができるのではないかと思います
私はこれは深い言葉だなあと思った。
賛同するメールも頂いている。
ロクでもない環境って短絡的に「よくない」で終わらせるほど単純でもない。
私は読みたい本なんて簡単に買ってもらえなかったから、必死に自転車のペダルをこいで図書館に通ったし、着たい服をデザインしてはひたすら絵を描いていたら、何でも持っている子から「いいなあ!この絵ほしい」と言われた。
何でもすぐに手に入らないからこそ、想像力というものが育った。
どんだけ理不尽で統合性のない人間関係を書き連ねたとしても、
「そこで鍛えられたわ」
と笑う人の前で私は何も言えない。
どんな環境でも「モノにする」人はいるのである。
本棚には読みたい本がぎっしり詰まっていて、洋服箪笥にはかわいらしい洋服が揃っている。
私が子どもの時に指をくわえて夢見ていたような、まるで御伽の部屋と思う。
しかし、ここから何を見出せるのかは謎。
以下、このブログに寄せられたコメントから抜粋である。
>真に人格の優れた人間にとっては、どんな欺瞞に満ちた過酷な環境に置かれたとしても、それを縁としてさらに人格を磨くことができるのではないかと思います
私はこれは深い言葉だなあと思った。
賛同するメールも頂いている。
ロクでもない環境って短絡的に「よくない」で終わらせるほど単純でもない。
私は読みたい本なんて簡単に買ってもらえなかったから、必死に自転車のペダルをこいで図書館に通ったし、着たい服をデザインしてはひたすら絵を描いていたら、何でも持っている子から「いいなあ!この絵ほしい」と言われた。
何でもすぐに手に入らないからこそ、想像力というものが育った。
どんだけ理不尽で統合性のない人間関係を書き連ねたとしても、
「そこで鍛えられたわ」
と笑う人の前で私は何も言えない。
どんな環境でも「モノにする」人はいるのである。