珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

都合による

2018-07-31 | 日記
以前、都合上やむなく、メールをアドレス交換した人がいた。
「やむなく」という言い方をさせて頂くのは、この方に限り、やたらと非公開コメントが多かったからである。
非公開というのは、公にしたくなくて、管理人だけに話したいということである。
ただ内容を読むと、あまりにも妄想と決めつけが激しくて、全然、違うんだけどなと思っても、非公開のため言葉を返せない。
そしてそんな思い込みをしたまま、それ前提の、承認してほしいコメントを送ってこられる。
私が何も言ってないのに、読むと勝手に、自分の思い込みが事実ありきで書いてある。

このままでは承認できないコメントが続いてしまって、仕方なく、アドレスを教えてくれませんか?と言うしかなかった。
その後は意志の疎通がうまくいって、コメントも承認もスムーズになった。

だがのちに、私はその方から
「アドレスを教えてほしいなんて、断れない立場の者に借金を申し込まれたようなもの」
と捨てぜりふのようなことを言われた。

借金を申し込まれた…?
私がこの世で借金ほど嫌いなものがあると知っていて、よう言いましたな。


こんなふうに人は、その場に応じて実に勝手な言い方をすると思う。
いい時は言わない。
むしろ「ありがとう」と、とても喜ぶ。
だけど都合がわるくなると言い方を変える。
言われた方は「そんなつもりじゃ…」と困惑することになる。

皆さまも、こんなことはないだろうか。
自分からやりたいと言っておいて、後に気に食わないことがあると「騙された」とか、頼まれたからやったことを「まんまと作為にハマった」とか。

よくよく思い出すと自分にもある。
自分から進んで、ノリノリでやっていたことを、嫌になった途端「やらされた」
人はけっこう、これを言っているもんである。
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記憶はつくられる

2018-07-31 | 日記
男は思い出を引き出しにとっておいて、時々そっと出しては眺めるそうである。

夫も例に漏れず「あの娘、今頃どうしているかな…」とたまに、吹き出したくなることを真顔で言う。
そこまでまだ気になるってのは、自分がよっぽど好きでたまらないのに、突然一方的にフラれれたパターンだな、ニヤニヤしながら思う。

そんなに気になるなら探して会えばいいじゃん。きっと20キロくらい太ってて、新たな刺激があるよ\(^▽^)/

記憶って勝手なもので、自分都合のいいように作られるそうである。
過去をこうだったああだったと言ったところで、美しいことは美化されていたり、たいしたことないことが深刻に残ったり、でもそれが、本人の中では真実とされているのである。

以前、映像として残っている、ある鮮烈な「過去」を見た時のこと。
こんなことがずっと呪縛になっていたのか、と「確かな記憶」に笑ったことがあった。

自分のやったことの記憶って、よくもわるくもその時の感情とセットになっている。
気持ちが変われば、たいしたことじゃないことがね。

冷めてるつもりはないけど、どうせなら、過去じゃなく今を熱く生きたいもんである。

あ、でも本日も熱中症には注意(・Θ・;)
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